第6話 混乱1



「ちょっと!!待ちなさいよ!なんで帰っちゃうの?」


 泉が、グラウンドの山側にあるバスケットコートからこっちに向かって、ものすごく大きな声で叫んでいる。


「戻ってきなよー」


そんな声がいくつも被さって聞こえてくる。


 私と千絵は、泉たちの目を盗んで、その日のミニバスの練習をサボって、見つからないように道路に並ぶ木の陰に隠れるようにして家へ帰ろうとしていたのに、見つかってしまった。


 6年生になると、市のミニバスケットの大会があり、私たちの学校は生徒数が少なく、ほぼ全員が選手登録しなければならない。つまり、全員がほぼ強制的に練習に参加しなければならず、まだ5年生だというのに、市のバスケットのチームに入っている泉が中心となって、5年生のうちから練習をしようということにいつの間にかなっていた。


 練習を始めて2回目、3日前の練習の日のことだった。


 バスケットなんて、泉以外はほとんど初めての経験なのに、泉は、ちょっと上手くボールを投げられないだけで、「ちゃんと届くように投げてよ!ヘタクソ!」などと言い、「こうやって投げるんだよ!」と、強く投げてきて、上手く取れなくてお腹に強く当たる子や、突き指してしまう子が出てきて、千絵もその一人で、何度やっても上手く取れずに、泉にものすごく怒られて、泣きそうになっていた。


 ゴールの練習でも同じで、上手く入れられない子も多く、何度も失敗した子には、手の甲に自分の人差し指と中指をそろえて、「ヘタクソ!」と、パチッと叩いたりしていた。


「泉ちゃんがなんでそんなことできるの?泉ちゃんって先生だっけ?コーチだっけ?学級委員でもないし体育委員でもないのに、なんでそんなにエラそうにできるの?」


 いつもは泉とわりと仲良くしている理恵が、強く泉にたてついた。


「はあ!?まともにバスケできないやつが何言ってんの?バスケできるのが私だけだから教えてあげてるのに」


「バスケの教室でやってるんだからできるの当たり前でしょ。私たちははじめてなんだから、いきなり泉ちゃんみたいにできるわけないじゃん」


「だったらエラそうに口出ししないでよ」


「エラそうなのは泉ちゃんのほうでしょ。始めたばかりなんだから少しくらい上手くできなくても叩いたりするのはよくないよ」


 私は心の中で、「理恵ちゃんの勝ちだな、頭のいい理恵ちゃんに口で泉が勝てるわけない」と思い、心の中で意地悪く、「いい気味だ」と泉の顔を見ながら思っていたら、やっと先生がやってきた。


 またまた心の中で、「遅いよ先生……」と、軽く睨んでやった。


「すまんすまん、会議が長引いてな。今何やってるんだ?」


「シュートの練習です」


泉が答えると、


「そうか、じゃ、続けて」


続けてって、この空気の悪さに気づかないなんて、相当鈍感だなと思ったけれど、だからといって先生に何か言いつけるようなことはできるはずもなく、みんなシュートの練習に戻っていた。


 翌日学校に行くと、いつもと違う空気になっていることを私は敏感に察知した。泉と特に仲がいいわけではないけれど、だからといって悪いわけでもない私のところに、泉がきて、


「ハル、私たち仲良かったよね。まさか理恵のほうにつかないよね」と言った。


なるほど、そういうことか。


「私は別にどっちかにつくとかないけど」


そう答えてはみたけれど、昨日、私もさんざんヘタクソだの言われて強くボールを投げられて痛い思いをしていたので、実際どっちかにつかなきゃならないのなら、理恵のほうだなと思っていた。


 誰かが登校してくるたびそんなことしていた泉だったけれど、それもそのはずだなというのは、それからの教室の空気を見ていて理由がわかった気がした。今まで泉にくっついていた典子が理恵のところにいる。クラスで威張っている2人がここで分裂して、片方が女子の中で一番頭も性格もいい理恵とくっついたら、クラスの中の立ち位置が変わってくるのが目に見えてわかるはずだ。


 泉は、自分の味方に一人でも多くつけるために必死になっていたけれど、昨日の練習もそうだけれど、今までさんざん威張ってエラそうにしてきたんだから、味方なんてほとんどいないだろう。


「玲ちゃん、私につくよね?そしたらもう叩いたりしないよ」


大人しい玲美は、返事ができずに困っている。泉ちゃんは今まで玲美みたいに大人しいグループには全く声をかけたことすらなかったのに、そこにまで声をかけているところを見たら、なんだか憐れにさえ思えてくるから不思議だ。


「玲ちゃーん」


声のする方を見てみると、大人しい玲美と一番の仲良しの由香が、声の出し主である典子と一緒にいるのが見えた。もともと典子と由香は家も近く、この分だと玲美も泉にはつかないだろう。


 1時間目が終わる頃には、情勢は目に見えてわかるようになっていた。泉と一緒にいるのは、泉と登校班が同じの智美だけだった。それを見て、私は少しだけ警戒した。なぜなら、智美と私は仲良しなのだ。智美と遊ぶとき、智美の家の近くの泉が途中から入って来ることがあり、泉は私に、「私たち仲良しだよね」などと言い出したのかもしれない。これはまずい、下手したら引き込まれるかもしれないと思い、私はその日、注意深く智美の行動に目をやって、智美が私に近づかないように細心の注意を払っていた。


 それが功を奏したのか、その日はそれ以上泉に声をかけられることもなく、智美とも話すことなく放課後を迎え、千絵と2人で帰ろうと教室を出たところで、泉と智美に捕まった。


「ハル、智ちゃんと仲がいいんだから、こっちにつくよね?千絵はハルと仲いいんだからこっちだよね?」


かなり強い口調で泉に言われ、千絵が思わず頷いてしまった。あ~あ、頷いちゃった。と心の中で恨めしく思ったけれど、あとの祭りだ。


「私は朝も言ったけど、どっちにつくとかないから」


「はぁ?ハルは裏切るわけ?」


「裏切るとかそういうことじゃなくて……」


「でもハルは千絵と帰るんでしょ?千絵はもうこっちについたんだよ」


なんだかめんどくさくなった。


「どっちでもいいよ。私はもう帰るから」


そう言って、千絵の手を引っ張るようにして、階段の方に向かって廊下を進んだ。


「ハルちゃん、大丈夫かな?」


「千絵ちゃん、昨日あんなに怒られたのに、泉ちゃんについていいの?」


「だって……」


もじもじと下を向いてしまった千絵を見て、こりゃダメだと思った。気の弱い千絵にはこんなこと通用しない。


「まあ、きっと大丈夫だよ。どっちにつくとか言っても、私たちはいつも泉とは一緒にいないじゃん。明日も私と千絵ちゃんと2人でいればいいよ」


「うん」


 そんな前日の話は甘かった。翌日は朝から泉と智美が私たちのところにきて離れず、4人の図がいつの間にかできてしまっていた。典子や理恵たちがこっちを見てヒソヒソ何か言ってるのがわかる。私はもうどうしていいのかわからなかった。あの典子の目を見てしまったから。典子は、ものすごく怖い睨みつけるような目で私たちを見ていた。典子に睨まれてしまったからには、もう泉につくしかないのかもしれない。


 この日はずっとこんな調子で4人でいて、「針の筵」という言葉があるけれど、この状況はまさにそれだと思いながら、1日中典子や理恵からのチラチラとした視線を全身に受け、困り果てていた。

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