水蛇との戦い(2)

 燃える水蛇ヴァリテの生命力に感嘆しながらも、ゴーシェたちは畏れを隠せなかった。

 ただ一人オリヴィエを除いては。


「おい、あいつはバケモノか! どうやって鰓まで炎に包まれて生きてられるんだ!?」


 ゴーシェは叫んだ。


「あの鰓は飾りに過ぎないと言われている、水蛇は実際は水中でも皮膚呼吸できるらしい」


「じゃあ、このままじゃ斃せるわけないじゃないですか!」


 救いは火の勢いが落ちないことだった。

 オルランダが松明から生み出した炎は通常のものとはどうやら違うようだ。


「ここはあの火にまかれて、水蛇が完全に火だるまになるのが先か……」


 オリヴィエはじりじりと浅瀬へ後退する。


「オレ達が水蛇の餌食になるのが先か? だな、」


 ゴーシェはそう言って二人に目配せした。


「来ますよ!」


「散れ!」


 水蛇はゴーシェ達のいる辺りに水を割いて跳躍してきた。

 そのとき水から上がった水蛇の尾を一同ははっきり見たのだが、脊髄の束が血管をまとって毒々しく木の根のように脈打っていた。

 どこまでもおぞましい野生動物の中でも、最たるモノがこの水蛇なのかもしれない。

 三人はタイミングを合わせて水蛇の追撃を逃れたが、水蛇は振り向きざまに燃える口唇くちを開いて何かを噴き出してきた。


「あれを浴びてはいけない!」


 オリヴィエは絶叫した。


 身体能力に優れるダオレは軽々と避けるが、ゴーシェは水に潜るのがやっとだ。


「何だ!? あのブレスは!」


 水面から顔を出したゴーシェは大声で訊ねた。


「あれは王水おうすいだ、浴びたら全身爛れるぞ……!」


「王水だと!? そんなものを体内で形成できるのかあの水蛇は!」


「気を付けてください、第二波が来ます!」


 ダオレが注意を促したときはギリギリだった。

 水蛇は燃えながらも恐るべき俊敏さで振り向くと、再び王水のブレスを広範囲に吹きかける。

 これには三人とも水に潜るしか選択肢は無かった。

 ゴーシェは光のない水の中、霞む目を開くと揺らぐ視界に金色の眼が五つ浮かぶのを確認した。

 しまった! ここは奴の領域だ。

 引きずり込まれて初めて水蛇の恐怖を覚えた。


 ダオレ! オリヴィエ!


 己の無力さ、書にばかり囲まれて現実を知ろうとせず、砂漠の地下で養父と知識ばかり貯め込んできたことを後悔した。

 水を焦がす炎、迫りくる切り落とされた腕の異形。


 ゴーシェはここではじめて死を覚悟した。


 ごぼり、と呼気が水に漏れる。


 身体が沈んでいくのが解った、これからオレは水蛇の餌食になるのだろう……

 そんな風にぼんやりと思っていた。

 そのとき頑丈な腕がゴーシェの体を水面へと引き上げた。


「!?」


 目の前にはずぶ濡れのダオレの顔があった。


「ゴーシェ! しっかりしてください、やりましたよ水蛇は溶けていきます!」


「どういう……ことだ?」


 ゴーシェが見上げると水面から浮かんだ炎に包まれた水蛇の頭部は、燃え落ちるよりも早く酸によって腐食を始めていた。


「水蛇の吐く王水が逆流して体内から、内臓機構を破壊するなど万が一にもありえない……」


 オリヴィエはそう呟いたが、ゴーシェが振り返るとそこには膝まで水に浸かったオルランダがぱちぱちと爆ぜる松明を手に放心していた。


「オルランダが……」


 そして水面には腐臭を放つ内臓の欠片と、肉のこびりついた脆い水蛇の骨が浮かんでいるのに過ぎなくなり、ようやくその異形の死を誰もが理解した。

 三人は水から上がるとオルランダへ駆け寄った。


「私は彼女の不思議な力に助けられたことが一度あったが、今度ばかりは様子がおかしい……オルランダを看てやってくれ」


 背中に大の男を背負ったままでは流石のアルチュールも容易には動けない。

 まず動いたのはダオレで、彼女から松明を受け取るとオルランダはダオレにもたれ掛るようにして気を失った。


「おい! オルランダ!」


 ゴーシェが彼女の肩を揺するがまるで反応がない。


「ミーファス様と同様すぐに治療が必要だぞ、これは」


「治療? どんな? 汎神論者はんしんろんしゃは奇跡も起こせるのか?」


「落ち着けゴーシェ! 汎神論者の協力者の中には、中興知識階級である医師も数多い。非科学的な方法に頼りたがるのは聖堂騎士団せいどうきしだんの専売特許だろうが」


「しかし……これは見たこともない衰弱ですよ、まるで生命力を使い切ったかなのような」


 ダオレはそっと気を失っているオルランダを抱きかかえた。

 だがオリヴィエは苦虫を噛み潰したような表情で言った。


「水蛇が王水を撒き散らしたせいでこの水域は汚染されてしまった、浄化には時間がかかることだろうここを泳ぎで、まして彼女を連れて通るのは危険だ」


「ではどうしたら!」


「俺がひとっ走り行って救援を呼んできます。舟を手配してもらえる事だろう」


「それにはどのくらいかかるのかね? オリヴィエ」


「半刻もあれば戻ってきます、では!」


 そう言ってオリヴィエは松明を持って闇の中へ、元来た方へと消えて行った。


「信用できるのか、あの男?」


「わからん、ただミーファスを置いて戻ってこないということはないだろう……」


「これから、ぼくたちはどうなってしまうのでしょう?」


「私に訊くな」


 暗黒の水路に取り残された一行は、言い知れぬ不安に押しつぶされる寸前でもあった。


「オルランダ……!」

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