その男、行き倒れ

「人が倒れてるだと!?」


 ゴーシェは叫んだ。


「助けなきゃ」


 砂丘を駆け下りようとする、オルランダの腕を掴んだのはゴーシェだった。


「待て、様子がおかしい。少し前までここは水の底だったんだぞ! なぜ行き倒れが? オレが様子を見てくる。お前はここで待っていろ」


「あ、ちょっと待ってよ、ゴーシェ!」


 その間にもゴーシェは砂丘を下り倒れている人物に近寄って行ったが、いつの間にかグラムの方ではなくあの懐剣の方を抜刀していた。


 倒れてるのは若い男でゴーシェの知る限り、かつて砂漠を根城にしていた民族の格好とよく似ている衣服に身を包んでいた。

 ただし似ているというだけであるが。

 頭には日除けのターバン、そこからあまりオルランダ同様の金色の髪がはみ出ている。

 体躯は細く、ゴーシェほどではないがあまり背も高くなかった。

 知的で整った顔立ちをしている。

 なによりおかしいのは砂漠の民としてはあり得ないほど肌が白いのだ。

 オルランダとそう変わらないだろう。

 ますます怪しい。



 ゴーシェは抜いた懐剣を男の頬にぴたぴたと付けた。


「起きろ野良犬」


「ん……」


 想像より太い声で男は呻いた。


「寝たふりはやめろ、ここでオレ達を待っていたのだろう?」


「……うぅ」


「さもなくば、この紋所の剣がお前の寝首を掻くぞ」


「ちょっと止めなさいよ! 倒れてる人になんてことするの!」


「――ちっ、うるせえのが来ちまったじゃねえか!」


 言うなりゴーシェは男の腹に蹴りをお見舞いした。


「ぐぶっ」


 男は震えながら細く目を開けてこちらを見た、薄茶色の眸だ。


「見ろ、オルランダ。怪しい輩の末路を!」


「やーめーなさーい! やめなさい! 止めなさいっ」


 オルランダは必死でこの男の前に立ちふさがった、さもなくばゴーシェは本当に彼を殺す気だ。

 

 すると倒れてた男は身を起こし、咳き込み始めた。


「ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ、ごほっ……」


「ちょっとあなた、大丈夫!?」


「危険だと言ったろうオルランダ、どけ」


「こほっ、ぼくはここで倒れてただけなのに……その乱暴者に蹴られて……」


「水だったところに倒れててすっかり服が乾いてるってのもおかしな話だな? 男! 敵でないなら名を名乗れ!」


「名前……」


「えっと、名前を名乗って身の証を立てれば彼の気も済むんじゃないのかしら?」


「それともこの剣の紋章に身の誓いでも立てているのかッ!?」


「そんな獣の紋所は知らないっ」


「では何者だ不審者め」


「……お、思い出せないんです、ぼくの名前」


「なん、だと!?」


「待ってこれはいわゆる記憶喪失ってやつじゃないのかしら?」


 だがゴーシェはますます怪しいと言わんばかりに腕組みをして、男を見下ろした。


「記憶喪失だと? ふむ、全生活史健忘だとでも言うのか、都合がいいな」


 そして倒れている男をごろりと足で仰向けにすると、懐剣を喉元に突き付けた。

 呼吸のたびに男の喉仏が上下する。


「そろそろ本当の目的を言え、言いたくなってきたか?」


「滅相もない!」


 男は叫んだ。


「ほんとうの本当に知らないんです。何一つ覚えていないんだ……最後に見たのが水の中に街があるってのだけで……」


「――夜か」


「はい、水が押し寄せてきたんです、僕泳げなくて……」


「なんか怪しい」


「ゴーシェ!」


「!? こいつ剣を下げてる!」


「これは鉈ですよっ……この辺りに砂猿ク=シュマが出るので――」


「砂猿!? しまった! すっかり存在を忘れてた! ――だがとてもそれは鉈に見えないがな!」


 そうは言うものの、ゴーシェは男を解放するとグラムの方を抜き辺りを見回した。


「オルランダ、お前はオレの影に隠れていろ」


「ゴーシェ、砂猿って?」


「野生動物だ、危険極まりない」


 グラムの刀身がみるみる黒く染まってゆく。

 どうやらこれが敵襲の合図らしい。


「あの砂嵐の塊、砂猿だ」


「ぼ、ぼくも助太刀しますっ」


「ふざけんな、名乗りもしねえ奴の手は借りねえ、すっこんでろ!」


「待ちないさいよゴーシェ、その砂猿が危険な生き物なら猫の手だって借りたいんじゃないの!?」


「むむむ……ぼくは猫の手ですか、その評価も仕方ないかもしれません」


「もういい! 分かった、仮にテメェはでも呼んでおく」


「は、はひっ」


 ダオレはびっくりして返事した。 


「……『行倒れ』の『ダオレ』ね」


「贅沢言うな、本名を言いたくなるまでそれで通してろ、で、ここまで講釈扱いてたんだから砂猿の習性は理解してるんだろうな?」


「砂嵐に乗じて獲物を捕らえるということしか……」


「オレも本で読んだことしかねえ。ただ砂漠の南部に出現しては、野生の哺乳動物を襲うくらいしか知らない」


「その黒い剣……カッコいいですねなかなかの使い手と見ました」


 ダオレは感心したがゴーシェは無言だったので、オルランダが替わりに口を開いた。


「こちらのゴーシェは学問が専門で剣士じゃないわ、その砂猿がどんなものか知らないけど勝ち目があるとしたら、ダオレ、あなたの協力が必要よ」


「来るぞ、オルランダ下がってろ――」


 砂を割り、は物凄い速さでゴーシェ達へと迫ってきた。

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