Ⅴ.葉山の企み

(話なんてどうせろくなことじゃないだろう)


 バックミラーから葉山の姿が消えたところでホッと息を吐いた。


 ドラマの収録を終えて以降、葉山はことあるごとに電話を寄越してきた。

 言わずもがな『小山内レイジ』への仕事の相談である。頑なに拒否しているがなかなかに諦めが悪くて困っている。


「ねぇさっきの人、夏にお店ですれ違った人だよね」


 押し黙っていたアリスが思い出したように口を開いた。


「葉山さんだっけ。柴山さんも知っているみたいだったけど桃子さんの知り合い?」


「えと……」


 葉山は小山内レイジのマネージャーだ。

 これは自らの正体を明かすチャンス。

 そのためにまず確認しておきたいことがある。


「なぁアリス。おれに言いたいことないか?」


「言いたいこと?」


「訊きたいことでもいいけど、とにかく、話したいこと」


「ぅん……」


 アリスは記憶をたどるように窓の外を見つめていた。





「さっきの――――レイジのことだけど」





 スッと心臓を貫かれたような気がした。

 とうとうこのときが来たのだ。


 アリスは意を決したように凪人の目を見る。


「さっき見たとき、正直、凪人くんに似ていると思った」


(やっぱり分かるか)


 観念するというよりも後ろめたさから解放される安堵感の方が強かった。

 これでやっと小山内レイジから卒業できる。


「あのなアリス。おれ本当はレイジ――」


 しかし言葉を遮るようにアリスが身を乗り出してくる。


「だけど不思議なの。全然ドキドキしなかった」


「ん? ドキドキって?」


「だから、その」


 どこか悔しそうな顔を見せ、おおげさに息を吐く。


「自分でも変だと思う。レイジに会いたい一心でモデルになって、ここまで頑張ってきたのに、いざ目にしたらなんにも思わなかったんだもん。どう考えても変だよね」


「でもさっきテレビを見ているときは両手を絡めて神妙そうな顔していたじゃないか」


「あれは、そうでもすれば少しは緊張するかと思ったの。けどそうはならなかった。それよりもいまのほうがずっとドキドキしてる」


 そう言って凪人の手に指先を絡めてくる。


「こうして凪人くんの手の大きさや温かさ、指の長さを眺めている方がずっとドキドキする。たぶんレイジを目の前にしてもこんなふうに胸は高鳴らないと思う」


 汗ばんだ指先から伝わってくるのは緊張と喜び。それはレイジではなく他ならぬ凪人に向けられたもの。自分のドライさに最も驚いているのはアリス自身だ。


(……あぁそうか、アリスはとっくに卒業していたんだ)


 小山内レイジの存在は憧れであり目標でもあったのだろう。しかし同じ舞台に立っているアリスは無意識のうちにレイジを追い抜いたことを悟っていた。レイジを追うだけではない次のステージへと進んだのだ。


(レイジはもう過去の人間ってことか)


 六年ものブランクがあった。

 その間アリスは努力し続けたのだ。


「私、やっぱり変かなぁ」


 不安そうなアリス。その手をぎゅっと握り返した。


「変じゃないよ。ちっとも変じゃない」


「本当に? そういえばさっきなに言いかけたの?」


 凪人は曖昧な笑みを返した。


「なんでもない。とりあえず、おめでとう」


 アリスはレイジから卒業した。

 それでいい。レイジはもう置いていこう。


 今度は自分の番だ。

 レイジを卒業し、アリスの隣で共に歩いていこう。

 黒瀬凪人として。



 ※



「ふふふ。この反響、この手応え、やはりやるしかありませんね」


 ビール瓶片手にスマホを見ていた葉山が酔った顔をにへらと綻ばせた。


「嬉しそうね。なんのお話?」


「それはもちろん」


 桃子がお酌したビールをぐびっと飲み干して勢いよく叩きつける。


「続編ですよ、『黒猫探偵』の続編!」


 えっと目を丸くしたのは桃子だけではない。手酌で日本酒を飲んでいた柴山も甘いカクテルを楽しんでいた愛斗も手を止めて葉山を見る。

 注目の的となった葉山は足を組み替えてどこか澄ましている。


「監督やスポンサーの反応は上々、SNSの反響も大きい、視聴率も期待できるでしょう。再放送しているドラマの視聴率も悪くないと聞いていますし、まっくろ太グッズの売上も好調だそうです。ここまで好材料が揃っていて続編を作らない理由はありません、ドル箱を捨てるようなものです。まずは来年中に連ドラ、次は映画!」


 まるで決定事項のように鼻を鳴らす葉山とは対照的に桃子は不安そうに瞳を曇らせる。


「それには『小山内レイジ』も出るのかしら」


「無論です。物語の鍵を握る重要キャラとして小山内レイジの存在は必要不可欠!」


「続編……とても素敵なお話ですけどあの子が受けるかしら。あぁもちろん愛斗さんが活躍されるのは嬉しいことだけれど」


「そこはなんとかします」


「うーん、小山内レイジになるのはこれで最後って決めていたみたいだし」


「腑に落ちませんね。桃子さんは反対なんですか?」


 本人のためを思ってこその発言だったが、酔いが回った葉山はなかなかしぶとい。


「反対と言うか、決めるのは凪人でしょう」


「彼は未成年ですから最終的な決定権は保護者の桃子さんにあるんですよ?」


「それでもわたしは本人の意思を尊重したいわ、未成年であっても子どもじゃないんだし」


 堂々巡りだ。

 あまりにもしつこい葉山を見かねた柴山が助け舟を出した。


「葉山、まだオファーもないうちから決めつけて店長を困らせるな」


「むむ、最終オーディションでAliceさんを落とされたやっかみですか」


「そうじゃねぇよ」


「いいですか、わたくしたちはサークルの先輩後輩ですが、いまは別々の事務所に所属するライバルなんですよ。出演の打診の邪魔をしないでください」


「だからまだ決定してねぇだろうが。悪酔いしやがって」


 執拗な葉山にはぐらかす桃子、それをたしなめる柴山と殺伐としてきた。


「俺は受けますよ」


 険悪な空気になってきた中、ただひとり愛斗が冷静だった。

 残っていたカクテルを飲み干してぐいと唇を拭う。その目は真剣そのもの。


「もし続編のオファーが来たら他の仕事を全部断ってでも引き受けます」


「オイオイおまえも酒が回ったのか? いつになるか分からねぇ話だし、斉藤マナトには連ドラのオファーがきているって聞いたぞ、すげぇことじゃないか」


 やんわりと話題をそらそうとするが愛斗の目は据わっている。


「どうにかしますよ。忙しさでぶっ倒れても構わない。俺なりの意地です」


 強い決意と覚悟がにじむ言葉だった。

 ふだんの明るい愛斗とのあまりの違いに戸惑いつつ、桃子は問いかける。


「そこまでして凪人――いえ、小山内レイジと共演したいの?」


 こくんと頷く。肯定という意味だ。

 そのまま頬杖をついて、少しだけ猫背になった。


「あの日――、凪人が現れて小山内レイジだと紹介されたとき、驚きはしましたけど動揺はしていなかったつもりなんです。なにかの間違いだと思ったけど監督は異を唱えなかったし、そのまま撮影に入った。だから問いただすのは後にして、目の前の役に集中しようと思ったんです。でも正直いうと、舐めてました。素人同然の凪人にどんな演技ができるのか……もしNGを出したらどうフォローすればいいだろうって考えていたくらいです。なんて傲慢な考えだったのかとすぐに思い知らされましたけど」


 見知らぬ大人たちに囲まれて困惑顔で胃をさすっていた凪人だったが、カメラが回った途端、豹変した。


 目線、動き、言葉の抑揚、呼吸。

 すべてが「小山内レイジ」だった。

 黒瀬凪人の面影は微塵もない。


 呑まれる、とはこういうことか。

 これまでどんなベテランを前にしても自分を見失うことのなかった愛斗が、完全に「小山内レイジ」に引きずり込まれていた。


 あっと気がついたときには撮影は終わり、凪人の姿は消えていた。

 まるで蜃気楼でも見ていた気分だ。


「才能っていうのかな……ずるいですよ、あんなの」


 それだけ言って、愛斗は自嘲気味に笑う。


 もう一度小山内レイジと共演したい。それが愛斗の心からの願いだった。


「とどのつまり、小山内レイジはまだまだ必要とされているのです!」


 話を聞いていた葉山が得意げに唇を突きだした。


「一つ、わたくしに考えがあります。彼の根底にあるのは『目立つ』ことによって嘔吐し、他人に迷惑をかけてしまうという恐怖心です。薬や精神的なケアも勿論重要ですが、嘔吐が精神的なものである以上、荒療治も効果があると思います。意外とあっさり吹っ切れるかもしれません。それが連ドラです。もし拒否するのなら凪人くんが出演せざるをえない理由を作ればいいんですよ、無理やりにでも」


 酒の影響があるとは言え、葉山の悪魔的思考が暴露されていく。

 桃子と柴山は空恐ろしいものを感じていたが共演を熱望する愛斗だけは静かに食いついた。


「具体策はあるんですか?」


「まぁそうですねぇ、一番効果的な方法としては――」


 視線の先には柴山がいる。


「端役でAliceを出演させる、ですかね」


 柴山が顔色を変えた。

 アリスのドラマ出演はマネージャーである柴山にとっても悪い話ではない。なんといっても小山内レイジと共演するのが夢なのだから。


「葉山、おまえって本当に性格悪いな」


 二人の想いを逆手にとるような底意地の悪さに感心すらしてしまうが、けなされた葉山はにっこりと微笑んで見せる。


「はい、見ての通り身も心も立派な社畜ですよ。センパイ」

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