13.明日も一緒に

「さっきコンビニで同じ車から降りたでしょう」


 福沢はしたり顔でけしかけてくる。とても言い逃れできそうになかった。


「内緒にしてくれよな。来る途中チャリで転んだところを拾ってもらったんだよ」


 膝を揺らして暗にケガしたことをほのめかすと福沢の顔つきが変わった。


「ふぅん……大丈夫だったの?」


 からかうような目つきから労わるような眼差しになる。凪人は内心ほっとした。


「ちょっと擦りむいただけだよ。保健室で診てもらおうと思っているけど、歩けるし全然へいき」


 調子に乗ってゆさゆさと揺らすとズキンと痛みが走った。


「車を運転していたのはアリスのマネージャーさんで、たまたま通りかかっただけなんだよ。そんだけ」


「……へぇ、アリスって名前呼びするくらい仲いいんだね」


 ぴきーん、と全身に衝撃が走った。


「ち、ちが」


「いま言ったよね、ア・リ・スって」


(うわぁあああ)


 思いっきり地雷を踏んだ。せっかく回避したと思ったのに完全に油断した。この先話せば話すほどボロが出そうで、もはやなにをどう言ったらいいのかも分からない。


 本気で頭を抱えていると福沢がけらけらと笑った。


「黒瀬くんって面白いね」


「そ、そうか?」


「うん。意外なカンジ。兎ノ原さんもモデルだけあってキレイだけど、なんとなく近寄りがたい雰囲気があったから黒瀬くんと話しているのが意外だなって思ってたんだ。――あ、ほら。そろそろ教室行かないと」


 並んで歩き出してからも福沢はアリスの話ばかりしていた。


「髪色は可愛いし、ドアップでも平気なくらい目鼻立ちはっきりしていて肌もキレイだし。ほんと生まれつきのモデルって感じ」


 性格はあれだけどな、とは言わないでおく。信じたいものを信じさせておこう。


「でもいま噂の掲示板でプチ炎上しているみたいだね」


 福沢はスマホを取り出して手早く操作すると噂の掲示板とやらを見せてくれた。

 プライベートでAliceに声をかけたら暴力を振るわれ全治三ヶ月の大けがを負ったと主張する書き込みが発端だった。詳細な日時や水族館という場所が書いてあることから犯人は例のストーカーに違いない。


(随分話を盛ってるな。全治三ヶ月のケガ人が走って帰れるわけないだろ、アホか)


 一部始終を知っている凪人からすればバカバカしいことこの上ない書き込みだったが、ネット世界では本気にする人間もいるようで、批判派と養護派でスレが伸び続けていた。専門家をうたって訴訟のアドバイスをする者やAlice本人を名乗る者も出る始末だ。


 水槽の中の魚たちに思いを馳せていたアリスのことを思いだす。


(ガラスの向こうのアリスは、どんな気持ちでこういう世界を見ているんだろう)


 こんなことでさえも売れるための糧にしてしまえるのだろうか。もしそうやって割り切れるのだとしたら、同じ年ながらなんて強い奴なのかと思う。


「黒瀬くんってさ……」


 顔を覗き込んでいた福沢が不思議そうに目を細める。


「そういうふうには見えないけど、やっぱり可愛い子が好きなんだね」


「は、なんでそうなるんだよ?」


「だって自分のことみたいに哀しそうな顔していたよ。別におかしくないじゃん、あんなに可愛くて現役モデルなんだもん、ふつうの男子だったら好きになるのは当たり前だよ。興味ないって素振りしている人こそ心の中ではものすごく意識しているよね」


(なにが言いたいのかよく分からねェ)


 はっきりとは言わないが、福沢も同性としてアリスのことを相当意識していることは伝わってきた。アリスにはそれだけ注目される容姿とモデルというステータスがあるのだ。本人も知らないところまで飛び火している。

 彼女と自分とでは同じ人間でありながら宇宙人と猿みたいだ。かろうじて言葉は通じても本質的な意思疎通はできない。そんなもどかしさを感じる。このもどかしさの正体が分からなくて尚むず痒い。


「あ、職員室に寄って行かないと。じゃあ黒瀬くんまたね」


 福沢は手を振って慌ただしく去っていく。今日の会話はいつもより多少長かったが、未だに下の名前すら覚えていない仲だ。


 自分の教室が近づくと賑やかな声が聞こえてきた。きっとアリスだ。


(憂鬱だな)


 教室に一歩入ったら劇場の開幕だ。同じ車で通学してきたことなどなかったように演技しなければいけない。苔人間である凪人に朝の挨拶を交わして自分の存在を知らしめるべき相手などいないので、そぉっと忍び込んでいつの間にか席に座っていればいいだけなのに隣にアリスがいるせいでどうあっても目立ってしまう。


 なるべく意識しないよう、そして誰とも目を合わせないよううつむいたまま教室に入った。

 すると反対側の扉から入れ違いにアリスが出ていく。何人かの生徒たちを引きつれて。


(ナイスタイミング、だったのかな)


 アリスたちはなかなか戻ってこず、ホームルーム開始の鐘とともに息せき切って戻ってきた。


「黒瀬くんおはよ」


 ごく自然に挨拶しながら汗びっしょりのアリスが隣に座る。途端に香水のいい匂いが漂ってきた。


「どこに行ってたんだ?」


「お手洗い。内緒の話してたんだよ。聞きたい?」


「いや、いい」


「ふーんだ、化粧ポーチの中を見せあいっこしてたんだよ。女の子は流行に敏感なんだから」


 進んで白状すると拗ねたように机に顔を伏せてしまう。


 しかしホームルームがスタートして担任が話を始めた瞬間、凪人の頬になにかが当たった。机の上に転がり落ちたのは丸めたノートの切れ端だ。犯人とおぼしきアリスは担任のほうを見たままちょいちょいと指先を動かす。読め、という意味らしい。


『これからはホームルーム直前まで別のところにいるようにするね。だから明日も一緒に登校しませんか?』


 気を遣ってトイレに行ってくれたのだとようやく理解できた。自分が目立つこと、凪人が目立つのを嫌がることを承知の上で一緒に登校したいと思っているらしい。


(ったく)


 凪人は紙の余白に自分のメッセージを書き入れ、さっきと同じように丸めた。

 ホームルームが終わって教室がざわつく瞬間を狙って投げ返し、何事もなかったようにそっぽを向く。


『ケガが治るまでなら』


 あっという間にクラスメイトたちに囲まれてしまった彼女の表情は見えなかったが、立ち上がったときにそっとポケットに入れるところが見えて、まるで自分がポケットにしまわれたようなこそばゆい気持ちになった。

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