第39話 契約について
「大丈夫か?」
ギンの気遣わしげな声に、私は慌てて顔を上げた。しゃらん、と飾り金具が鳴る。にこり、とギンのように見える影に笑って見せた。
「大丈夫。それにね、お母さんが夏休み中、心配だからおじいちゃん家にいなさい、って言うから、まだまだ、ここにいられるもん。ギンやカワウソたちと遊べるのは嬉しい」
まぁ、お母さんはそう言った後、おじいちゃん経由でギンの存在を知り、俄然警戒し始めた。さっき、拝殿を抜けてこの川に行くことを伝えたときも、ものっすごい渋い顔をした。
『声の届く範囲にいるのよ。スマホ持った? 警報ベルは? 痴漢撃退スプレー、ほらこれ。これも袂に入れておきなさいっ』
そう言って、送り出してくれたのだけど。
正直、洋子おばさんのフォローが無ければ、境内からも出してもらえなかったかも知れない。
お母さんはギンの姿が見えないけど、私の視線や口ぶりから正確にギンの位置を把握する。凄腕スナイパーのようだ。
私の言葉に、ギンが微かに笑ったように見えるけど。
見えるんだけど。
本当に、視界が悪い。
私は不安になって目をこする。
「ねぇ、さっきからギンが見えにくいの。これ、契りの効果が消えてる?」
「そうだな。もうすぐ祭りが終わるから、夜目が利かなくなってんだ」
ギンの静かな声に、心臓がどくり、と奇妙な拍動をした。
「ギンには私が見えてる?」
胸を押しつけられたような、息苦しさを覚える不安に急かされるように私は尋ねる。
「見えてるよ。ほら、あの……」
ギンは少し、気まずそうに口ごもる。「なに」。私は口早に尋ねる。
「お前の涙、舐めたから。俺側は契りが継続されている」
言われても最初、ぴんと来なかった。涙。舐める。なんだっけ、と振り返り。
あの、お父さんに襲われた日。
ギンがオオカミの姿で助けに来てくれて、私の顔を舐めて涙を拭ったことだと気づいて赤面した。
「あ……。あ、そ……」
なんと言っていいかわからず、曖昧に言葉を濁し、頬に手を当てる。しゃらん、とまた飾り金具が音を立てて、焦った。なんか、焦ったことが丸わかりじゃ無い。いや、そうか。涙も体液か。
「あのさ」
落ち着いたギンの声に、「なに」とちょっとぶっきらぼうに答えてみせる。まだ頬が熱い。
「前に契ったのは、『祭りの間中の婚姻関係』なんだよ」
私に合わせなくても良いのに、ギンもぶっきらぼうな声になる。
「そうね」
さらに私は返してやる。ギンは小さく舌打ちした。なによ、そっちがそんな対応だからでしょ。
「俺は、お前とずっと、そんな関係でありたいと思ってる」
トゲトゲした口調で言われて、私はむっとした。
「どんな関係よ」
こんな、暴言を吐き合う関係でしょうかね、と私は意地悪く睨む。闇のベール越しに見るギンの顔ははっきりしない。
だけど、ぐっと息を飲んだことは分かったし、私に向き直っているのもわかる。向こうはこっちがはっきり見えているらしいから、私が眉根を寄せていることも、口を尖らせていることも見えているのかも知れない。
しばらく、ギンが黙る。
だから、私も黙った。
「俺はお前と契った。お前だから契ったんだ。だけど、お前が将来、どんなニンゲンと恋をしようが、どんな男の子を孕もうが、それはお前の自由だ。好きにすれば良い。だけど……」
ギンはそこで言葉を断ち、それからひとつ息を吸って言い切った。
「俺の妻はお前だけだ」
川の水音と、幾重にも重なる夜闇の向こうから。
明瞭な。
揺るぎの無い。
力強い声が聞こえて。
私は。
言葉を失った。
「だから、お前が今ここで契りを継続しなくても、俺はお前のことを見て、ずっと守ってやる。山に遊びに来たいなら、昼間来れば良い。お前にも見える形で遊びにはつきあってやる。カワウソもきっと、つきあってくれるだろう」
ギンの言葉は。
後半ほとんど聞こえていない。
心臓が耳の側に移動したみたいに、自分の心音がうるさいし、やたらめったら息が浅くなる。やばい、貧血起こしそう。
「……
「ごめん。ちょっと、座らせて」
よろよろと私は膝を曲げ、手を伸ばして地面を探る。丸いけれど堅さのある石達を確かめ、座り込もうとしたらがっしりと肩を掴まれて、驚いて体が震えた。
「大丈夫か?」
顔をのぞき込まれる。ギンだ。私がよろめいているのを見かねたらしい。支えてくれて、そっと地面に座らせてくれる。
同時に。
ギンも片膝をついて私の目の前に座り込んだ。
流石に。
この距離だと。
表情も。
目も。
口元も見えて。
私は小さく吹き出した。
「なんだよっ」
同時に怒鳴られ、私は堪えきれずに大笑いする。
ギンの顔が真っ赤だ。
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