第30話 おくりおおかみ
「
不意に夜の闇を抜けて声が響いてきた。
私とギン、おじいちゃんは同時に声の方を見た。
公会堂の方だ。
数人の法被を着た役員さん達がおじいちゃんに向かって手を振ったり、招いたりしていた。
「足らないんだがなぁ、お櫃が。あんた、知ってるかぁ?」
口の周囲に囲いを作り、大声でそう言う。「お櫃?」おじいちゃんも大声でやり返した。
「子供会が持ってただろ!」
「だから、数が足らん」
おじいちゃんは溜息をつき、それから私達に顔を向けた。
「わし、ちょっと公会堂に寄って帰るから。
おじいちゃんは早口にそう言う。
私は頷いた。ここからおじいちゃん家までは直線で数分。街灯はないけど、夜目が今は利くからそんなに怖くない。
頷く私を確認し、おじいちゃんは公会堂に向かって走って行った。
「俺が送るぞ」
ギンが少し首を傾げるようにして私に言う。
じゃあ、お願いしようかな、と思った瞬間、頭に浮かんだのは、「送り狼」という言葉だった。
これは、もともと、オオカミやイヌが獲物を追尾するときに、一定の距離を保ちながらついてくる習性のことだ。
夜道を旅人が歩く。
ひたひたひた、と。
何か自分以外の足音がする。
周囲を見ても、人の気配はしない。
よくよく目を凝らすと、闇夜に光るのは、いくつもの山犬やオオカミの目。
旅人は自分が『餌』として狙われることに恐怖する。
喰われるかも。
その怖れの心が。
妖怪を産む。
『送り狼』あるいは、『送りイヌ』という妖怪は、ちゃんといる。
この妖怪に狙われた旅人は、決して「走ってはいけない」。
「歩みをとめてはいけない」。自分のペースを保ち、不用意に振り返らない。
そして、無事、夜道を抜けて妖怪の気配が消えたら。
それは、『夜道を守ってくれたのだ』ということで感謝の言葉を述べないと、罰があたるのだ。
ただ。
現在は、それが転じて「家に送るとみせかけ、女性を襲う男」になるわけで。
「………………ダイジョウブ」
思わず固い声でそう答えてしまった。ギンは不思議そうに目を何度か瞬かせ、それから、「わかった」とばかりに頷く。
「遠慮してんのか。馬鹿だな。いいのに」
違うわっ、と心の中で突っ込んだときだ。
「オオクチー!」
艶のある声が山から響いてきた。
私は漠然と山に目をやる。当然というか。
山頂の神社の影ぐらいは見えるけど、それ以外は闇に飲まれてなんにもわからない。
ただ。
流石にギンには何か分かるらしい。
「どうした?」
山の一点を見据えて尋ねる。
「ヤマヒメの足が速くなった! 力の弱い妖怪が逃げ遅れている!」
この声は多分、
それぐらいのことはわかるけれど、場所はさっぱりだ。
がさがさと木々が揺れ、葉がこすれる音が聞こえるから多分、あの辺りを滑空しているのかな。
「朱里を家に送ったら、そっちに向かう」
そんなことを言うから、私は慌てて首を横に振る。
「行ってあげて。私はすぐだから」
見上げたギンは、それでも困惑顔だ。
「私は平気だって」
そう言ってから笑った。
「心配ならさ。あとでおじいちゃん家に来てよ。三人で夕ご飯食べよう」
ギンはようやく納得したようだ。何度か頷いた。
「じゃあ、そうする」
ギンの言葉にほっとした。
いや。
考えすぎだとは思うのよ。
考えすぎだ、って。
だけど。
なんというか。
ギンと夜、二人っきりで会うのはもう少し後にしたいのよ。
だから。
おじいちゃんと三人でご飯を食べよう、と提案して「そうする」と納得してくれたことにほっとした。「ふたりがいい」とか、「二人で会おう」とか。そんなことを言われたら、どうしようかと内心焦っていた。
「何かあれば、俺を呼べ」
ギンは一度首をねじって私にそう言うと、くるりと背を向けた。草履を蹴って闇に走り出す。
浴衣なのに。
草履なのに。
手や足を大きく振っているわけでもないのに。
――― ……早……っ。
オリンピックとか絶対選ばれるよ、あれ。
私は呆然とその背中を見つめたけれど、それも数十秒だ。
山道に入ってしまえば、その姿は簡単にかき消えた。
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