第11話 夫婦
「お互いに『気』を交換しないと、この契約は発動しない」
私の表情を読み取ったのだろう。少し気の毒そうにギンが眉を下げる。
「ど、どうしたらいいの……?」
私はなんとなく座布団の端を握り、身を小さくする。まさか、こんな妖怪だらけのところで強引にコトに及ぼうとすることはないだろうけど。
「方法はいくつかある。実際に交わるのが確実なんだろうけど……」
「却下っ!」
ひっくり返った声で断言する。ギンは顔をしかめ、「しねぇよ」と吐き捨てる。そのあと、言い難そうに「その……」と、前置きした後、
「口づけもイヤだろう?」
ぼそり、とそう尋ねた。
「……まぁ………」
私も呟き、上目遣いに見上げる。その視線を受け、ギンは困ったように首を傾げた。
「じゃあ、どうする?」
そう、私に問う。
端正な、顔だ。
なんというか、凜々しい顔なのよね。
一重なんだけど、きりっとした瞳とか、無駄のない体つきとか。逞しいのよ。
男前なこんな人の申し出を退ける権利が私にあるのか、と正直戸惑うのだけど。
ギンは。
静かに。
落ち着いた榛色の瞳で、私の言葉を待っている。
「例えば、『握手』とかだと、だめなのかな」
伺うと、ギンは口の両端をわずかに下げた。
「はっきり言うと、俺の体液と朱里の体液が交わらないと無理だ」
その言葉に、衝撃を受け、「ひぃ」と声が漏れる。
「い、今までのヒメミコさんはどうしてたの?」
思わず尋ねると、ギンは不思議そうに目を数度まばたきした。
「俺はまだこの山に来て年が浅い方なんだ……。この祭り自体、初めてでな。どうしてんたんだろう」
そんなことを言いだした。なにそれ。ギンも初めてなの?
「今までは、わし等のことが見えるニンゲンというのが、そんなにおらなんだからなぁ」
目の周りがすっかり赤くなった狸が、つきだしたお腹をさすり、さらに平子をラッパ飲みする。ぐびぐびと数口飲んだ後、大きくげっぷするもんだから、隣の
「こうやって、ひとり残された『ヒメミコ』をわし等の力で押さえつけて、気絶させて、傀儡にして……。あとは、その時の婿の好みさね。交わるやつもいれば、口を吸うやつもおったし。ニンゲンと交わるなどまっぴらだ、と血を吸うヤツもいたな」
「「血を吸う?」」
思わず尋ね返す声が、ギンと被った。狸は愉快そうに「ひひひ」と笑い、手刀で自分の首を叩く。
「血を吸うとき、唾液と混じり合うから契りは結ばれるのう」
吸血鬼みたいに、か。
ギンの視線に気づいたものの、慌てて首を横に振る。無理無理無理。
「そうだ。とにかく、俺の体液がお前の体に入って、お前の体液が俺に入れば良いんだよな」
まっすぐに目を見て言われても、狼狽える。ま、まぁ、そういうことですが……。
「ちょっと痛いが、これはどうだ」
い、痛い!? 痛いって、どういうこと、とギンをガン見する。
「指の先でもいいから、少し傷を付けて血を杯に落とそう。その血を互いに飲み干すというのはどうだ」
「……あ」
おもわず声を上げた。
それはいい。
それにしよう。
がくがくと頷くと、ほっとしたようにギンが微笑む。ふわり、とした。まるで春のお日様のような笑みだ。
「ほぅら、酒を満たして上げよう」
気づけば野衾が平子を持って立っていて、優雅な仕草で杯にお酒を満たしてくれた。
「少し痛いが、悪い。手を出せ」
ギンに言われ、そっと彼に向かって右手を差し出す。ギンは着物の懐から布に包まれた小さい刀を取り出し、塗りの綺麗な鞘を抜いた。
私の手首を握るから、びくりと肩が震えたけれど、「悪い」と声をかけられ、頷いた。鈍色の切っ先を、私の人差し指に当てる。ちくり、と注射針が刺すような痛みが有り、すぐにぷくりと、血が盛り上がった。
「酒に」
そう促され、私は慌てて杯の上に指をかざす。
だけど。
量が少ないのか、『滴』として、杯に血が落ちない。ふってみたけどやっぱりダメだ。
「指を浸けたら良いよ、お酒に」
くすりと笑って野衾が言う。いや、だけどコレ、飲むわけでしょ、と躊躇っていたら、「かまわねぇ」とギンの声が聞こえた。彼は躊躇いもなく自分の左人差し指に切っ先を押しつけていた。杯の上に指をかざすと、ぼとりと一滴。ルビーのような珠が落ちる。仕方なく私は杯に指を浸すと、透明な液体に、わずかに紅が混じった。
「じゃあ、交換」
野衾が私の杯とギンの杯を持ち上げ、入れ替える。
受け取った杯をのぞき込むと、もう血の色は見当たらない。横目にみやると、ギンは躊躇なく杯を呷り、私もそれに倣って、さっきより少し量の多いお酒を飲み干した。
さっきは薫りだけだったけど。
今は十分に味がわかる。
シナモンに似た薫りが鼻に抜け、舌に残るのは梨に似た甘みと蜂蜜のようなコクだった。
とろん、とした眠気に似た酩酊が頭の芯をしびれさせる。
「これにて」
ぱん、と狸が柏手をひとつ打った。
「このふたりは、夫婦なり」
狸が宣言し、野衾とペンタチコロオヤシが声を揃えて「応」と声を発した。遅れてカワウソが「はーい」と声を上げている。
私は、なんとなく隣のギンを見た。
ギンも、私を見ていて、少しこそばゆい。
慌てて視線を御膳に落とし、俯いた。
こうして。
私は十六歳の夏。
かりそめだけど。
妖怪と、結婚した。
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