第37話

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 波多野孝行は上機嫌だった。

 今日も篠原麗子に挨拶すると笑顔で応えてくれた。いい感じだ。黒川拓磨がくれた紙に願い事を書いた効果が出ているに違いなかった。アプローチも次第に積極的になっていく。初めは挨拶だけだったが、最近は勉強の話もするようになった。確実に恋人同士の関係に近づいている。彼女も同じように会話を楽しんでいる様子が伺えた。もし直に告白したら、すぐにガールフレンドになってくれそうな雰囲気だった。

 さて、もしそうするなら何て言えばいいのか? 『きみのことが好きだ。ぼくと付き合ってほしい』、だろうか?

 うえーっ、恥ずかしい。書くのと言うのじゃ、えらい違いだ。こりゃ、練習が必要だな。自宅で父親がいない時にするしかなさそうだ。

 エドウインのジーンズを穿いて、ライトオンで購入したウエスタン・シャツを着て洗面所の鏡の前に立つ。いい格好で、しっかりポーズを決めて、台詞を口にしないとダメだと思ったからだ。

 「きみ--、ぎゃはっ。あっ、はは」言おうとした途端、可笑しくて吹き出してしまう。こりゃ、笑える。

 恥ずかしくて、あまりにも滑稽で腹を抱えて笑ってしまう。こんな事じゃダメだ、と分かっていても抑えられない。もう洗面所の前に立っただけでゲラゲラ笑えた。情けないが、こんな子供みたいな中学生が大人びた篠原麗子に告白するなんて喜劇でしかないと思えた。このままだと死ぬまで女の子に好きだ、なんて言えそうにないと不安になった。

 どうすれば笑わずに、かっこよく告白できるんだろうか? そうだ、洋画を見よう。ラブシーンで学ぼうと考えた。レンタル・ビデオ屋に行って『ジュマンジ』、『ロッキー』、『ターミネーター』、『スターウォーズ』を立て続け借りた。映画は面白かったが、学ぶべきものは何もない。参考になりそうなラブシーンが、ほとんどなかったからだ。

 そんなある日、登校して下駄箱を開けると、中に白い紙を見つけた。手に取ると書いてある文章が目に飛び込んできた。

 『きみも同じ気持ちだったと知らされて嬉しい。もちろん返事はOKだ』

 篠原麗子からの返事だと思った。うわっ、やった。だけど……、だけど何か変だ。文章が女の子らしくない。左下に書かれた新田茂男という名前を見て、波多野孝行の身体に衝撃が走った。じょ、冗談じゃないぜっ。

 二年B組の教室へ急ぐ。「どうした、波多野?」階段を上がっていく途中で声を掛けられた。ちぇっ。新田茂男だった。会えて嬉しいとでも言いたそうな感じだ。ふざけんなっ。無視した。あいつとは二度と口を利きたくない。

 教室に入って、黒川拓磨の姿を見つけると駆け寄った。

 「おい、話が違うじゃないかっ」けんか腰の口調になるのを抑えられなかった。

「え?」

「ここじゃダメだ。廊下に出よう」

 波多野孝行は黒川拓磨を連れて教室から出た。こんな恥ずかしい話は誰にも聞かれたくない。

 「一体、どうした?」

「どうした、じゃないぜ。返事がきたんだ」

「それは良かっ--」

「良くない。返事は篠原麗子からじゃなかった」

「え。じゃ、誰から?」

「新田茂男だっ」

「マジかよ」

「そうだ。ふざけんな。オレは男と付き合う気なんかない」

「……」

「おい、何とか言えよっ。お前が紙に願い事を書けば、それが叶うって言ったんだからな」

「だけど、こういう結果を招いたってことか」

「そうだ。オレに嘘をついたんだろう?」

「いや、そんな事はない」

「じゃ、この結果は何だ?」

「篠原麗子と仲良くなりたいと真剣に願ったか?」

「あたりまえだ」

「じゃあ、ぼくと加納先生が仲良くなれるように真剣に願ってくれたか?」

「……」うっ。痛いところを突かれた。何も言えない。

「おい、どうなんだ?」

「それは、それなりに……」形勢が逆転した。

「なるほど。わかったよ」

「なにが?」

「きみが約束を守らなかったから、この結果になったんだ」

「オレの所為なのか?」

「そうだ。あの時、きみは自分の事とぼくの事も同じように真剣に願うって約束しただろう」

「……」オレより背が低いお前と、あのスタイルがいい加納先生が恋人同士なんて想像できるか。無理があるぜ。

「仕方ないな。新田茂男と付き合うしかない」

「ま、待ってくれ。そんなこと……」

「警告しただろう。真剣に願わないと期待していたのとは違う結果になるかもしれないって」

「……」

「せいぜい新田茂男と仲良くするんだな」

「ま、待ってくれ」黒川拓磨が背中を見せて教室へ戻ろうとするのを引き止めた。

「なんだよ」

「どうすりゃいい? オレは新田茂男と付き合えない。男なんかとデートするなんて、どうしてもイヤだ」

「……」

「頼む。助けてくれ」

「……」

「何か方法はないのか? もう新田茂男の顔も見たくないんだ」

「そこまで言うなら、ない事もないけどな……」

「え?」

「だけど今度は約束を守らないと、もっと大変なことになるぞ」

「わかった、大丈夫だ。必ず守るから」

「よし、それなら」

「教えてくれ」

「三月の十三日の『祈りの会』には出てくれるよな?」

「もちろんだ」

「それに出来るだけの多くのクラスメイトを誘ってくれ」

「え? オレが」

「そうだ。どれだけ多くのクラスメイトを集めてくれたかで、きみの期待していなかった願い事の結果が解かれるのさ」

「……」

「どうだ。きみにやれるかな?」

「何人ぐらい集めればいいんだ?」

「できるだけ多く」

「二、三人でもいいのか?」

「それなら、それなりの効果しかないだろうな」

「じゃあ、十人だったら?」

「いい数字だ。災いは消えてなくなるかもしれない」

「わかった。それをしないと、オレは新田茂男と付き合わなきゃならないんだよな?」

「そうだ」

「やるよ」絶対に十人以上を集めてやろうという気持ちになった。

「よし。期待してるぜ」

 新興宗教の勧誘みたいな事をさせられるのか。黒川拓磨が立ち去った廊下の隅で波多野孝行は考えた。

 魔法の紙に願い事を書いたが何の利益にもならなかった。以前よりも篠原麗子と仲良くなれたのは、その効果じゃなかったらしい。

新田茂男に言い寄られて、願い事を書いただけ損した感じだ。その為に多くのクラスメイトに声を掛けて、『祈りの会』に誘わなきゃならない。なんでオレがそんなことを……。あいつに利用されたんだろうか? 波多野孝行は騙された思いだった。

 いつも夕飯の前に風呂に入った。洗面所の鏡に映った自分の姿を見ても、もう可笑しくない。笑いたくても笑えない、そんな気持ちだった。

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