第35話


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 あれっ。

アイスクリームを食べ始めて、少女はフレーバーを間違えて買ってしまったかと思った。いつものストロベリー味じゃなかった。バニラみたい。手にしたカップのラベルを見る。えっ、びっくり。ストロベリーと、しっかり書かれているのだ。どうして? 

それが始まりだった。

いつか治るだろうと軽く考えていたが味覚は元に戻らない。そして黒板の文字が見づらくなっていることに気づく。夜中の二時までベッドの中で、ベスト・オブ・フィル・コリンズのCDを聞いていたからだろうか。そう思って、その夜は早く寝た。少し良くなった感じがした。メガネは掛けたくなかった。自分に似合わないのが分かっていたからだ。父親の目薬を使うことを心掛けた。

 学校の帰り道、手塚奈々に追いつかれて後ろから肩を叩かれた。「ずっと呼んでいたのに気づかなかった?」

「え、本当? 分からなかった」そう何気なく笑顔で答えたけど、心に引っ掛かるモノがあった。近ごろ聞こえづらくなっているような気がしていた。「え、いま何て言ったの?」と聞き返す場面が少なくなかった。

 味覚の変調に続いて、視力と聴力の低下。これは何か変だ。学校を休んで医者へ行くべきじゃないか。そう決心した翌朝、少女は身体の違和感で目が覚めた。パジャマのボタンを外してみると、左の脇腹一面に多数の小さな黒い発疹ができていた。

 ぎゃっ、気持ち悪い。自分の身体じゃなかった。南米のアマゾン奥地なんかに生息するトカゲの背中と同じ。その部分は足の踵みたいに皮膚が硬くなっていて、皮がボロボロと剥ける。どうして? 

 こんな姿を誰かに見せるなんてできない。この黒いブツブツを自分で治してからじゃないと病院へは行けない。

 誰からも可愛いと幼少の頃からずっと言われ続けてきた。そのプライドが、醜い身体を他人に見せることを許さない。

 少女には考えがあった。母親が庭で栽培しているアロエだ。これで湿布をしよう。何年か前の夏に酷い日焼けをして、アロエで治した経験があった。きっと、これが効く。その日の晩から始めた。

 視力と聴力、味覚を取り戻すためにミキサーでアロエ・ジュースを作った。身体の内部からも病気を退治するのだ。

 効果があったのか一時的に回復に向う。だが、しばらくすると黒いブツブツが脇腹から乳房の方へと範囲を広げ始めた。これは拙かった。オッパイは女性としての象徴だ。なんとしても守りたい。湿布の回数を増やして対抗した。そのうち、モノを噛むと歯茎から出血するようになる。

 「お姉ちゃん、口から血が出てるよ」

 妹と二人でリンゴを食べていて知らされた。「やだ、唇を噛んじゃったみたい。お願いだから、パパとママには言わないで」と、誤魔化した。

 ときどき目眩もして、疲れやすくなった。病魔との闘いは続く。強い精神力が少女を支えた。

 夕飯の前には必ずシャワーを浴びる。シャンプーをしていて違和感を覚えた。手に何かが絡んでいる。目を開けてみると両手に黒い髪が大量に撒きついていた。肩まで伸ばした自慢のストレート・へアだった。「あ、ううっ」

 少女は嗚咽を漏らすと、濡れたタイルの上に泣き崩れた。病魔との闘いが終わった瞬間だ。もう敗北を認めるしかなかった。

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