第6話『新しい朝』

 7月6日、土曜日。

 ゆっくりと目を覚ますと、部屋の中がうっすらと明るくなっていた。窓の方を見るとカーテンの隙間から陽差しが差し込んでいる。昨日は休日前にしては早めに寝たけれど、ぐっすりと眠ったんだな。

 部屋の時計を見てみると、今は午前8時過ぎか。9時間以上寝たんだ。


「宏斗さん……」


 エリカさんの声が聞こえたので見てみると、彼女は昨日と変わらずに、俺の左腕をぎゅっと抱きしめながら気持ち良さそうに眠っている。可愛い寝顔だ。

 あと、エリカさんのしっぽが俺の体の上まで伸びており、たまに先っぽの方だけ動いている。一緒に寝ているのが人なのかどうか分からなくなってきた。

 きっと、昨日の夜は、今のようにずっとエリカさんに寄り添われていたのだろう。結構温かいのに、全然暑苦しくなかったな。エリカさんの甘い匂いも感じるからなのか。それとも、腕にとても柔らかい感触があるからか。

 ただ、目が覚めると誰かがいるっていうのはいいもんだな。妹達が小さかった頃を思い出して、気持ちが温かくなる。


「宏斗さん、好き……」


 そんな寝言を呟くと、エリカさんは俺の腕から両手を離し、俺の体の上に乗ってくる。ちょっと重いけれど、エリカさんが気持ち良さそうに寝ているので、ここから動いたり、彼女を起こしたりするのは気が引ける。


「よしよし」


 左手でエリカさんのことを抱きしめ、右手で彼女の頭をそっと撫でる。すると、それが気持ちいいのか、しっぽがフリフリと動いていて、耳がピクピクと動いている。猫みたいで可愛らしいな。ほっこりする。

 そういえば、エリカさんは今ごろ、どんな夢を見ているんだろうな。寝言からして俺が登場しているのは確実だろう。夢の中の俺は何をされているのか。


「えへへっ、これで私と同じで耳としっぽがあるよ」


 エリカさんに魔法を掛けられて、耳としっぽを生えてきたのだろうか。平和そうな夢で良かったよ。


「うんっ……」


 エリカさんはゆっくりと目を覚ます。20年間眠り続けたエリカさんにとって、9時間くらいの睡眠で起きるとは大躍進と言ってもいいんじゃないだろうか。


「あっ、宏斗さん。おはようございます……」

「おはようございます、エリカさん」

「うん、おはよう」


 ふああっ、とエリカさんは大きなあくびをして目を擦っている。今の状況をようやく理解したからか、エリカさんの顔が赤くなる。


「ごめんなさい、宏斗さん。寝相が悪くて……」

「このくらいならいいですよ。ベッドから落ちてしまったわけじゃないですし」

「そう言ってくれて良かった。小さい頃は特に寝相が酷くて、お姉ちゃん達と一緒に寝たら朝に怒られたことあって」

「そうだったんですか」


 エリカさんは110歳だから、小さい頃というのはおよそ100年前のことだろう。そのくらい経てば、さすがに寝相も良くなっているか。


「でも、宏斗さんとこうして寄り添っていたからかな。夢の中でも宏斗さんと一緒にいたの。幸せだった……」

「寝言で俺の名前を呟いてましたよ」

「……そっか。ちょっと恥ずかしいな」


 そう言うと、エリカさんははにかみ、俺の頬にキスをしてきた。起床時と就寝時にキスをするのがダイマ王星での習慣なのかな。


「ただ、ちゃんと起きることができて良かった。宏斗さんと一緒に寝たからかな」

「もし、俺が少しでもお役に立つことができたなら嬉しいです。8時過ぎですし、着替えて朝食を作りますか」

「私に作らせて! もちろん地球の料理だから!」

「分かりました。ちなみに、どんなものを作るつもりなんですか?」

「地球料理のフレンチトーストだよ。ダイマ王星にいた頃、リサに作ってもらったものが美味しくて、自分でも作りたいから教えてもらったの」

「そうなんですか。食パンもありますし、卵や牛乳などもあるので大丈夫です」


 フレンチトーストは俺も作れるけど、美味しくできるまでは何度も失敗したな。焦げてしまって食べられないときもあったし。

 あと、地球の料理とはいえ、きっとダイマ王星の食材や調味料を使ったに違いない。果たして、地球にあるものでできるのだろうか。


「エリカさん。家にある材料は地球のものですが大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよ。任せておいて」


 エリカさんは自信満々な様子でそう言った。ここまでやる気になっているから、まずはエリカさんにフレンチトーストを作らせてみよう。

 私服に着替え、顔を洗って歯磨きをした後、俺はフレンチトーストに必要なものをキッチンに揃える。

 ロングスカートとTシャツ姿というラフな格好で現れたエリカさんは、キッチンに到着すると赤いエプロンを着た。ちなみに、スカートにしっぽ用の穴が空いており、そこからしっぽを出していた。


「エプロン姿、似合っていますね」

「ありがとう、嬉しいな」

「とりあえず、フレンチトーストに必要な材料は揃えました。これで大丈夫ですか?」

「うん。これで大丈夫だよ。ありがとう」


 さっそく、エリカさんはフレンチトースト作りに取りかかる。一応、サラダを作りながら隣で見守ろう。

 こうして横で見ていると、エリカさんって耳としっぽは生えているけれど、それを除けば地球人と変わらないな。綺麗な大人の女性というか。結婚したいと言われ、エプロン姿をしているからか若妻にも見えてくる。110歳だけれど。

 そんなエリカさんは落ち着いた様子で、手際よく下準備をしている。


「ふふっ、そんなに私のことを見て。そんなに私の料理が不安なのかな? それとも料理をしている私の姿に見惚れてくれた?」

「ここでエリカさんが料理をするのは初めてですからね。材料も地球のものですから不安はあります。あと、地球とさほど変わらない服装も似合うなと思いまして」

「そっか。そう言ってくれる宏斗さんのためにも失敗できないな。よし、準備もできたから後は焼くだけかな」


 そう言って、エリカさんは食パンを焼き始める。そのことで食欲をそそる甘い匂いが広がって。お腹空いてきた。


「よーし、ひっくり返すよ。とりゃー!」


 エリカさんがフライパンを上げた瞬間、

 ――ベチョ。

 力加減を間違えたのか、食パンが勢いよく飛んでいき、天井に張り付いてしまった。これぞまさにフライパン。


「……やっちゃった」


 エリカさんがそう言うと、天井に張り付いた食パンがフライパンの上に落ちてきた。そのときに響いた音がとても切なかった。


「ううっ、ごめんなさい。宏斗さんの前でかっこつけようとしたら、失敗してしまいました……」


 エリカさんは涙を浮かべながら俺に謝罪してきた。俺の目の前で初めて料理を作るのでかっこつけたかったのだろう。


「今回はいいです。パンもまだありますし。なるべく、そこにあるターナーで食材をひっくり返すようにしましょう。あと、地球人よりも筋力があるので、料理だけでなく、日常生活で力加減には気を付けるようにしてくださいね。周りの方に迷惑を掛けてしまうかもしれないので」

「……分かりました。気を付けます」

「お願いします。では、俺が天井を拭きますので、その間、エリカさんはフライパンを洗って、また下ごしらえをしておいてください」

「うん、分かった」


 俺は脚立を持ってきて、雑巾で天井に付いた汚れを拭く。パンが天井に付いてからあまり時間が経っていないので、難なく汚れを拭き取ることができた。

 数分後、エリカさんはフレンチトースト作りを再開する。今度こそ最後までできるといいな。

 俺のサラダ作りは、さっきの出来事があった時点でほぼ終わっていた。エリカさんは好き嫌いはがないって言っていたけれど、地球の生野菜はお口に合うかどうか。


「はーい、フレンチトーストできあがりました!」

「美味しそうですね。サラダもできました」

「じゃあ、さっそくリビングで食べよっか」

「ええ」


 一度は失敗してしまったけど、今度はちゃんと美味しそうにできたな。

 エリカさんはフレンチトースト、俺はサラダをリビングに運ぶ。あと、俺は2人分の温かい紅茶を淹れる。

 フレンチトーストの見た目や匂いはとても美味しそうだ。これまでに俺が作ったものと似ている。


「さあ、宏斗さん。食べましょう」

「そうですね。いただきます」


 エリカさんは両肘を付いて、笑顔で俺のことをじっと見つめてくる。自分の作ったフレンチトーストの感想を聞きたいのだろう。しっぽを左右にフリフリさせているところが可愛らしい。

 ナイフで一口サイズに切り分け、俺はフレンチトーストを食べる。


「凄く美味しいです」

「良かった。地球の材料で作ったのは今回が初めてだったから、実は私もちょっと不安だったんだ。……かっこつけようとして失敗したけど」

「その失敗はありましたけど、本当によくできていますって。初めて作ったとは思えません。本当に美味しいなぁ」

「宏斗さんがそう言ってくれて良かった。私もいただきます。……うん、美味しくできてる。地球の食材がいいからか、いつもよりも美味しい気がする」


 エリカさんは嬉しそうにフレンチトーストを食べている。このフレンチトーストが遥か遠いダイマ王星で食べられていると思うと、何だか不思議な気分になる。

 天井にパンが張り付くという予想外の事態もあったけど、エリカさんと迎える初めての朝は楽しい時間になったのであった。

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