第34話
*****
「扉にお耳ぺっとりで全部聞かせてもらったけど、怒鳴らなくても会話出来るんじゃん」
ねぇ? と、死人使いは後ろを振り返った。
「それとも苗床様と主様とじゃ格が違うから接する態度も変わるって? やーだそれって差別じゃありませんことー?」
伊久が覚醒して目にしたのは、それが一番はじめの光景だった。
「……主様、は?」
「はーぁぁぁあ、結局それか『主様』。ご本人から正しい話をぜーんぶ聞いても、染みついた根性は抜けないもんなんだねーぇ」
そう言って首を大きく横に振った死人使いの隣に、相変わらず白い布で顔面の半分が覆われている馨が顔を出した。
「私たちが静かになった部屋からお前を運び出した時には、もう出立されていた。庭園管理責任者として庭園のすべてをお前に任す、から始まる書置きを残してな」
「俺を、運び出す……?」
己の状況を鑑みると、いつもは馨が臥せっている布団に、伊久は寝かされているのだった。
がばりと半身を起き上がらせると、
「なんで、俺は主様と話をしてて」
と記憶の最後を取り戻そうとする。
それを途切れさせるように、
「どうやら入れられたのは紅茶。使われてたのは即効性……ではないけども少し話をするくらいの時間しか与えてくれない睡眠薬。ま、飲みなれない味だから気付かなかったんでしょーねぇ」
茶化したような声で死人使いが言った。
――睡眠薬。
それでも使わないと、自分が主を引き留めると分かっていたからか。
紅茶は初めから出されていた。ならば、自分に話すことを決めた時から、出て行くことも決めていたのか。
伊久は片手で顔を覆うと、小さく、くそっ、と呟いた。
「知らない方がよかったって思ってんの?」
死人使いの言葉にも答えず、伊久は唇を噛みしめている。
「ワシは
そこまで言って、死人使いはひらりと体の向きを変えた。
「さーて
死人使いは布団を敷くため部屋の隅へ追いやられた茶卓の方へともぞもぞ移動する。
あぁ、と、馨もそれに続いた。
「それで、四代目を生み出す際に、幽ノ藤宮様は何だと?」
「現在庭園に居ること、そしてカバレムちゃん宛ての注文が多いことから、やっぱりカバレムちゃんを苗床として預からせて居て欲しいって」
二人は、カバレムからフィバンテへ変わった経緯について話しているようだ。
「でもワシの読んだ三代目カバレムちゃんの意思はね、『もう怖い』って言ってたんさ」
「カバレムは、承知の上で苗床になったのではなかったのか?」
「そーだよ。まぁ……初代は何も知らずにワシと幽ノ藤宮さんの交渉結果だけで苗床にされちゃった訳だけど。でも二代目の時は少なくともそうだった! ワシが死んだ初代の記憶意思を読んだら、『きれいな姿になれるのは嬉しい』って言ってたからね! でも三代目は、二年以上も植物に巻き取られて生きてたら、怖いなぁって気持ちも出てきちゃったみたいでね。今回の意思読みの時には、『嬉しかった、でもそろそろ植物と生き続けるのが怖い』って言ってたんさ」
かーわいいカバレムちゃんにそんなこと言われちゃしょーがないでしょー? と、死人使いはばたばた袖を振る。
「それで」
「それで、解放した。つまり本当に本当のさよならだね。だからカバレムちゃんの魂……っていうか意思は、もうこの世のどこにも居ないの。ワシは誰より本人の意思を尊重させることで有名だからね! フィバンテだって元々の意思の持ち主がもう死んでんのに『死にたくない』ってうるさいほどに何度も言ってたから今回使ってあげ――」
「ではやはり、カバレムとフィバンテで中身が違うのだな」
言葉をぶつ切にされたにも関わらず、うん、と死人使いは頷く。
「だから、フィバンテに入ってんのは別な生き物の意思。それを入れる際にちょっとだけ幽ノ藤宮さんと対立したんだよねーぇ。とあることの罰としていろんな生き物の死骸にゾンビ転生させてった末での状態だったから自棄になってたのか、移し替えようとしたその意思が、『やってみろよ、植物なんて枯らしてやる』って怯えながらも息巻いてて。そんなのをあのデッカいカバレムちゃんの身体に入れて、ガラスドームで暴れまわられちゃ困るでしょ? だから別な個体からの意思植えしたかったんだけど、ワシが持ち歩いてるゾンビ生物の中にも他に丁度良いのも無くてーぇ」
「そうなればどうせ幽ノ藤宮様は」
「うんたぶん予想アタリ。それなら自分が死んでカバレムに入ろうって」
慌てて怒って止めたよねー、と死人使いは明るく笑った。
「そりゃ幽ノ藤宮さんなら何回カバレムに転生したって喜んで苗床になってくれるだろうけど。そんなのワシがヴァネッちゃんに殺されるじゃん、怖いじゃん。落ち着かせよう、苗床至上思考。考えよう、周りの迷惑」
「結果的に、フィバンテの中に入ってる意思はどこからきたものなんだ?」
「あぁそうそう。それで結局ね、よぉーーーくお話して聞かせるからって幽ノ藤宮さんを思いとどまらせて、実際時間を重ねてよぉーーーくお話して聞かせて、元々入れようとしてた意思をブッ込んでやったのさ」
「それで時間がかかったのか」
納得したように頷いた馨に、そーなんだけどね、と死人使いは続ける。
「そんでもなかなか強情だねアイツも。暴れまわりはしてないけど、幽ノ藤宮さんに取ってきてもらった、その場で発芽するレベルの濃ゆーい感染源を落とした背中から芽が生える度に、何故かすぐに枯れちゃって。……あれって意思だけで身体が抵抗出来てんのかな? アイツのあれもヴァネッちゃんの蔓みたいな個体例外なのかもしれないけど、まぁでももしかすると馨もうんと拒否すれば植物生えなくなるのかもよ?」
だって頑張って咲かせた花をあのオジーチャンにあげんの癪じゃない? と、本人にだけ聞こえるように死人使いは囁いた。
馨を庭園に預かり受ける際の条件の一つとして、馨の花を買う――ではなく譲り受けることが出来るのは、血縁者である
馨は、そうか、とだけ静かに返した。
「まぁとにかく、だから今のフィバンテは背中に幽ノ藤宮さんが落とした感染源と戦ってんの。アイツ自体はまだ可愛いと思えないけど、一応飼い主として、あと本人意思尊重派として、ワシはフィバンテ応援してるー」
と、死人使いは笑った。
「ドク先生が幽ノ藤宮様と死人使いとの対決と言っておられたのはそういうことか」
「おぉ、対決! そーだね、フィバンテに花が咲けば幽ノ藤宮さんの研究成果の勝ち、花が咲かない状態が続けばワシっつーかフィバンテっつーか意思の強さの勝ち!」
どっちに賭ける? と楽し気な死人使いから、賭け事は嫌いだ、と、馨は顔を背けた。
そして、
「そろそろ立ち直れたか」
と、立ち上がって再び伊久の前に近寄った。
「…………」
「まだなんじゃなーい? 流石に」
後ろ手をついて二人の様子をしばらく見守っていた死人使いは、
「…………」
「…………」
「だめこの雰囲気耐えられない。ワシ、フィバンテ見てくんね」
沈黙を突き破って両手を上げ、そう言い残すと和館から出て行った。
ばちゃばちゃと遠ざかる音を聞き、そういえば今日は雨が降ってたんだったなと伊久は顔を覆ったままに思う。
主の背後に見えていた窓の光景を思い出し、主の言葉と表情を思い返し、先ほどから何度も繰り返している思考にずぶずぶと絡み取られていく。
あの時には自分のことしか考えていなかった。
だけどどうだ、自分は良くても――。
「恐らく、だが」
ふと、隣に、馨が座った気配がした。
「昨日の話の切り上げの様子から察するに、ジルさんも薄々は気付いているのだと、私は思う。それでいてジルさんは『今の状態を選び続ける』と言った。……私も幽ノ藤宮様に対し、感謝こそすれ、憎んだり恨んだりなどしていない」
だから、と、馨は小さく、伊久に聞こえるように言う。
「今なお苗床という存在が居るからと言って、自分が苗床を守るべき栽培者だからと言って、お前が主としていた人物を責めなくてはならないという訳では無い。そういうものになど遠慮せず――お前はお前で、師を失ったという個人的な問題を存分に嘆けばいい」
ややあって、
「……お前はさぁ」
と、鼻水を啜る音と共に伊久が言った。
「なんでそう、俺の考えることが分かんだよ」
「さてな。お前の思考が読み易いせいではないか?」
「あと、こういう時は席を外してやるとか、そこまでの気配りは出来ねぇわけ?」
ふっと笑いを零すと、馨は窓の外を見るようにして言った。
「こちらは昨日からこの頬だぞ。そちらの珍しい面くらい拝ませてもらわぬと気が済まぬわ」
雨は、降りやまない。
*
本当は。
幽ノ藤宮が出立するとき、馨はその場に居た。
――ざぁざぁと雨は降っている。未だやむ気配は無い。
裏口から静かに出ようとしていた手を抑え、
「故郷に戻るのですか」
と、馨は尋ねた。
幽ノ藤宮は驚くでもなく、えぇ、と頷いた。
「ゾタ山では先日雪崩が起きたという話でしたが」
「まぁ。その情報まで掴んでいたのですね。向こうの地域に関して送っていただいているわたくし宛ての電信は、お貸ししていないはずですが」
責める様子も無く言う幽ノ藤宮は、
「商さんには会得中の文字の地域の新聞を時々取っていただいています」
という馨の返答に納得したように頷いた。
「それで、故郷に戻ってどうするのですか」
「まずはシュリカの現状を見て……出来ることなら、研究の成果を試してみたいと思っています。今ある成果が向こうで使えないならば、懐かしい部屋で更に研究をしようとも」
「それは、住民の同意をとって?」
さぁどうでしょう、と、幽ノ藤宮は微笑んだ。
「本当にあなたは根っからの研究者なのですね」
「ふふ、ありがとうございます。ですから結果によって帰りは何とも言えませんし」
「帰ってくる気はあるのですか」
言葉を切るようなその質問に、幽ノ藤宮はしばらく黙った。
「……伊久とすずかには、戻るかどうかも分からない、と告げてあります。すずかが泣いてしまったので、伊久に聞こえたかは分かりませんが」
「それで、あなたに、帰ってくる気はあるのですか」
再びの、そして強調をいれた質問に、今度の返答は早かった。
「分かりません」
「分からない」
「えぇ。わたくしは、……ここに居るわたくしが、わたくしの存在が、良いものとして広まってゆくのが恐ろしいのです」
幽ノ藤宮は静かに、
「『偉人』? 『栽培の第一人者』? いいえ、わたくしはそんなものではない」
そして、とても悲しそうに笑った。
「わたくしは、わたくしのやりたいことをやったまでの、ただの狂った研究者です。すべての内情が知れ渡り、それによって糾弾され、例え罰されることになっても……自分の研究に誇りを持ったままでいるつもりでした。――それなのに」
「あなたが、あなたの実験によって生まれた差別にさえ関心の無い、真の狂った研究者であれば、そんな道もあったのでしょう」
「……だって、出会ってしまったのですよ」
それまでは馨さんの言うようなわたくしであったのに、と、幽ノ藤宮は笑う。
「たった一人でも自分がおかしいと思ったことには声を上げ、誘導にも屈することなく差別を許さないと言い切るような真っ直ぐな青年に。……彼に会うことが無ければ、わたくしの道は先ほど言ったようなものだったでしょう」
顔を上げて、『ただの狂った研究者』は、きっぱりと言い切った。
「差別を撤廃したのは、称賛されるべきなのは、わたくしではありません。たった一人の、名前の無かった青年です」
ぽたりと屋根から落ちた雫が、二人の手の上に落ちた。
――ざぁざぁと雨は降っている。未だやむ気配は無い。
「虚構の自分を受け入れられるようになれば、帰って来ると?」
「さぁ。それも分かりません」
「すずかは泣きますよ」
「泣くでしょうね。それを宥める役は、馨さんにお任せします。それからお気付きでしょうが、わたくしの机の上にある伊久への書置きについてもお願いします」
「ゾタ山のすぐ真下にある、シュリカがまだ現存していると?」
幽ノ藤宮は手を引いて、質問からも馨からも逃れた。
頭を深く深く下げ、藤色の髪がそれを追いかける。
「ごめんなさい、馨さん。本当は苗床の皆様に平伏して謝らなければならないのでしょうけど。あなた方の人生を狂わせたのはわたくしです」
「…………」
「それでも、わたくしは自分の行ったことに対し後悔をすることが出来ません」
馨は、即座に返答した。
「そんなことはどうでもいいのです」
流石にその返答には幽ノ藤宮も驚いたらしい。
目を見開いて顔を上げたかの人に、馨は言った。
「過去のことなどどうでもいい。それよりどうぞ、これからの願いを聞いてください」
出来ればふたつ、と、馨は指を二本立てて見せた。
――ざぁざぁと雨は降っている。未だやむ気配は、まるで無い。
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