第31話
*****
洋館を出た馨の後を追って、伊久は声をかけた。
「勉強、いや作業か? すんのもいいけどよ、ちったぁ休めよ」
ガラスドームへ行かないかと誘うと、意外にも馨はすんなりとその誘いに乗った。
「……お前、本当に馨だよな?」
「お前からの誘いが無くともフィバンテとやらを見に行く予定であったわ」
誘いかけた伊久の方が驚き、その様子を軽く詰られた程だ。
「あれ、馨だ。久しぶり! 元気だった?」
「カリスタも息災のようで何よりだ」
「なになに、とうとう伊久に連れ出されたの? ヴァネシアから最近の馨はいつにもまして部屋に籠りきりだって聞いてたけど」
今回はそういう訳ではない、と馨は首を振った。
「なに頑張ってるのかは分からないけど、でもじっと動かないのは身体に悪いよ? あたしが言うんだから間違いない」
無邪気にそう言って見せたカリスタに、
「そうだな、確かに」
と、馨は少しだけ笑った。
「カリスタ、ヴァネシアはもう戻ったか?」
伊久が訊ねると、あぁ、とカリスタは思い出したように高い声で反応する。
「ふぃ、ふぃば……? なんだっけ? ヴァネシアはまだそっちの部屋に居るけど、あれってどういうこと? 通りすがりの時にちょこっとだけしか聞いてないんだけど、カバレムじゃなくなっちゃったの?」
「死人使いが言うことじゃ、そうらしい。今度からのはカバレム四代目じゃなくてフィバンテって名前の新しい苗床だとさ」
「あぁ、ふーん。……なるほどね」
すぐに納得したらしいカリスタに、伊久は目を見張る。
「それで意味が分かったのか?」
「あー、うん。あたし、よくゾンビマスターさんとお話することあるし。術式の展開とかは訳分かんないけど、そのやり方っていうか考え方? とかは前に説明してもらったんだよね。だから多分だけど、分かったと思う」
そうしてカリスタは、動く指で自分の胸元を指さした。
「今回で新しく魂――意思を入れ替えたってことでしょ、きっと」
「入れ替えた?」
「うん。ゾンビマスターさんが生き物を生き返らせるときって、死んだ物に残ってる記憶から意思を創りだして、それを埋め込んで生き返らせてんの。で、カバレムはこれまでそれを二回繰り返してきた。だけど今回の三回目は難しかったんじゃない? それで、何か近くにあったものの死体か、ゾンビマスターさんが持ち歩いてたゾンビ生物の意思を取りだして、カバレムの身体に入れた――ってとこじゃないかな?」
伊久にはまったく理解の出来ない話だったが、元から似たような見解を持っていた馨は何度か頷いていた。好奇心が強く、何でもそのまま受け入れる方であるこの二人は、庭園面子の中でも特に死人使いと親しいのである。
そうなると、と馨が呟いて、
「何故、三代目カバレムの意思が使えなかったのかが気になるな」
「ね。意思にも消費期限があったりするのかな?」
と、二人は首を捻り合っていた。
ガラスドーム奥の扉を開くと、そこにはやはり変わらずカバレムの姿があった。
少なくとも伊久にはそう見えた。
「あぁ伊久くん。ちょうど良かった」
声をかけたのはドクで、その側では目にタオルを乗せたヴァネシアが横になっていた。
「ヴァネシアさんが泣きつかれてそのまま眠ってしまってね。ただ、ボクはそろそろディリとの約束があるから帰らなくちゃいけなくて」
「あぁ、すいません。引き受けますよ」
「本当はフィバンテがきちんと落ち着くまで診ていたいんだけど」
名残惜し気に言うドクの目線は、巨大なバッタからなかなか離れなかった。
「まだ落ち着いてないんですか」
「おっと。伊久くんの陰で見えてなかったよ、馨さん。元気そうで良かったです」
「えぇお陰様で。フィバンテはまだ落ち着いてないんですか」
同じ質問を繰り返した馨に、んー、とドクはぽりぽり頭を掻く。
「フィバンテがというよりも、幽ノ藤宮さんと死人使いくんの対決が、と言った方が正しいかもしれませんね」
「は」
伊久はそれこそ度肝を抜いた。
――主と死人使いが……対決?
独特な雰囲気を持ちあう二人だが、何故か波長は合うらしく、よくふざけたように笑い合っていた仲なのに。
(でもそういえば死人使いは『もうあれに花は咲かないかもしれない』って言ってたな……)
どの程度無理をさせないか、その方針での喧嘩だろうか、と思い至った時、
「今日中に決着が着けばいいなあ。夕方に来たら間に合うかなぁ。死人使いくんはまた来るって言ってたし、幽ノ藤宮さん、近く旅に出るって話もしてたし」
と、ドクが顎をかきながら独り言のように言った。
「そういえば今日レヴィンに正式な挨拶をしに行くって――」
「……なんだと?」
眉を顰め、険しい顔で言ったのは馨だった。それに驚きつつも、
「いやだから、新しく入る警備の」
「違う、お前じゃない。先生、先ほど何と仰られました」
返答をしかけた伊久を押しのけて、馨はドクへと近づいた。
「ん? 幽ノ藤宮さんが旅に出るって話ですか?」
「出立と帰りはいつだと?」
――帰りは。
『今はまだなんとも言えません。また、――』
昨夜の会話を思い出し、伊久はドクの替わりに答えた。
「旅の話なら俺も聞いてるが、帰りは、今はなんとも言えないってよ。まぁ前から色々と出歩いてはふらっと帰って来るのが主様だったし」
「――帰って来ると言ったのだな?」
「帰って来るって……」
昨夜の台詞の後半、主様は何と言ったのだろう。
確かめようにも幽ノ藤宮は前述通りテクナ・マシナへ外出中であり、すずかはそれにぺっとりとくっついて出て行ったのを、今朝、伊久は見送っている。
「言っておられたと思うけど……」
自信が無くなり、言葉尻が小さくなる。それを、
「どうだろうね?」
と明るく言い切ったのはドクだった。
「伊久くん、弟子解任されたんですよね? だったらもうキミに任せて、幽ノ藤宮さんは新しい研究への旅に出ることだって出来るから」
それを聞いた途端、
「成果だけを手に戻り、罪の証は捨て置く気か。あの人はそこまで×××なのか」
と馨が小さく呟いて――
*
伊久がハッと意識を取り戻したのは、
「バッカじゃないの!」
カリスタの前でヴァネシアに怒鳴られている時だった。
「俺……俺、何したんだ?」
「自分の狼藉も覚えてないの? 本当に単細胞ね!」
何故か右手が痛んだ。それを意識すると、心のどこかが突き刺されるようだった。
「伊久ね、馨のこと殴ったらしいよ。それも思いっきり」
樹中から慰めるような目線で見やって来るカリスタの言葉に、
「俺が?」
と返すことしか出来ない。
記憶にない。記憶にないが……
「本当に、もう、バッカじゃないの」
ぼろぼろと目の前で涙を流すヴァネシアと、うっすら赤くなった自分の拳を見れば、それが嘘なんかではないのだということがよく知れた。
「それで、馨は?」
「和館だよ。吹っ飛ばされて、ドクさんに運ばれてった」
今は行かない方がいい、と、カリスタは努めて冷静に言った後、
「ところでさ、何を言われてそんなにキレちゃった訳?」
今度はその反対に、口調を軽いものへと変えて尋ねてきた。伊久は記憶を手繰り寄せ、最後に馨が口にした言葉を思い返す。
「――よく分かんねぇけど、主様を貶されるような言葉を……」
しかし、それと同時に、それを発言した時の馨の顔も思い返され、伊久は動揺した。どうしてあいつはあんな顔をした。
あんな、とても傷つき悲しみにくれたような顔を。
「まぁそりゃ馨が悪いとこもある……かなぁ。伊久やヴァネシアの前で幽ノ藤宮様の悪口なんて言ったらどうなるか分かり切ったようなものだし」
「当たり前よ! わたしだって馨がなんて言ったかによっては許さないわ!」
泣きはらした目でそう喚くヴァネシアは、でも、とまた涙をこぼした。
「苗床で、しかも身体はヒョロヒョロですぐに寝込むような馨をぶん殴るなんて真似をしくさった伊久はもっと許さないわよ!」
ビシリと指を突き付けられた伊久は、それを神妙に受ける。
「アンタ栽培者でしょ?! 何してんのよッ? 苗床守ってくれるんじゃないの? この庭園の平穏を保つのがアンタの仕事じゃなかったの? これ以上わたしの仲間を奪ったり傷つけたりすることはやめてよ!」
ヴァネシアの気持ちは、最後の一言に集約されていた。
大好きだったカバレムがもうカバレムではないと聞かされ混乱していたところでのこの騒ぎだ。恐らく、本人の中でも気持ちがぐちゃぐちゃになっているのだろう。
「守んなきゃって思ってるものを自分から守ることも出来ないなら、もう栽培者なんて肩書き返上して出て行きなさい!」
……だよな、と、伊久は小さく呟く。
二十三から三十まで、揺れに揺れて来た。
それでも自分に自信が持てるほどには成長できたと思っていたが――気付かないうちに逆差別をしてしまっていたことだって、ついさっき思い至った。
ジルの言っていた通り、自分が居なくても苗床だけで生活していくことは可能だ。
大事なものを守りたい気持ちはいっぱしなのに、全然守れてなんかない。
自分は、この庭園にとっての何だ?
(また、流しの儀が必要か?)
伊久のは胸中だけで苦笑いを浮かべ、立ち上がる。
自分の存在が厄としかならないのなら、自分はここから――、
「出て行くことでも考えてるの?」
それはずるいんじゃない? と、頭上のカリスタが笑う。
「別に、悪いこととは言わないけどね。ずるいなぁって、少なくともあたしは思うな。今出来ていないことを叱責されただけで逃げるの? それを改める努力もせずに? それって、自分の存在が悪いことしか生まないなら、なんて自己卑下と自己犠牲を混ぜこぜにしてるけど、結局のところ自分の出来なさを言い訳してるだけじゃん」
びしびしと強い言葉を口にしながらも、カリスタの声はずっと笑っている。
「まぁいいよ。伊久がどんな道を選ぼうと、それが伊久の『自由』だからね」
だけどこれだけ最後に言わせて、と、ガラスドームを出ようとした伊久の背中に、カリスタの大声がかけられた。
「伊久には怖い時に逃げられる足があって良いなぁ!」
「…………逃げねぇよ! 誰が出てくかっ!」
踵を返して走り、カリスタの前で宣言した伊久に対し、
「よーし、……約束ね?」
と、半人半樹の苗床は美しく笑った。
*
時は回って、夜中である。
「恩人に対して健気なだけなのにねー」
ばさぁっと紙を天井へと散らかした死人使いは、布団から自分を睨みあげてくる目線に慌ててそれをかき集めた。
死人使いの隣で、馨が布団に横になったまま、何かを書き写していた。
その左頬は赤く、左目近くまで痛々しそうに腫れあがっていた。
しかしそれを気にした様子もなく、書き写しが一ページ終わるごとに死人使いに渡し、死人使いがふむふむとチェックを入れる。
「ここ、急いで書いたでしょ。多分書きたいんだろう内容とは綴りがちょい違う」
「本当に?」
「本当だって! もしかして
「そんなことはない」
「……その顔からして本音だね。ちぇっ、からかい甲斐無ぁーい」
まぁでも共通陣営の仲間のためにならないような事なんてしなーいよっ、と、死人使いはまたチェックを続けながら言った。
「別に、仲間というつもりはない」
「そんな寂しいこと言わないでさーぁ。糾弾する気は無いにしろ、思うところがあるからこういうことをしてんでしょー? だったらワシと一緒じゃん」
だから一緒に戦おうじゃん、と死人使いは楽し気に言った。しかしその目には、言葉通りうっすらとだが闘志が宿っている。
「いいのか?」
「なぁーにが?」
「この館では声がよく通る。宣戦布告として受け取られても知らぬぞ」
「別件でだけど、あの人との戦いはもう昨日の午後からとある背中の上で始まってんの。だから気にしないでダーイジョーブ」
ヒヒッと笑った死人使いは、ぽんぽんと馨の頭を軽く叩いた。
「それにしても苗床様にこんな形でバレるとはねぇ。ご本人びっくりしてなかった?」
「私が気付いたことは知っているのだろうが、何も言ってこられてはいない。私が他国の文字を勉強したいといい、好きに使っていいと各種の辞書が揃った書物庫の鍵を渡されたときから、いつかこうなることを勘付いておられたのかもしれない」
「ひぇ、コワ。鍵渡すくらいでそんなに思う? せめて皆が勘違いしているみたいに『もしかして外に出て暮らしたいのかな』ってくらいなら分かるけどぉ」
歌うように言う死人使いに新たなページを差し出しながら、
「勘違い?」
と、馨はその単語だけを拾い上げて復唱した。
「勘違い。でしょ? だって馨は外出る気さらさら無いじゃん。いろんな文字を勉強してるのは、自分が外に、じゃなくて、外からの人が、の方でしょ?」
内心を言い当てられ、馨はそれでも動じない。
「凄いねぇ。人を楽しませるための工夫に使うんでしょ? 優しいねぇ馨は」
「何も私の考えではない。以前、ここが開園する前に『使える文字が多いといいな』と思ったことがあると、私に話して聞かせたやつが居たのだ。花の種類を掲げる板にその花が咲く地方の文字で名前を書き、その下段に一般共通文字で表示する形式にするのも面白そうだ、と発案したやつがな」
「いざ開園してみたら本人は他の仕事に手を取られてそれどころじゃなかったし頭の中からすぽぉーんと抜けちゃったけど、ってかー」
それは面白そうだったのに、と死人使いは眉を下げる。
一旦手を止めた馨が、これを書いたところで、と半身を起こした。
「どうなるという訳ではないのだろう。もしくは、掘り起こさない方が……いや、……恐らく、その方がいいのだろう」
くしゃり、と手元の紙に皺が寄る。沈黙が流れる。
黙って聞いていた死人使いが、
「――だけど、思うところが?」
と、にんまり唆すようにして笑う。
それに乗るよう、ふっと馨も笑った。
「――……ある。だから、私はやろうと思う。それでどういったことになろうとも、それが私の選んだ結果だ」
熱を持つ頬を一度だけ撫でさすり、馨はもう一度ペンを手に取った。
「恩人に対して健気なだけなのにねー」
先ほどと同じ言葉を繰り返し、良い子良い子、と死人使いは馨を撫でた。
邪魔だ、とすぐに切り捨てられはしたが。
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