第9話
*****
多角柱と円形のガラスドームには陽の光が燦々と差し込んでいた。
しかしその中はそれほど暑くなく、ジラルド達に心地よく感じられる気温に設定されている。よく観察していれば気付ける様々な装置がその働きを成しているのだろうが、気温調節の設備など無いシャグナ王国で暮らす二人にはその仕組みはまったく分からなかった。
「ネッサリアの近隣国、テクナ・マシナはご存知ですか?」
時々装置に注がれる目線に気付いたのか、幽ノ藤宮が笑いながら二人に訊ねた。デューイが地図で国名を確認しただけだということを返す。
「テクナ・マシナは、電子・機械・工学に関する技術がとても発達した国なのです。このガラスドームで使われているシステムや装置は、そこの技術者さんにお願いしたものです。そうした方々の御陰で、こうして花にとってもわたくしたちにとっても快適な状況を保てているのですよ」
緩やかに広げた手の平で示された花たちはどれも美しく、それは自国で見たことがある種類の花でもまるで違うものに見えた。
奥へ進むにつれて、華やかな声がよく聞こえるようになった。
同時に、入る前からずっと見えていた巨大な樹も近くなっていく。
「え~、自分だったら何がいいだろ~?」
「私はやっぱりバラ! ヴァネシアさんの真っ赤なバラをたっくさん束ねるの!」
「あたしもバラが……うーん、さっき見たドリーミングリリーっていうのも素敵かも」
「「「それも良いねぇ~~~!」」」
樹の全景が見えたのは、その前で輪をつくる揃いのボレロとスカートを身に付けた少女たちが一斉に声を揃えた時だった。
あれがジルの言っていた女学園の生徒たちだろう。傍のベンチに腰掛けて満足そうに笑っているのは、どうやら引率の教師のようだ。
「でも庭園の花で作ったブーケなら、いくら結婚式でもブーケトスで人にあげちゃいたくないよね」
「だよねぇ、すっごく貴重だもん。――あッ、そうだ、じゃあカリスタさんのクリスタリアにする! そしたら投げずに持ってても許されるわよね?」
一人の少女がそう言うと、周りの少女は再び口々に賛同の声を上げた。
そんな楽しげなやり取りに、
「アハハ、そりゃ光栄だ」
軽やかな笑い声を持つ女が加わった。
「タダは無理かもしれないけど、そうなった時にはあたしからのお祝いとして、少しでも安く出来るように幽ノ藤宮様に話したげよう。でも、それには、あたしの花が咲く周期に結婚式を挙げる日を変更しなくちゃいけないよ? 大事な記念日になるんだからこだわりたいでしょ?」
「「「クリスタリアが持てるならそんなのどうでもいいですッ」」」
きらきらした目が向けられた先、口を挟んだ女は、
「もー、そんな嬉しいこと言ってくれちゃ顔がニヤけちゃう」
大樹にその半身が飲み込まれていた。
「じゃあ結婚する予定が立った順に教えてね、それまで覚えてるよ。――ん?」
笑うのを止めた女は、輪の中で一人俯いている少女に気が付いたようだった。
「サラちゃんだっけ? 大丈夫? 具合でも悪いかな」
「……いえ、私、……その、」
声をかけられた少女は、ぽろぽろと涙を零し始めた。
周りの少女はそのサラと呼ばれた子の背に手をあてたり、どうしたの? と声をかけたりして心配をする。
涙と同じようにぽろぽろと、サラは言葉を発した。
「私たち、こんな風にはしゃいでるけど……だってカリスタさんは結婚式なんて……ずっとそこに……そのまま動けないで…………かわいそう……」
それを聞いた途端、ベンチに座っていた教師が立ち上がって叫んだ。
「訂正なさい、サラ=クルーガー!」
その声と形相に、泣いていたサラ以外の少女達も思わずビクリと身をすくませる。
「苗床様であるカリスタさんは誇り高き存在です。貴女や私のような者が、そんな同情や憐憫を向けることなど失礼極まりない、許されないことですよ!」
「先生、先生。落ち着いてください、ね?」
眉を吊り上げた教師にのんびりと声をかけたのは、
「あたしのこと考えてくださってありがとうございます。でも、あたしは同情されてとっても嬉しいんですよ?」
誰あろう、苗床であるカリスタ本人だった。
「何にも思われないよりは同情を持たれた方がその人の記憶に残りやすいですからね。――ねぇサラちゃん、聞いてくれる?」
ぱちぱちと瞬きをしたサラがカリスタを見つめる。
「あたしね、動けないの。可哀想でしょ?」
「…………」
ちらりと教師に目線をやって、サラは黙りこくった。そんな様子に微笑み、でね、とカリスタは言葉を続ける。
「サラちゃんは動けるよね。それって、サラちゃんは好きに行動出来るって点では、あたしより恵まれてるってことだ。だからねサラちゃん、動けないあたしからのお願い。数年に一回でもいいから、あたしに会いに来てくれないかな」
「……カリスタさんに会いに?」
そう、とカリスタは大きく頷いた。
「あたしはねぇ、もう一度会いたい人が居ても、その人が来てくれないと会えないんだ。それはすっごく寂しいことだよ。会えないっていうこともそうだけど、忘れられちゃってるかもしれないって、ずっと不安でいるのがね?」
その場の全員が、カリスタの言葉に聴き入っている。
「だって、相手があたしのことを忘れちゃったのかどうかも、動けないあたしには確かめられないんだ。だから、頻繁じゃなくていい、ほんと時々でいいから、あたしに会いに来て、あたしのこと覚えてるから寂しくないよって、言って欲しいな」
シンとした空気を紛らわすかのように、カリスタは冗談めかして笑う。
「それに、入園料は庭園の整備に回してもらえるからね。お客さんが多ければ多いだけ、あたしはいい思いが出来ちゃうの!」
今日なんてすごく美味しいおっきなお菓子食べさせてもらっちゃったんだよ、と右手の指で丸を描くカリスタに、少女たちはくすくすと笑いを漏らした。まだ目に涙が残っているサラも、口に手をあてて笑っている。
そんな少女たちを見つめ下ろしながら、
「みんな、自分の自由にちゃんとありがたみを感じるんだよ?」
あたしなんて太っちゃっても運動してダイエットなんて出来ないんだから! と、半人半樹の苗床は明るく笑ってみせた。
少女たちから、再び華やかな笑い声が起こった。
――そんな華やかな光景から少し離れた所で、
「…………」「…………」
「ジラルド様、デューイ様。あれがこの庭園にのみ存在するクリスタリアであり――そのクリスタリア専門の苗床である彼女の名は、カリスタ=クリスタと言います」
言葉を発することなく突っ立っていた二人に、傍らの幽ノ藤宮が静かに説明をした。
ジラルドが目線を向けると、幽ノ藤宮はにこりと微笑む。
「どうです――美しいでしょう?」
形の良い唇がそう紡いだ言葉に、
「あぁ。……確かに美しい」
蔓が絡み合う大樹も、そして――その樹の中央で笑う彼女も。
ジラルドは、そう返すことしか出来なかった。
*
「こんにちは、エレール女学園の皆様。楽しんでいただけておりますか?」
そう声をかけた人物を振り返って、女学生たちはきゃあきゃあと高い声を上げた。
「幽ノ藤宮様だわ!」
「とっても楽しんでます! ほんとに庭園は素敵です!」
少女たちに微笑みかける幽ノ藤宮に、教師がさっと近づいて挨拶を述べた。
そうしているうち、少女たちがジラルドとデューイの姿に気付き、さわさわと声を潜ませ始めた。その中にはどっちがタイプか、などという年頃の少女特有の相談も聞こえる。
そういった目線に慣れたジラルドは平気そうだが、デューイはなんとなく居心地の悪さを感じた。
ジラルドと話でもして気を紛らわそうかと口を開きかけたところで、
「お二人はお客様ですね、初めまして」
頭上一メートルほどの高さから声がかかった。
ピアスを揺らしてにこりと笑うカリスタは、苗床のカリスタです、と名を述べた。
「僕は――」
ジラルドは自分もそれに答えようとし、一度唇を引き結んだ。同じような表情をしているデューイと目線を合わせ、どうしようかと考える。
そんな二人が答えを出すより早く、彼らの説明が横から挟まれた。
「カリスタさん。そちらはシャグナ王国よりお越しになった、ジオーク様とデューイ様です」
幽ノ藤宮の言葉に、カリスタは素直に驚きを露わにする。
「あの伝統の王国から? わ、凄い。シャグナからのお客様は初めてでしたよね」
「えぇそうですね。――宜しければお二人のお相手をしてさしあげてくださいな。わたくしはエレール女学園の皆様を和館へお連れ致しますので」
幽ノ藤宮様が皆さんの質問に答えてくださるそうです、と少女たちに向けてにこやかな笑顔で告げる教師に、少女たちはまた高い声をあげて喜んだ。
幽ノ藤宮はそっとジラルドとデューイに歩み寄る。
「ご案内はわたくしから申し出たことですのに、度々に中断をしてしまってすみません。もし必要でしたら弟子を呼びますが――」
「いや結構だ。あなたも忙しい身だろうに、数々の心遣い感謝する」
首を振って答えたジラルドに、
「だ、そうです。オレからも、ほんとに色々有難うございます」
とデューイが続いた。
ここで王国の王子という身分を明かせば、若き少女たちが騒ぎ立てるのは目に見えている。そして王子のネッサリア来訪という事柄は、彼女たちを発信源としてすぐにでも様々なところへと伝わっていくだろう。そうなれば、お忍びも何もあったものではない。
二人の言葉の含みを受け取ったのか、幽ノ藤宮は小さく頷いた。
カリスタを仰ぎ見て、お願いしてもよろしいですか、と確認を取る。
「というか、えっと、お二人はあたしでいいんですか?」
相手って言ってもあたしここから動けませんけど……と窺うカリスタに、迷いなくジラルドは頷いた。
「僕はむしろお願いしたい。駄目だろうか?」
「そんな、全然! じゃ、及ばずながらお相手させてもらいますね」
そちらにどうぞと指先で示されたベンチの方へ二人は移動する。
それを見届け、楽しげな声を響かせるエレール女学園の一団を引き連れた幽ノ藤宮は、緩やかな笑みを浮かべたままその場を去った。
「折角来ていただいたのに、今のクリスタリアには花が無くてごめんなさい」
眉を下げてそう言ったカリスタに、ジラルドは首を振った。
「いや。この立派な樹だけでも素晴らしい。僕の国には無い種類だ」
「ええ、あたしの故郷じゃ森にはにょきにょき生えてたんであまり実感湧かないんですけど、よく言われます、変わった樹だって」
「オレも、今日まで見たこと無かったですねぇ」
触っても? と訊ねたデューイに、どうぞどうぞとカリスタは頷いた。
その巨木は、こどもの腕ほどの太さがある蔦が縦横無尽に伸びて構成されていた。蔦は複雑に絡みあっており、見方を変えれば力強い彫り物のようにも思える。
「こんな樹にあの細かい花が咲くってのも、なんだか不思議な感じですね」
蔦を掴んでその強さを確かめながらしみじみと言ったデューイに、カリスタが右手の先をぱたぱたと動かした。
「あ、花の方は見たことあるんですね。でも実はあの花、厳密にはこの樹から生えてるんじゃないんです」
「へ?」
「どういうことだ?」
眉を寄せる二人に、カリスタは説明する。
「今見える分の樹は元々のこの樹で、花は、あたしから発芽したのを改良したものです。百日くらいの周期が巡ればこの蔓の隙間から茎が伸びてきて、それに花が咲くんです。あたし、発病した時に村のはずれの樹に縛られたんですよね。そしたらそのうち、その樹とあたしから発芽した植物がごっちゃになって融合しちゃって」
そう言ったカリスタの表情は、からりとしたものだった。
「『クリスタリア』っていうのは樹と植物を合わせた呼び名で、つまり、この庭園にあるこの樹のことだけなんです。だから故郷にたくさん生えてる種類の樹には、クリスタリアの花は咲かないんですよ」
「そうなんですか。……というかあの、お辛いことでしたらお答えしなくていいですが」
言いあぐねながらデューイは訊ねた。
「村はずれの樹に縛られたと言われましたね。……何故そんなことを」
治療法ですか、と僅かな可能性を口にしたデューイに、しかし答えは明確だった。
「いいえ、隔離手段です」
カリスタの説明は淡々と続けられる。
「その頃には幽ノ藤宮様の感染予防のお薬はもう完成していましたけど、何処にでも出回っていた訳ではないですから。あたしの故郷は奇病の発生地から結構離れてて、だからまさか感染者が出るなんて思ってなかったんですよ。当然お薬なんて準備してないし、感染者が一人だけなら、そっちを片付けた方が早いでしょう?」
「家の――いや、周りの者は、誰も何も異論を唱えなかったのか?」
批難の色が強く出るジラルドの声に、カリスタは眉を下げて笑いながら、誤解を解こうとするように言う。
「……シャグナ王国では病気が広がらなかったんですよね」
「ああ。今日、初めてその病気のことを聞いた」
「だから、酷い処置のように聞こえると思います。でも、あたしの故郷ではそれが満場一致の結果だった。そしてその満場の中には、あたし自身も含まれるんです」
「そうは言うが――」
「隔離したからってそれで皆に絶対感染しないって保証はない。それなのに、発芽の時点で殺すんじゃなくて植物になるまで放っておいてくれるっていうのは――あたしにとっては、物凄く恩情のあるものだったんですよ」
カリスタは笑顔を浮かべる。
「…………」
その輝くような表情に、ジラルドは何か、今まで感じたことの無い気持ちを抱いた。くぅっと胸が詰まるような、これは一体何なのだろう。
そんな王子の様子に気付くことなく、付き人は苗床に向けて眉を下げた。
「はぁ、なんだか……そんな過去を掘り返させてすみません」
「気にしないでください。あたし、これでも今はいい待遇してもらってますし!」
頭に手をやるデューイに、カリスタはそう言った。
「というかですね、そういう思い出があるから、逆になんだって嬉しく思えるっていうのもあるんです。ん、ちょっと遠いかな……そこから、この爪の色って見えます?」
小さな唸り声と共に、彼女の右手が蔓で阻まれるぎりぎりまで伸ばされた。
指先が派手すぎないオレンジ色に彩られている。その鮮やかさは彼女の見た目にも性格にもとてもよく似合っている。
「マニキュアってやつですね」
そう頷いたデューイに、カリスタも頷く。
「よく遊びに来てくれる友達が塗ってくれたんです。似合いそうだと思って途中で買ってきた、あなた専用として取っておくわねって。――あたし、そのまま植物になる身だったんですよ? それが今はこうしてお洒落だって出来る。素直に嬉しいですよ」
「そうですか。それなら……」
続きを言うことはなかったが、笑顔を零すデューイのその言葉の先は、彼女にちゃんと伝わっている。カリスタは朗らかな顔をして頷いた。
「何かしたいと思うことは無いのか? 不満に思うことは?」
しばらく黙ったままだったジラルドが、カリスタを真っ直ぐに見上げて言った。
カリスタはそれに即答する。
「いっぱいありますよ」
「それは、」
勢い込んで続けようとした言葉は、彼女の微笑みによって途切れた。
「あたしが苗床じゃなくても、きっとそうです。皆と同じです。望みの強さ、不満の強さはそれぞれだろうけど、誰だって色々あるでしょう? ジオークさんには、無いですか?」
自分の望み。そして不満。
「…………」
――周囲に言われるままに生きてきた自分には、
「お忘れですか?」
言葉に詰まったジラルドの隣で、デューイが流し目で笑った。
「この旅はジオーク様が望んだことだったでしょうが」
「……そうだな」
初めて望んで、そして初めて国を出た、旅だった。
「これは、そうだ。僕には初めての経験だ」
そう何かに納得したように深く頷くジラルドに、カリスタは微笑みかけた。
頭上からふりまかれるその笑顔で、シャグナ王国第一王子の胸の詰まりは強くなる。それが何を意味するのかまだ分からないが――それも、彼には初めての経験だった。
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