君がため 10

 ――離せと言うまで、このままでいてやろう……。


 悪戯にそう思いついて、廊下に出ても手を離さなかった。


「そういや、なんでお前ここにいるんだ? ジャンケンで勝ったのに」


「だって。待ち合わせの場所、決めてなかったから」


「意味ねぇー」


 呟いて、廊下の或る一点で視線が止まった。


 彼女が立っていた場所。


 さっきまでは居心地の悪かった空間。


 名前も聞かなかった。


 憶えてるのは、あの真っ直ぐな瞳と、後ろ姿だけ。


 ――今度。


 もし今度、映画館で。喫茶店で。遊園地で。水族館で。


 彼女を見かける事があったなら、その瞳が、その背中が、『とても楽しそう』である事を願う。


 彼女がいる場所が、『居心地のいい空間』である事を祈る。


 それを為してやれるのは、俺ではないけれど。


 紡がれた彼女の言葉は、俺には届かなかったけれど。


「卒業、おめでとう」


 俺もまた、彼女の耳には届かない言葉を呟こう。


「……なんだって?」


 怪訝に目を剥く弘人にも、教えてやらない。


 だってこれは『彼女』にだけ、贈った言葉だったから。





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