第4話 匂い

「なぁ晃一。いい加減俺を師匠にすんのはやめときな」


 光川龍吾みつかわりゅうご……晃一の喧嘩の師は、タバコをふかしつつそう言った。

 廃工場の隅、差し込んだ陽射しが鼻頭の傷も綺麗に写し出していた。


「俺ァな、人を不幸にする男だ。そんなモン自分でよく分かってらァ。……だがよ、お前までこっちになっちまうこたねぇ」


 傷を撫でつつ、「龍さん」は笑う。

 ……彼は、ヤクザの若頭だった。晃一の母がハマった宗教で、荒事を引き受けていたのが彼の組だったのだ。

 男の姿が揺らめく。……新たに見つけた師は、龍吾より紳士的で、物静かな男だった。


「コウイチ。おまえにも約束する。……ゆかりは私が幸せにする、と」


 栗色の髪が月明かりに揺れ、赤い瞳がぽつりと闇に浮かんでいた。

 吸血鬼の男は優美に微笑み、晃一の幼馴染……初恋の女性の手を握って去っていく。


 ……あんたは幸せにできる男だと思ったんだ。だから俺は、ゆかり姉を見送った。強くて賢くて立派なあんたなら、ゆかり姉のことだって……

 その言葉をぶつける相手の行方は、もう、わからない。


「……あ、おはようございます」


 夢の中の男に似た髪色が、寝起きの晃一の視界に入る。


「が、がんばって早起きしてみました。太陽、苦手ですけど……わたし、父よりは平気なんです」


 少しおどおどとしつつも、少女ははにかんだ。


「……お父さん、名前は?」

「え。……えーと、セザール・エカルラート……だったと、思います」

「……やっぱりね。よく似てる」


 きょと、と目を丸くし、少女は気まずそうに「それで、助けてくださったんですか」と独りごちた。


「お母さんのことも知ってんよ。……優しくて、素敵な人だった。ちょっと夢見がちだったけどね」


 よく晴れた朝の光は、晃一にとっても眩しく思える。……シャルロットはカーテンの隙間から逃れるよう、部屋の隅に戻って行った。




 ***




「えー、なんでだ?減るもんじゃなし……」

「い、色々減りますから!綿棒しまってください!」


 2日目の登校は、校門の時点で思いもよらぬ受難が待ち受けていた。

 どうしてもシャルロットのDNAが欲しいらしいが、考えるまでもなく不審者である。


「じろちゃーん。ちょっとシャレにならない絵面になってるから自重しよ?」

「えっ、そうなのか!?すまない久住、誰もいないところを探す!」

「うーん、もっとやばくなってるかな!」


 おそらく天然なのだろう。というより、天然でなくては許されない領域に至っている。


「晃一……きっとこれは運命なんだ。俺の鼻がそう告げている。だからその、彼女の毛根かなにかを持っていたら分け与えてくれないか?」

「じろちゃん、それブラやパンティに興味示すよりやばいからね?」


 身の危機を感じるシャルロットだが、本当に遺伝子にしか興味がないらしく、つらつらとヴァンパイアのミトコンドリアがどうだのと晃一を説得にかかっている。


「……シャルちゃん、どう思う?」

「えっ」


 あまりの熱意に、晃一も根負けしそう……というより、面倒になってきたらしい。


「いやしかし、合意の上でないと倫理的にまずいな……。分かった久住。これから先生はお前と信頼関係を構築することにする」

「ええっ」


 このマイナススタートから!?という感情は声にもならなず、絶句するしかない。怪しさ全開のまま、どうやって好かれるつもりなのだろうか……。


「よし、お近付きの証に、とりあえず俺の血を2リットルほどやる」

「死にますよ!?」

「大丈夫だ!!むしろ久住が気をつけろ。下手したら過剰摂取になるからな」

「……え?」


 次郎の瞳がわずかに煌めき、ふさふさとした黒い耳が生える。


「……人狼……?」


 ……呟き終わる前に、狼らしき耳は幻のように消え去っていた。


「人前だと怒られるからな、少しだけだ」


 くるり、と踵を返し、次郎は校舎に向かう。


「……2リットルはさすがに貧血起こすんじゃないかな……」


 苦笑しつつ、晃一もシャルロットに向き直る。


「この土地の守り神様の化身……らしいから、そんなに悪いことでもないかもよ」


 懐かれている身として一応はフォローしておくが、晃一自身、あの友人の突飛さについていける相手を自分以外知らない。


「たしかに……美味しそうな匂いでした」

「……あ、やっぱりそういうのあるんだ……?」


 シャルロットが次郎の血を吸う場面を想像してみる。……やはり、怪しい気配しかしなかった。


「(……あれ?でも俺の方が犯罪臭ある?)」


 その相手を自分に置き換えてみたところで、晃一はいったん思考を止めた。




 ***




「……今日も、私の知ってる大上次郎じゃなかった」


 教室で弁当を広げながら、美和は軽くため息をつく。どうやら、昨日肩を落としたのもそのせいらしい。


「出たよ。美和の妄想癖」

「違うわよ!本来の大上次郎はクールなハンサムなの!」

「く、クール……?」


 シャルロットは奈緒に半ば無理やりメンバーに引き込まれ、それを美和は何も疑わず受け入れた。

 チラチラとこちらを見る視線が痛い。……どうやら、奈緒と美和もそこまでクラスに馴染んでいる訳では無いらしい。


「……あの、この学校は……その、変わった人……多いのかな」

「陽岬ってパワースポットめちゃくちゃ多いからねぇ……。呪術師やら霊媒師の家系とかそんなのもいるよ。演劇部の城島じょうじまセンパイとか交霊して演技してるってウワサだし?」

「へ、へぇ……そうなんだ……」


 購買のサンドイッチを齧りながらトマトジュースを口に含む。ふと、美和の視線が気になった。


「ど、どうしたの?」

「いいの。気にしないで。美少女が紙パックのジュース飲んでる絵面が素晴らしいと思ってるだけ」


 そんなことを言われたらむしろ意識してしまう。


ぼん!!どこですかい坊!!!」


 ……が、今度はダダダダダと音を立てて廊下を走る学ランの青年に注意を持っていかれた。




 ***




「坊!!!ここにいやしたか!!」

「で、伝七でんしち!坊って呼ぶのやめてくれ!?あと、なんでここの制服なんだ!?お前、俺の3つ下だよな?そろそろ干支を2周するよな……?」

「珍しい。じろちゃんがツッコミ入れた」


 勢いよく職員室に飛び込んできた青年は「おっと、すみません。いやー、TPOをわきまえようと思いまして」と言いつつ、次郎の机の横で跪いた。


「兄君からの伝達です」

「伝七、目立ってる。すごく目立ってる……!!TPOの意味知ってるか!?」

「いいじゃないですかい。坊はいつも目立ってやすぜ」


 教員たちはもう慣れてしまったのか、ほとんどが気にせず昼食を続けている。


「『若い女子おなご無体むたいを働いたと聞くが、その首はまだ入用いりようか?』……って言ってやした」

「うん!それすごく怒ってるな!どうしよう!」

「ねぇ首ってどっちの意味?物理だったりはしないよね?しないんだよね?」


 先日刃を突きつけられたばかりのため、晃一も思わず反応してしまう。伝七が「どうですかねぇ……」と真剣に考え出したのも相まって余計に恐ろしい。


「おやおや、また大上先生のところは賑やかですなぁ……ほっほっほ」


 歴史担当の京極きょうごくがすれ違いざまに微笑ましそうな視線を向けてくる。心なしか、ロマンスグレーの色つやが良い。


「お、京じいめっちゃ機嫌いいね?馬券当たった?」

「そんな晃一じゃあるまいし……」

「おお、近いですよ東郷先生。妻の占いが当たりました」

「えっ馬券よりすごくないか?」


 誰もが何となくわかっていた。この学舎まなびやの中だけが特別なのだと。

 ……外の世界では、こうは行くまい……と。




「伝七の兄上、またその古い制服ですか。恥を知りなさい」


 セーラー服の少女は地面に足でくさびを打ち込みながら、淡々と語った。


「えー、似合ってんだろ?んで、結界の調子はどう?」

「絶好調です。私もこの学園の演劇部副部長……のお気に入り。これくらいの仕事、造作もありません。恥を知りなさい」

九曜くよう、それ「恥を知りなさい」って使いたいだけやか?将来思い出して恥ずかしくなるき、いかんちゃ」


 作業に気を取られてか、伝七の口調がついつい故郷の言葉に戻っている。彼の影から黒い犬が現れ、地面に生えた楔に走り寄る。


「その時恥を知るのが大人の私と言うだけです。子供の私はこの時期にしかいません。恥を知りなさい」


 むす、と膨れ面になりつつ、九曜は指笛を吹いた。

 犬の影達が次々と楔を伝って地面に飛び込み、草むらが赤く輝く。


 犬上流呪術。四国を拠点とする狗神いぬがみ憑きの一族は、江戸時代より陽岬の大上家に仕え、その生業なりわい今日こんにちまで守ってきている。


「安全は本能に影響します。安全な場所でなければ、生き物は優しくいられない。……そう、六花りっかの姉上が言っていました」

「んー、だから結界セキュリティ調整メンテナンスが……まあ難しいことは知らん!つかわからん!」

「恥を知りなさい」

「また!?」


 鐘の音が、午後の授業の準備を促す。

 パタパタと走り去る九曜に代わり、伝七は結界の確認を続けた。


「……八重やえは、元気にしちゅうかの」


 なかなか顔を見せない妹の名前を、ぽつりと呟きながら。

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