首吊り塔の花嫁
◆6-1
塔の真上には、銀月を覆い隠すほどの黒雲が渦を巻いていた。
それに呼応するかのように、青白い数多の人魂が塔の周りを回り廻る。十や二十では事足りぬ、数多の光は黒い渦に吸い寄せられるように集まってくる。恐らく、この都市にて十数年間、死んだ全てのものが。
それらは、塔の壁から伸びていった黒い鎖に絡め取られ、縛り付けられ、塔の上から吸い込まれていく。本来なら浄化の道となる筈の其処は、鎖が充満していた。
異変はそれだけにとどまらない。コンラディン家の屋敷の庭、その周りの森からも、鎖に巻き付かれた色褪せた骸骨達が根を千切り、土の中からもごりと姿を現す。人魂が虚ろな髑髏の眼窩に吸い込まれ、ランプのように灯ると、骸骨達はぎくしゃくと、生前の得物であろう剣や槍を掲げて歩き出した。
「ば、化け物の群れだ!!」
「きゃあああ!!」
屋敷の住人達は当然恐慌状態に陥った。我先に館へと逃げ込む者達を先導するのは三男坊のエールだった。
「皆、落ち着け! 家の中へ――うわああ!?」
カタカタと歯を鳴らす骸骨達が追い縋ってきて、溜まらず悲鳴を上げてしまった瞬間。僅かに空気を裂く音がして、骸骨達は粉々にその身を散らした。舞い散った青い火も吹き散らされるように、その姿を消していく。
「あ、貴方は……?」
「ご安心ください。こちらの館は私がお守りいたします」
かなり古めかしいメイド装束に身を包み、丁寧な礼をしたのは、年を随分と重ねた針金のように細い女性だった。
「申し遅れました、シアン・ドゥ・シャッス家にお仕えしております、ドリスと申します。お見知りおきを」
深々と礼をし、ドリスと名乗った老女は何か粉の入った小瓶を手に取り、蓋を取るとその中身を屋敷の周りに無造作に蒔いていく。
「茨の森を十重二十重、幼子よ眠れ深く深く」
謳うように呟いたその女性の声に、ふらりとエールの体が傾ぐ。他の者達もみな騒ぐのを止め、まるで夢遊病のようにふらふらと屋敷の中に戻っていく。
それを追うように地面の中からもごりと茨が生えて来て、まるで網目のように広がって屋敷を囲んでいく。骸骨達も攻めあぐねているようだ。
これで一瓶使い切ってしまったので、外套から二本目を取り出す。触媒の原材料については先日、急ぎで瑞香が用意してくれた為、突貫ではあったが数を増やせた。これで一晩は防衛出来るだろう。
「うむうむ、ご苦労だったドリス。用意は良いかね?」
「仰せの通りに」
屋敷から出てきた饅頭のように丸い主に、ドリスは深々と礼をして、特注の上着をその肩にかけた。
「では、行ってくるよドリス」
「仰せの通りに。ヤズロー、必ずやお役目を果たすように」
「はい、ドリス様」
しっかりと頭を下げてから、のたのたと走っていく主の背を追う弟子の姿を見届け、ドリスは魔女として愛用の樫の杖を構える。
「退きなさい、悪霊の尖兵達よ。僭越ながらお相手は私がさせていただきます。ぼっちゃまの――失敬、旦那様のお心を乱すような行為はお控えくださいませ」
×××
「ンッハッハッハ、これぞ終焉の日とでも言うべきものかね!! 向こうも大盤振る舞いのようだ!」
「旦那様、繰り言を言っている暇があるならもう少し早く足を動かし下さい」
「これが全力であるよヤズロー!! いざとなったらまたこの背を蹴り飛ばしてくれたまえ!!」
「恐れながら、最後の手段に致します」
幸い、ビザールの外套には「身軽」の呪いも仕込まれているので、息が切れる前に塔の前には辿り着けた。やはりこちらが古戦場としては本番らしく、次々地下から出てくる骸骨に暇がないが、断続的に襲ってくるだけの空虚な傀儡は、全てヤズローの槍斧に吹き飛ばされる。天の黒雲はさらに分厚くなり、渦を巻くそれはまるでこちらを睥睨する巨大な目のようだった。
悍ましい光景に、しかしビザールはいつもの様子を全く崩さず、タイを直してさっと前髪に櫛を通す余裕すら見せた。
「さて、それでは参ろうか。ここは頼んだよヤズロー、邪魔が入らないように」
「お任せください。旦那様も、女性に恥をかかせるようなことはなさらぬように」
「ンッハッハ、言うようになったなヤズロー! ――しばし待て!!」
言葉だけは格好よく決めて、丸い体をぼんぼん弾ませながら塔に駆け込む背を見送り、ヤズローはしっかりと塔の入り口を閉じる。そして改めて銀色の戦斧を両手で構えた。
骸骨達は全く動きに躊躇を見せず、ただ数を揃えてヤズローを蹂躙しようとする。戦としては正しい判断だ、いかな強い騎士でも一人では十の雑兵に劣る。それが百では、千では? とてもかなうまい。
しかしヤズローの気迫は全く衰えることなく、ずしりと重い切っ先を、体幹をぶらすことなく構え、銀の具足を地面にめり込ませんばかりに一歩踏み出す。
「ここから先には行かせない」
カタカタと骸骨の顎が鳴る。笑っているのか、それは辺りに伝播し、耳障りな不協和音になる。それでもヤズローは怯まない。
「今、我が主は己の人生を賭けた、大切な行為を行おうとしている。それを邪魔する奴は、誰だろうと許さない」
ぐ、と手甲に力を込める。ゆっくりと持ち上げられた槍斧の刃先が、八双に構えられたヤズローの肩上に伸び上がる。ぐ、と体を捻り、骸骨達が一斉に駆け出すと同時。
「――ぅお、らァッ!!」
銀の一閃は旋風となり、ありったけの死骸を薙いだ。
ぼきぼきと、軽々と、骨が折れる音が辺りに響き、一度に十体。あるものは肋を、あるものは腰骨を、あるものは大腿骨を折られ、ぎしぎしと呻き声のような音をあげて地面に転がる。怯む者はいないが、一瞬動きを止める骨たちをぐるりとねめつけ、ヤズローは叫ぶ。
「――俺の、主の、邪魔をするなっつってんだこのデクどもがァッ!!!」
抑えに抑えていた怒りを気焔に変えて吐き捨てて、主と師匠に間違いなく叱られる悪罵を思い切り放った。
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