◆5-2
コンラディンの屋敷の客間に通され、改めて伯爵は口を開いた。先刻の問答で更に5年は年を取ったように、その声に張りが無くなっていた。
「……ここからの話は他言無用に願いたい。決して、外に漏らさぬよう」
「誓いましょう、我が家名にかけて」
男爵が自分の母親ではなく、家名に誓う時は前者よりもあまり誠意が無いことを勿論ヤズローは知っていたが、黙っていた。
「感謝を。……事の起こりは十五年前。我が妻が、あの悍ましい事件に巻き込まれた時だ」
苦虫を噛み潰したような顔のまま、伯爵は訥々と話し出した。
「何故そうなったのか、私は知らぬ。気づいた時には我が愛しの妻はあの塔の中で倒れていた」
息子が言っていたのはもう少しえげつない内容だったが、把握していないということはあるまい。裏切られていても、妻の名誉を守ろうとしているのだろう。
「幸い怪我はそれ程でも無かったが――その、体は」
僅かに言いよどむが、ビザールは容赦をしない。
「赤子を孕んでいた。そうですね?」
深く息を吐き、伯爵は天を仰ぐ。苦悩を堪え切れぬ声のまま、尚も続けた。
「……不義の子と蔑むことも出来た。だが、そのことが知れてより、妻は壊れた。悍ましい悪霊が、私を縊り殺しに来ると夜毎泣き叫んで暴れた。そんな有様にも構わず腹は大きくなり続け――あの子が――、生まれた」
ぐしゃりと白髪交じりの髪を掻きまぜ、伯爵は絞り出す。
「産婆が取り上げた子供は――その体が、半分、透けていた。慄いて産婆が取り落としても、全く泣くことも無く、笑っていた。妻は耐え切れず気をやり、私は――私は」
許しを乞うように、伯爵の視線が動くが、ビザールは逃がさなかった。僅かに口元に笑みを讃えたまま、ただ見つめている。観念したように、懺悔が聞こえた。
「あの子を――塔の中へ、捨てた」
僅かにヤズローと、同席を許されたエールが共に身じろいだ。
「私も狂っていたのかもしれない。あの地で宿ったのなら、あの地に帰そうとした。厳重に鍵をかけ、決して誰も入らぬようにと申しつけた。それで終わったと、思っていたのだ」
「ええ、ええ、伯爵殿。貴方その苦悩は汲んで余りあります。ですが――」
みちりと体を傾がせて、ビザールが立ち上がる。悠々と対面のソファへ近づき、まるで囁くように伯爵へ告げた。
「その子はまだ、生きておられるのです」
「なん、ですと……?」
「生きている、というと若干の語弊がありますが。その赤子は元より、霊質が非常に優れていたのでしょうな。あの塔の中には快い幽霊達が多くおり、面倒を見たおかげで、彼女は生きながらえたのです。残念ですがあの塔の中では肉体の成長が殆ど望めなかったため、体の大部分を構成するのは霊質ですが。生きた幽霊、とでも言えば良いのでしょうか」
「では、あの少女は――私の、」
心当たりに気付いたエールが身を乗り出す。先日受けたビザールの薀蓄が効いていたのだろう、理解も早い。対する伯爵は、信じられないとばかりに首を大きく振った。
「そんな、馬鹿な!」
「様々な偶然が重なったうえでの奇跡ですとも。そして彼女は健やかにお育ちになり――今、戦っております」
「戦う、だと? 一体何と」
「正しく、貴方の奥方に乱暴した憎き悪霊と、ですよ。更にあの悪霊は彼女をも苦しめて、己の力を高めている。いずれあの塔から這い出してくるやもしれません。そしてあの方は、塔の中の幽霊達だけでなく、乱入者の吾輩すら守ろうとしておられる」
「……」
ずるずると伯爵の体がソファに沈むが、ビザールの声は止まらない。片眼鏡の下の瞳をきらりと光らせて、堂々と言い放った。
「そんな気高きあの方が、このまま悪霊の餌とされるだけなのは余りにも不憫すぎます。どうか、お力をお貸しいただきたい」
「……私どもに、何をせよと」
深く深く息を吐きだし、伯爵は呟いた。苦悩、諦観、恐怖、嫌悪、そんな感情ばかりを向けてくる彼に、ビザールはあくまでにんまりと笑い。
「あの塔に入る許可と、もう一つ。――を」
「は――」
「此度の事件、吾輩がどうにか致しますので、どうぞ伯爵殿からその二つを頂きたいのですよ」
×××
ゆっくりと、日が沈んでいく。塔の天辺、襤褸の渡し板が残ったままの処刑所。そこに、リュクレールは佇んで眼下を眺めている。
「……よろしいのですか、お嬢様」
そっと声をかける、傍に控えたヴィオレに、笑顔で頷く。
「ええ。これ以上、あの方に甘えるわけには参りません」
遠くに見える、コンラディンの屋敷。そこから走り去っていく馬車を見送っていた。きっと無事に家に帰ったに違いない。それでいい――自分の存在など、忘れて下さって構わない。
手先は僅かに震えているが、先刻彼に頂いた言葉が、恐怖を留めてくれる。それで十分だと、本気で思った。
ゆっくりと、階段を降りる。沢山の幽霊達が、彼女の後に続く。皆黒い鎖で戒められているにも関わらず、リュクレールの決断に賛同してくれた者達ばかりだ。
わたくしは恵まれている、とリュクレールは思う。あれの言う通り、実の父母に疎まれ、閉じ込められた地で死に、魂を食われてしまっても当然の形で生れ落ちたにも関わらず、ヴィオレを初めとする者達が守ってくれて、紛い物のような形でも生き延びることが出来た。そのおかげで、貴族の娘としての矜持を持つことができたのだ。感謝しかない。
その上、自分が今までしてきたことと、これからすべきことを肯定して下さる方がいらしてくれた。本当に、嬉しかった。この塔に暮し、常に奥底にあった筈のあれの恐怖を、彼と話している間だけは忘れることが出来た。
「……わたくしは、幸せ者ですね」
一階まで辿り着き、銀月女神の神紋の上で、リュクレールは微笑んだ。普段はほとんど動いていない自分の心臓が、ゆっくりと、しっかりと脈打つのが解る。この気持ちだけは、絶対にあれに奪われない。例えこの身が引き裂かれ、自分が自分でなくなったとしても、決して離さないでいようと誓う。
銀の小剣を鞘から抜き、自分の眼前に掲げる。
「――参ります。お父様。いいえ、リアン・シェーヌ・コンラディン殿。貴方の乱暴狼藉、最早見逃すことは出来ません。――家名に誓い、貴方を滅ぼしましょう!」
彼女の宣誓に、幽霊達が一斉に鬨の声を上げ――
次の瞬間、床から溢れ出た黒い鎖が、塔を埋め尽くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます