第百九十六譚 後悔ばかりだとしても

 

 目が覚めると、そこは古びた祠のようだった。

 どうやら気を失っていたらしく、冷たい地面の感触が肌から感じ取れた。


 あれからどれだけの時間が過ぎたのか、時間の感覚すらわからない。とりあえず体を起こし、辺りを見渡してみる。


 古びた柱に、ボロボロの石階段。壁には植物が伝い、長く手入れされていない印象を受ける。出入口用の扉も、見てわかるほどに錆びれていた。


「着いたのか……」


 薄暗い祠を照らす一筋の光。天井から漏れた淡い光が俺の周りを照らしている。


 立ち上がろうと、地面に置いた手を動かした瞬間。その手に何かが触れた。


 目線を下に落とすと、気を失ったセレーネの姿。

 頰には涙の跡が残っていて、つい先ほどまで泣いていた事は明白だった。


「……ごめん」


 俺はそう言葉にすることしか出来ず、彼女から目を背けた。


「やっぱり、覚悟が足りなかったかな……俺」


 先程の事を思い出し、目頭が熱くなる。

 本当は敵対すべき――恨むべき相手だったはずなのに、それを忘れるくらい奴には別の感情が生まれてしまっている。仲間意識というか、友情というべきか。


 彼女の父ムルモアは、どこか不思議な男だった。

 とらえどころがないというか、何を考えているかわからなかったし、どこか憎めない奴だった。

 そもそも最初は敵同士だったし、もし本当に魔王の転生者なら、この姿で出会うずっと前から敵対していたことになる。


 一度目は勇者と魔王として敵対した。

 二度目はアルヴェリオとムルモアとして武闘大会で敵対した。

 

 だけど三度目。ドフタリアでの戦争から、俺たちは敵対関係ではなく協力関係に変わっていった。

 それからは仲間として共に戦ってきたが、魔王の片鱗なんて一切感じなかった。


 守りたいもの――大切な娘のために戦うただの人だった。


 魔族の王たる者が人として生まれ、人の子を愛した。それは決して誰かに馬鹿にされるようなことじゃない。

 ムルモアは最後の最後まで人間として――いや、きっと生きている。あいつはこんな簡単にくたばる奴じゃない。信じよう、ムルモアを。


「ここ、は……」


 そんな時、隣で眠るセレーネがゆっくりと起き上がる。


「恐らく聖王のもとに繋がる場所だと思う」

「アル様……良かった、傷は癒えたようですね。そのほか具合は悪くありませんか?」

「え、ああ、うん。すっかり元気だよ」


 投げかけられた言葉に、俺は意表を突かれる。

 

「それは良かった。では、さっそく向かいましょう」

「いや、セレーネ……」

「はい? 如何されましたか?」


 セレーネを引き留めたことを少し後悔した。

 まさか、さっきの事を何も言われないとは思っていなかったから、咄嗟に呼び止めてしまった。


 今でも、何ともない様子でこっちを向いている。涙の痕は残っているのに、表情に悲しみは残っていない。

 もしかしたら先程の記憶がないのかもしれない。なんてそんなことあり得ないのに、もしそうだったらどうすればいいのか考えてしまう自分がいる。


「あの、アル様?」


 そうだ、このまま何事もなかったようにすればいいじゃないか。向こうも何事もなかったようにいるんだから。


「――ごめん」

「えっ」


 黙ってなどいられなかった。

 こんな気持ちで、先になど進めない。


「俺がやられたばかりに、こんなことになってごめん。もっと慎重に戦っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。ムルモアはセレーネにとってたった一人の家族なのに、俺のせいで……本当に、ごめん」


 驚くほど、すらすらと言葉が出てきた。

 後悔しないように生きると決めたのに、結局後悔ばかりだ。


「……アル様」


 深く頭を下げているから、セレーネの表情がわからない。

 わからないからこそ、恐ろしい。俺はどんな顔で、セレーネと話せばいい。セレーネはどんな顔をして俺と話すのだろう。


「頭を上げてください、ほら――」


 そう言って、セレーネの手が俺の顔に触れた。

 ゆっくりと持ち上げられるように顔が上がり、同時に身体も自然と起こされる。


「私の顔を見てください」


 顔を上げ、目に映った彼女の表情はとても穏やかだった。


「私が怒っているように見えますか? 私は、貴方を恨んだことなど一度もありませんよ」

「でもセレーネ、俺は……俺はお前に迷惑かけてばかりで、お前にしてもらった恩を返すことすらできずにこうして……俺は――」

「もう、本当に馬鹿な人ですね、貴方は……」


 そっと、セレーネは優しく俺を抱き寄せた。


「既に私は、貴方から色々なものを与えられているのですよ。貴方の恩返しの気持ちは、いくつも受け取っています。優しさもたくさん、数えきれないほどに」


 その心地よく、どこか温かくて懐かしい空間に、俺は自然と涙を流した。


「俺、後悔ばかりの人生を送ってきたんだ」

「その後悔も私が共に背負います」

「最後の最後までしっかり生きようって決めて、結局どこかで立ち止まるんだ」

「その時は私が貴方の背を押しましょう」

「もう二度と、大切な仲間が、友達が死ぬのはみたくないんだ」

「大丈夫。私も皆さんも、ずっと貴方と共に在ります」


 俺はずっと後悔してきた。

 一度目も、二度目も、結局は何も変わらなかった人生を悔いてきた。

 三度目になって、ようやく変われたと思ったのに後悔は絶えない。


 勇者という責任は、俺が思うほど軽いものじゃなく、もっと重いものだった。

 三度目になって、ようやくそのことに気づけた俺は大馬鹿だ。


 そんな俺でもここまでたどり着けたのは、仲間たちのおかげなんだ。

 今まで出会ってきた仲間たちや、俺たちを支えてくれた人たち。誰か一人でも欠けたらここまでたどり着くことはできなかっただろう。

 

 勇者は、一人では完成しない。

 勇者は、支えてくれる大勢の人々がいるから成り立っているんだ。


 人は、結局は後悔する生き物なんだと思う。後悔しない人生なんて存在しないだろう。

 それでも、人は前を向いて歩いていく。その後悔を乗り越えて、進んでいく。

 だからこそ、人は強くなれるんだ。後悔して、乗り越えて、後悔して。その繰り返しを重ねるたびに強くなる。

 

「貴方が暗闇の道を歩むならば、私はその道を照らす光になりましょう。貴方がたった一人、世界を敵に回したとするならば、私が隣で支えましょう。それが私の想いです」

「セレーネ……」

「ムルモアさんは貴方に全てを託しました。きっと、それほどに信じていたからだと思います。貴方ならば、と」

「俺はそこまで立派な人間じゃないんだ。勇者である前に、一人の人間だから」

「それでも貴方は、必ず立ち上がり前を向かではないですか。それは勇者だからではなく、貴方だからこそ立ち上がるのです。皆が貴方を勇者という偶像として見るのであれば、私は貴方をただ一人の人として見ます。ですから、私の前でぐらい、弱音を吐いても良いのです。ありのままの貴方で、いてください」

「……ああ、ありがとうセレーネ……もう、大丈夫」


 俺はきっと、これから先も後悔する。

 後悔しない人生を送れるのなら送りたいが、きっとそれは不可能なのだろう。

 それでも必ず乗り越えられる。だって俺の側には、こんなにも支えてくれる仲間たちがいるのだから。


 何もせずにただ後悔するだけなんてごめんだ。

 何かをして後悔した方がよっぽどマシだ。


 だからと言って、今までの考えを捨てたわけじゃない。


「行こう、世界を取り戻すんだ」


 勇者として。ただのアルヴェリオとして。

 俺はお前と戦うよ、聖王。


 そうさ、もう迷いはしない。


 三度目の人生、今日も明日も明後日も皆が笑って暮らせるように精一杯生きて、戦うんだ。

 

 




六章 ”勇ましき者”と”魔の運命を受けし王” 終


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