●6月21日(木)午後3時

 待てよ、まさか試着のあの後、和栗の乗った贅沢あんみつよりアマレット薫るモンブランの方が珍しいし美味しそうだよ和栗っておばあちゃんじゃないんだからこっちこっちあとで一口ちょうだいね、と、からかった挙句無理やり注文を変えさせたこと、いまだ怒ってるんではなかろうか。


 ふと頭をよぎった考えに、いやそれは無いでしょ、と否定しつつも、そう言や、おおおおばあちゃんで何が悪いのっ、とか珍しく声を荒げてたよね……でもそれが理由で失踪までは普通いかないよね……と私の思考は詮無く行ったり来たりを繰り返している。


 今は車通りが増えて来た青葉通りを西に車を走らせている。先ほど寄った自分の前の家は、私が出て来た時そのまんまだった。彼が立ち寄った気配はやっぱり無かったわけで、まあそうだろうとは考えていたが、可能性は全てつぶしておきたかった。


 といったら少し語弊があるかも。可能性の薄い方を意識して選んでしまっていた。ガクちゃんの前のアパートの方……木造の二階建て家屋を改造して上下別々に店子が住まうといった今どき珍しいタイプの賃貸に、もし決定的な何かがあったらどうしようとか、そんな不安が無かったといったら嘘になる。


 決定的な何か……何かはわからないけど、私との縁が切られてしまうような、そんな漠然とした何か。あるいはガクちゃんそのものが転がっているとか。


 いや、いや、と運転中にも関わらず思い切り首を左右に振ってしまい、慌てて前方を注視する。縁起でもないこと考えるんじゃないっての。相変らず人通りの無い小道を何回か折れ曲がり、目的地へと到着する。


 大地主の大邸宅の敷地内、それもぐるりを立派な塀に囲まれたその中に建てられている一軒家のアパートという、これまた珍しい感じだと思うけど、遠慮なくその敷地内に車を進入させると、舗装されただだっ広い空間に車を停める。


 合鍵を取り出し、心なしか焦ってしまいつつも、入り口のドアを開けて靴を脱ぎ置き、すぐ眼前にそびえる絨毯敷きの内階段をとんとんと上がる。一階に住まわれてる方との面識は全く無かったものの、何か物音とかあったら聞いてるかも知れない、と思うけど、いやいや、何かあるって前提置いてたらあかんわ、と、まずは階段を上がり切った所にある「内側」の玄関ドアをノックしてみる。


 この「内扉」は通常施錠しないので、私も鍵は持っていない。中にいる時は一応用心のため掛けるものの、もしガクちゃんが今、室内にいるとしたら、このノックで私ということは分かるはずだ。「外扉」の鍵を持っているのは自分の他には大家さんと私しかいないはずだから(たぶん)。


 返答は無い。なかば予想通りだったけど、恐る恐るドアのノブを握る。これで鍵掛かってたらどうしよう、との思いが、嫌な冷たさを持って私の胸を這い上がって来ている。普段掛けない鍵を掛けてどこかに行ったか、ま、それならそれでまだましと思えるんだけど、中で見知らぬ女とよろしくしてたら……いやそれより中で鍵掛けたまま倒れていたりしたら……と、私の渦巻く不安もあっさり覆し、ドアはすんなりとこちらに向かって開いてくる。


 しかしまだ油断は出来ない、と、少し身構えつつ息を殺して室内に。入ってすぐが台所。異常なし、と指さし確認して、奥の隣り合う六畳と四畳半の居室に目を走らせる。

 どちらも引き戸が設えられているけど、双方開け放たれていて中の様子は台所からどちらも見渡せた。人影なし。まずは良し。


 薄暗い室内に目を凝らしていると、点滅する小さな緑の光が主張してきた。あれってもしかして……


 こたつ机の上に転がるようにしてあったのは、ガクちゃんの携帯電話だった。黄色とオレンジの中間みたいな色合いは、カーテン越しの淡い光の中でも、すぐそれと分かった。分かっただけに何でここに置いてあるの、という疑問もすぐに沸いたけれど。


 二つ折りの携帯は開かれたまま、天板の上に伏せられている。そのボディの横から伸びるコードは充電用のやつ。水に落としてから、ホルダーで充電しようとしても反応しなくなっちゃったんだよね、と言ってた。だから直で繋いでいるんだろうけど、慌てて出掛ける支度をした挙句、大事なものをピンポイントで忘れるという、彼の社会人としてはあかん癖を思い出し、嗚呼、となる。押し入れの引き戸も開けっ放し。テレビの置いてある金属のラックの上の小物入れの引き出しも、三段とも全て出ている。知らない人が見たら泥棒に入られたと誤解されかねない部屋の様相だけど、これで、彼がこの部屋に寄ってから消息を絶ったことが分かった。


 後は消息を絶ったその理由を突きとめないと。差し当ってやっぱり気になるのは転がってランプを瞬かせている携帯だ。別に何かが仕掛けられているってわけでも無いだろうけど、私は伏せられていた黄色の携帯をそっとつまんで裏返してみる。


 画面は一段階暗くなってはいたものの、メールの作成画面だろうか、文字の連なりが目に留まった。ロックかかってない状態? メール画面にしていたからオートロックがかからずに済んだ、それプラス充電状態だったから、そこから待機状態にならずに済んだのかも。


 とにかく、現時点で分かる、ガクちゃんの最後の行動であることは確か。間違って電源ボタンを押さないように細心の注意を払いながら、私は「下」のボタンを押して、画面を明るくしてみる。


 <ははははのは/かにMODE/ことUきよU/にはくこのき/KYOUなり>


 何だこれ。暗号か。ダイイング何とかで無いことを祈りたいけど、そうだったとしても私に解読できる自信は無い。


 気付いたのはこの謎文が、私宛てに送られようとしていたところだったということ。あと「送信」ボタンを押すだけでこのメールは私の携帯に飛ぶ状態になっていた。ガクちゃんは何か私に伝えようとした……? でも何らかの事情でそれは伝わっていなかった。それにガクちゃん自身が気付いていないとしたら?


 実際にはメールは送られていない、でもガクちゃんは私には連絡行ってると思い込んでいる。だからその後の音沙汰が無いと。そう考えると、逆にガクちゃんは「無事」なんじゃないかとも思えてくる。いや分からない。メール打ってる途中で拉致られたとか。でもあの質量は見た目以上のものだから連れ去ろうにも大変そうだし、ぱっと鑑みてのメリットらしきものも見当たらない。


 であれば、やはり慌てて出掛けて携帯忘れましたというオチだろう。私宛ての暗号に……その真意が隠されていればいいけど。でも何で暗号にする必要があったんだろう。とりあえずその文面を自分に「送信」しておく。無事送信のメッセージが数秒表示されると、画面は待ち受けへと戻ったんだけど、そこには満開の桜をバックに微妙な感じで笑ってる結構なアップの私がいた。


 何だよ。何でこんな前髪しくじった時の写真使ってんだよ、と悪態をついてみたけど、広めの部屋には、やはりむなしく自分の声が響くだけであって。私は早くこの便器に落とした携帯の持ち主に会いたくて会いたくてしょうがなくなってきてしまっている。


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