第5話身体はどこに
30分後。しんと静まり返った通りは雫がこの場所から離れてから一人も行き来することはなかった。
「ごめんね、ちょっとって言ったけど30分ぐらい経っちゃったかな」
雫は苦笑しながら最初に入った家の反対側の家から出てきた。
「別にいいですけど、何をやっていたんですか?」
「他人の家の覗き」
「……」
「なんて言うのは冗談で、時間の確認とニュースを見てたんだ」
「ニュース?」
「最初に家に入ったとき、時計を見たら19時50分だったんだ。ちょうどテレビで住人がニュースをつけていたから私も一緒に見てた。だいたいその時間帯のローカルニュースって夕方までの事故や事件を流すからね。なにかしらの事件がここで起きたならニュースで流しているかと思って」
「それで結果は?」
「終わるまで見てたけど流れたのはここから数キロ先の衝突事故くらいしかやってなかったよ。もちろん、私の名前は出なかった」
「それ、30分もかかります?だいたい5分くらいで終わると思いますけど」
「局で流すニュースが違うと思って別のチャンネルも見たかったけどすぐにバライティ番組に移行しちゃってね。もしかしてネットニュースでやってるかと思って、他の家に移ってネットでニュースを見ている住人を探してたんだけどなかなかいなくて」
雫は残念そうに肩をすくめる。
「近くで事件が起きたなら若者とかだったらSNSで拡散していると思ったけどそんな子一人もいなかったし」
「それでこんなに時間がかかったんですか」
「ちょっと違うかな。家から家へと移動していたのは住人の世間話とか聞いてたから」
「世間話?」
「近所で人が死ぬような事件があったら、話題に出るかと思って。でも、ここら辺の住宅地一通り回ったけど私のことはかすりも話題に出なかったよ」
雫の様子から本当にニュースにも話の話題にも上がらず、収穫はまったくなかったようだ。
「ま、最初っから期待はしてなかったけど。普通夕方にここで事件があったら警察がいるだろうし。こんなに早く撤収するなんてありえないしね」
「……おかしいですね。あなたがここで死んだことは確かなんです。ここに戻ったのは何かしらの形跡があると思ったのですが」
殺し屋である雫がただの事故にあったとは思えない。周辺の人間に悟られず、襲撃された可能性だってある。しかし、それでも何らかの跡は残っているはずだ。
特にあるはずのものがここにはない。
「身体は一体どこに?」
玖月は何もない地面を眺める。警察も救急車もここに来た様子はない。つまり、誰かが意図的に雫の遺体を処理したということになる。事件が表沙汰にならないように事故処理を徹底したところを見ると雫と同じ裏社会の人間が一枚噛んでいると読んだほうがいいのだろうか。
「色々わからないことだらけだけど生身の身体の居場所はだいたい検討はついているよ」
遺体のありかについて考えていた玖月に雫ははっきりとした口調で言った。
「検討がついてる?」
玖月は雫を横目で窺うと、確信を持っている目で玖月を見つめている。
「たぶん、家にある」
「家って雫さんの家ですか?」
「うん、そう。家族が持ち帰ったと思う」
雫は断言した。
「なぜ、そう言えるんですか?」
「理由は簡単。ここに死体がないから。それだけ」
「何ですかそれ」
玖月は雫の言葉にわずかに眉根を寄せる。
「私が殺されたって前提で話すね。プロの殺し屋って言うのはいちいち死体なんて隠さないものなんだ。素人じゃあるまいし。下手に痕跡を消そうとすると返って墓穴を掘ることもあるからね」
表の世界と裏の世界で行き来している人間にとって常に心得なければいけないのは、自分の正体を周囲に絶対に気づかせないことだ。腕利きの暗殺者なら、人目のあるところも周囲に気づかれずに事を為すことができる。しかし、せっかく完璧に事を為したのにわざわざ周囲に気づかれる危険性が高い死体の処理なんて普通しない。
「私の勘なんだけど、殺した人間と遺体を処理した人間は別々にいるんじゃないかと思って。ひとけが少ないって言ってもここは住宅地。こんな場所で私に気配を感じさせず、尚且つ一人もその現場を目撃させないなんてよっぽど腕の立つ人間だと思う。さっきも言ったけどプロの殺し屋は死体は基本は放っておくものだよ。それなのに、ここには私の死体がない。しかも見事なまでの痕跡まで消して。人目につく危険を顧みずこんな短期間で周囲に気づかれないように死体の痕跡を消すことができるなんてよっぽど私の死体を放置することが危ないって思っている人間が移動させたんじゃないかと思ってね」
玖月は雫の言葉に黙って耳を傾けている。
「それが雫さんの家族ですか?わざわざそんな危険を冒してまでですか?それにあなたの口ぶりではまるであなたがここで死ぬことがわかってたみたいじゃないですか。わかっているからこそ、迅速な処理ができたみたいに思えます」
雫の話を聞いた上で、言葉を選ぶように疑問を口にする。
「最初の疑問に答えるよ。私たち家族は裏家業をこなしつつ、普段は会社で働いていたり私みたいに学校に通っていたりしてる。うまく使い分ける方法は色々あるけど、その1つとしてやっかい事や警察沙汰にはできるだけ関わらないようにすることなんだ。それなのに私の死体が他人の目に触れて通報でもされたてみなよ。嫌でも警察が関与する」
家族の誰かが雫の暗殺に関わっていようがいなかようが、警察やマスコミがこの事件がきっかけで家の敷地内に入り込まれ、家のことを調査されでもしたら面倒なことこの上ないだろう。なにせ、人を殺して金を得ている家だ。警察総出で家の中をひっくり返されたら皆すぐに刑務所行きになるだろう。
「次の疑問のなんで私の死体を迅速に処理できたかについてなんだけど……」
今まで饒舌に自分の考えを述べていた雫が急に歯切れが悪くなり、口調がたどたどしくなっていった。
「実は待ち合わせしてたんだ。今日、三番目の兄さんの仕事日だったんだけど、標的の居場所がここからちょっと距離があるみたいだから車で移動したんだ。帰りは夕方になるって言っていたから帰りに拾ってもらうのにちょうどいいと思って。だから、少しここから行ったところの公園辺りで待ち合わせしたんだ。たぶん、待ち合わせ時間に私が来ないから変に思ったんだと思う。友達の家を出るとき「公園に向かう」ってメッセージを送っていたから余計にね。車で道を辿ったら偶然死んでいる私を発見したんだと思う。そのまま放置するわけにもいかないからとりあえず、家に運び込んだってところかな」
「車を使っていたとしても一人ですべて処理できるものですか?」
「あ、言い忘れてたね。三番目の兄さんは車の免許はまだ持ってないんだ。だから現場が遠いとき家で贔屓にしている仲介屋の虎次さんによく車を頼んでいるの。私もよく利用するし」
「つまり、痕跡を消したり遺体を持ち去ったのはその二人だって言うのですか?」
「たぶんね、私軽いし。それにもし、血があんまり出ないような殺され方だった、痕跡とか消すのもそんなに大変じゃないと思うし」
「それが、ここに死体がない理由と根拠ですか?」
「まぁね。私なりの推測」
ずっと捲くし立ててしゃべっていたため、一息つくようにふぅと息を吐いた。
そんな雫の様子を玖月は冷めた目で見つめる。
「ずいぶんと穴だらけの推測ですね」
「うん、私もだんだん話していてそう感じてきた。死体の処理辺りから」
そう言いながら、雫は天を見上げる。
夜空には数えるほどしかない星々が小さく光っているのが見える。
「まず一つ、少し矛盾を感じました。いつ、殺されてもおかしくない裏仕事を続けているのに、警察沙汰には関わりたくないなんて」
たくさんの人間を殺すということは殺した分だけ人間の業を少なからず背負うということだ。つまり、恨みを一刻も早く晴らし、陥れたいという人間が幾人もいるということ。そんな人間にとって、殺し屋の表の世界の平穏を保ち続けたいなんて願い、知ったことではないだろう。襲撃のチャンスが舞い降りたら、時間や場所は選ぶはずがない。雫だって表の世界の平穏を崩されそうになった経験はあるはずだ。いつどこで周囲に正体を知られるかわからいのに、殺しの仕事を続けているなんて完全に矛盾している。人を殺し恨みが増えるということは、正体を知られるリスクが増えるということだ。
「まぁ、普通はそう思うよね。でもそんな簡単じゃないんだよ。学生の趣味やアルバイトみたいにすぐにはやめられるわけじゃないからね」
雫は玖月の直球な意見に苦笑いを浮かべる。
「実はさっきの厄介事には関わらないようにするっていうのは7割方私にとっての心構えなんだよね。他の皆はそれほどバレるバレないかは重要視してないかもしれない」
「そうなんですか?」
「言ったでしょ。みんなちょっと頭イカれてるって」
雫は夜空を見上げながら片足で軽く地面を蹴った。その反動で雫の身体はふわりと浮かんだ。
玖月はそんな雫を横目で見ながら、続ける。
「二つ目。あなたはこの犯行をプロの手口で殺した人間と死体を処理した人間は別々だと言っていましたが、少し無理があるのではないですか?僕は殺し屋の世界のことなんて何も知りませんが、標的を必ず仕留めるためには事前に下調べをすると思うのですが……」
「たしかにね。情報を多く得てたほうがより成功率があがる」
雫は視線を上空に向けたまま身体を浮かせたままゆっくりと後方に下がる。
「雫さんの命をこの場所で誰の目にも触れず仕留めるには事前に雫さんがここを通ることを知っていなければできません。雫さんはこの街道をよく通るのですか?」
「ううん、今日で二回目。私の家と藍の家は反対方向だから。ついでに言うと今日藍の家に行くことは昨日、藍と決めたことだし誰にも言っていない。家族以外には」
「つまり、家族以外はあなたがこの道を通ることは知る由もないということですね」
「どうかなぁ。情報を売ったり買ったりしている情報屋とかもいるからね。知らないうちに情報が漏れてる可能性だってあるし」
「でも、最も怪しい人物は雫さんだってわかっているのではないですか?」
「う~ん」
雫は腕組をしながら唸った。
「雫さんの推測をすべて聞きましたが、僕は殺した人物と死体を処理した人物は同一人物だと思っています。そしてその人物はおそらく、あなたが言う三番目のお兄さんです」
雫は何も言わなかった。何も言わずに黙って耳を傾けている。
「そのお兄さんが犯人ならすべて辻褄が合います。雫さんと同じ同業者で腕が立ち、雫さんがここを通ることも知っています。何より待ち合わせをしたなら通る時間だって把握できるし、死体の後処理だってすぐにできるはずです。もし、その虎次さんも加担していたのならなおさらです」
「そうだよねぇ」
雫の体はもう少しで水平になってしまうほどゆっくり回っている。雫は腕を組んだまま、動かなかった。
殺した犯人が家族の中にいるのなら話は早い。気配を完全に消し、標的が痛みを感じる暇もなく仕留めることだってできる。
「第一、突然妹が死んでいるところに出くわしたのにすぐに切り替えられるものですか?」
雫の殺害に関与していないにしても、自分たちの正体を知られないことを優先的に考え何の躊躇もなく後処理なんてできるものだろうか。
「え、切り替えられない?そういう感傷は後ですればいいと思うけど」
雫は上空に向けていた視線を玖月に向けた。玖月の思いがけない言葉に呆気に囚われているようだった。
「さぁ、僕には家族がいないのでよくはわかりませんが。一般的にはできないものかと」
「そっかぁ、普通は切り替えられないものなんだ」
小さく呟いた後ずっと浮遊していた身体を垂直に戻し、その場に立った。
「なんか、こんがらがってきなぁ。そもそもこういう頭使う推察は私の専門外なんだよね」
そう言って軽く頭を振る。
「色々推測立てたけど結局全部勘なんだよね」
今までの推論はすべて憶測に過ぎない。殺した人間と死体を処理した人間が別々にいるという証拠も同業者であるプロの犯行という証拠も何も見つけていない。そもそも、これが事故ではなく事件だという確証もない。
玖月もそれを理解していた。雫の兄が怪しいという理屈も雫の推察あっての話だ。今までの推察がこれからすべてひっくり返る証拠がでてくる可能性だってある。
「百聞は一見にしかず。とりあえず、家に行って見ようよ。案内するし」
今、話した推察の中で一番確かめやすい事案は雫の家に死体があるかないかだ。五月雨家の誰かが犯行に関わっているかどうかわからないが、一度家に戻って家族全員の様子を見てみることも必要だろう。
「そうですね」
玖月は雫の案にゆっくりと頷いた。雫と玖月は近くの家の屋根まで上がり、周囲を見渡した。ぼんやりとした淡い灯りがそこいらじゅうに散らばっているため、家の方向感覚が定まりにくい。雫は家の近辺にある見慣れているネオン看板がないか目を凝らした。
「たぶんあっち。あのビルの近くだから」
そう言って、雫はブルーライトの光が点滅しているビル周辺を指差した。
「では、行きましょう」
「うん」
二人は並んで夜空を飛んだ。
「雫さんの家族以外に誰か思い当たる人間はいますか?」
目的の場所に向かっている最中、玖月が話しかけてきた。
「思い当たる?そうだなぁ」
「最近、仕事をした日はいつですか?」
「一週間前かな」
「では、殺しの実力は置いておくとしてここ最近であなたを殺したいと思っている人物に心当たりはありますか」
「いると思う……けど」
雫は顎に手を当てて記憶の糸を辿る。しばらく考えた後、諦めたかのようにふっと息を吐いた。
「思い出すの難しいな。第一私、殺した人間のことなんてだいたい忘れるからさ。周辺の人間のことなんていちいち考えないし」
雫は記憶を思い起こさせることを億劫に感じていた。それは人を殺している苦悩から来るものではなく、ただ単に一度忘れてしまったことを思い出さなければいけないことを辟易に感じていたからだった。
「……」
「私のこと、軽蔑する?」
「……いえ、別に」
玖月の呟きは暗闇の中に吸い込まれてしまうほど、小さくか細い。玖月はそれから、雫の家に付くまで話しかけることはしなかった。
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