第7章 火継ぎの港街①

灯りが見えた。


最初に覚えている、炎の熱と臭い。


ああ、またこの夢か。


燃える生家の前で立ち尽くす私は、ぼんやりと記憶の中の地獄を見渡した。

渡り烏(わたりがらす)に故郷の村を襲われて以来、頻繁に見る悪夢の景色は、不思議なことに今では馴染み深い物に変わりつつあった。

燃え盛る家屋や、路地の先に見え隠れする渡り烏の影を見るたび、幼い頃の私はひどくうなされ、しばしば深夜に目を覚ましてはエルザ師匠に慰められていたが、暗い魂が覚醒の兆しを見せてからは、何故か夢の中では、旧友に再会したときのような懐かしさを感じるようになっていた。

私は遠巻きに渡り烏の影を眼で追っていたが、今回の夢はいつもと様子が違っていた。

ただ遠くにちらついていた渡り烏の影が、炎の中を潜り抜けて私に近づいてきた。私は思わず逃げようとしたが、夢の中の身体は金縛りにあったように動かなかった。

目の前に立つ渡り烏の姿は、記憶にある物よりも鮮明な形をしていた。烏の羽根を寄り合わせたような漆黒のマントの下には、細身の身体に合わせて作られた鎧を着込み、その表面には曲線で描かれた禍々しい模様が浮き上がっていた。もっとも印象的な顔のマスクは、文字通り烏のくちばしを思わせるような突起が延びており、大きく空けられた暗い二つの覗き穴が私を見返していた。


しばらく私達は向かい合ったまま、お互いを見つめあっていたように感じたが、突然、渡り烏は振り返ると、村の外れの丘に向かって歩き出した。その背中から、着いてこいという意思を感じた私は、渡り烏の後を追った。周囲は業火に包まれているにも関わらず、不思議と熱さは感じなかったが、何故か視界の色はいつまでも炎に焼かれたような暗い赤色に染まったままだった。


やがて、村外れの丘の上に到着すると、渡り烏は足を止めた。

渡り烏はまだ丘の中腹にいる私の方を微かに振り返ると、丘の向こう側を指差した。その先にどのような景色があるのか、私はもはや一切の恐怖を感じること無く、渡り烏の横に並び、丘の向こうを見渡した。

丘の先は、私がよく知るなだらかな丘陵地帯ではなく、全く別の景色が広がっていた。

まず、最初に見えたのは、海だった。血を思わせるような、赤色に染まった海が、水平線で暗い空に溶け込んでいた。気がつくと、丘だと思っていた足下の地形はいつの間にか切り立った断崖に変化しており、はるか眼下には波が打ち付け、風がうねる音が私の鼓膜を叩いていた。

顔を左に動かすと、弧を描く海岸線が遠くにみえ、その先には大きな港街があった。街の中から角のように張り出して見える岬の先には、離れていてもはっきりと形が識別できるほど巨大な灯台が鎮座し、街を見下ろしていた。

何故、記憶に無い景色が突然夢に現れるのか、何故、渡り烏が私にこの景色を見せようとしたのか、何もかもが不可解だったが、私は横に立っている渡り烏を睨み付けた。

「お前は、何者だ?」

私の問いに対して、渡り烏は何も答えなかったが、おもむろに彼方の灯台を指差した。

気がつくと、その巨大な灯台には火が灯っていた。煌々と燃えるその炎は、赤い空と海の合わせ鏡の間で、火の出のように世界を照らしていた。

灯台に火が灯ると同時に、岸壁に打ち付ける波が強くなった。いや、そもそも岸壁に打ち付けるものは海では無くなっていた。

それは文字通り、人の波だった。目を凝らすと、死体にたかるうじのように、無数の亡者の群れが蠢いていた。

思わず後ずさりする私を見て、渡り烏が小さく身体を揺らしていた。仮面の下から漏れるくぐもった息づかいから、私は彼女が笑っているのだと悟った。

『……ラルフ』

渡り烏が唐突に、両手をマスクに添えた。カチリと高い音が響き、留め具が外された。

『…ラルフ』

岸壁に打ち付ける風は渦巻くつむじとなり、うごめく亡者たちの波がせりあがってくるように見えた。

太鼓の響きのような心臓の鼓動だけが私の身体を揺らし、赤色の視界がさらに燃えあがるような紅に染まった。

『ラルフ』

渡り烏がゆっくりとマスクを顔から剥がし始めた。

その動作に目が釘付けになり、呼吸までも忘れたかのような苦しさの中で、私はついに渡り烏の顔を…

『ラルフ!!』

意識が覚醒した瞬間、私の目の前には、澄みきった水底のように深く、鮮やかな青の瞳が浮かんでいた。

「師…匠…」

私の喉から出た声はかすれていた。

3ヶ月ぶりに見るエルザ師匠の顔に安堵の表情が広がった。

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