第4章 死人占い師①

正門でアンナに乗り換えた私たちは休む間もなく、夜の街道へと飛び出した。

私はエルザの背中にしがみつきながら、地を蹴るアンナの蹄の音に負けじと声を張り上げた。

「知らせにはなんて書いてあったんですか?」

「『ワレ会敵ス セントオリーンズ』とだけ書いてあった。セントオリーンズは王都から東の方角の集落だ。使いの梟がまっすぐ飛んで来たのなら、おそらく3 時間ほど前に知らせを飛ばしたに違いない。」

しばらく間を置いた後、エルザは固い声で付け足した。

「書簡にはロザリィのサインが書いていた。彼女はすでに渡り烏と戦闘を開始しているのかもしれない。」

 それを聞いて、私は魔女集会でエルザと衝突していた魔女「紅のロザリィ」の鋭い瞳を思い出した。

「無事でしょうか?ロザリィさん」

「彼女の戦闘能力は魔女集会のメンバーの中でも高い方だ。魔女が相手でもそう簡単に敗北することはないだろう。だが、」

 エルザはまた次の言葉までに間を置いた。

「渡り烏の力は未知数だ。あれほど対人戦闘に特化した武器や魔法を持つのなら、ロザリィでも苦戦する相手には違いない。」

 エルザはアンナをせかすように鞭を入れた。勢いを増したアンナの揺れに振り落とされないよう、私はエルザの背中に掴まる腕に力をこめた。


 ひたすらに暗い街道を駆けていくうちに、私は時間の感覚を失っていった。私の脳裏には、ひたすらに渡り烏が両親を殺した瞬間の記憶のみがあった。これから向かう先にもし渡り烏がいるのなら、私はやつの前に立つことができるのだろうか。

「怖いのか。」

エルザの言葉で、私は身体がひどく震えていることに気づいた。私は無言のまま暗い道の先に目を向けた。ふと、街道の先の空が明るくなっていることに気づいた。

「夜明けにはまだ早いな。あれは、まさか…」

 私は夜の空を照らすその色をよく知っていた。光源に近づくほど強くなる死の臭いに、私は猛烈な吐き気を覚えた。

「燃えています。なにもかもが。」


 セントオリーンズはまさに、私の故郷の惨劇を再現していた。いや、炎の規模で言えばそれ以上だった。街の入り口はすでに炎の壁に遮られ、中に入ることはおろか、撒き散らされる火の粉の熱気に近づくことすらできなかった。

「これではまともに生存者を探すこともできないな。まずはロザリィと合流するぞ。」

言うやいなや、エルザは右手を振った。彼女の右手から漏れ出た光の塊は小さく羽ばたきながら私たちの周りを飛び回り始めた。

「痕跡を追え。」

 エルザがそう命じると、光る小鳥たちは燃え盛る炎の中に飛び込んでいった。

 私とエルザは燃える街の外苑に沿って移動した。街の外側には人の気配はなく、炎に縁取られた家屋が私たちの横顔を照らしていた。

「どうやら住人たちは街の外に逃げる間もなく炎に囲まれたようだな。これだけの炎を起こせる者はやつしかいないだろう。」

 私はエルザの呟きを聞きながら、次第に身体の震えが大きくなっていくのを感じた。心臓が身体のなかを跳ね回り、血管が脈動する音が私の脳を揺らしていた。

「伏せろ!」

 エルザが叫ぶが早いか、私は師匠の背中にしがみついていた。

 アンナが進む先の闇の中から、行く筋もの紅の閃光がのたうつように飛びだしてきた。バリバリと紙を引き裂くような音の中にアンナの嘶きが響き渡り、エルザが叫ぶ声が聞こえた。

 「待て、ロザリィ!私だ!灰のエルザだ!」

エルザは暴れるアンナを制しながら闇のなかへ呼び掛けた。

「エルザ…お前か。あやうく黒こげにするところだったぞ。」

 吐き捨てるようにいい放つと、炎の明かりが届かない闇の中から紅のロザリィが現れた。

ロザリィは右手に握る細身の剣を下げると、脇腹を押さえて低い呻き声をあげて膝を着いた。

エルザと私はアンナの背中から降りるとロザリィに駆け寄った。

「ケガをしているのか?」

「ああ、不覚にも一発もらっちまった。こっちはやつらに何発も食らわしてやったんだがな。」

 ロザリィの傷の具合を確認していたエルザが顔を上げた。

「渡り烏と交戦したのか?」

 ロザリィは顔をしかめながらうなずいた。

「ああ、私の使い魔がこの街の異変を察知してな。私が到着したときにはすでに渡り烏たちが住人たちを燃やしているところだった。」

 私は先ほどからロザリィの言葉に違和感を感じていたが、エルザは構わずロザリィに治癒魔法をかけ始めた。掌の上にあふれる白色の光を傷口に押し当てながら、エルザはロザリイに状況を確認した。

「敵はまだ近くにいるのか?」

「いや、私が交戦したのは数時間前だ。やつら、村全体に火が回ったと見るや、さっさと逃げていきやがった。」

 取り逃がした悔しさからか、ロザリィはうつむいたまま小さく舌打ちした。

「さっきから敵は複数いるような言い方をしているが、敵は渡り烏だけではなかったのか?」

エルザからの質問にロザリィは顔を上げた。

「エルザ、お前はやつらと直接遭遇したことはなかったんだな。お前が渡り烏と呼ぶ相手は単独犯じゃない。少なくとも、私は10人以上の相手と交戦した。」

 新たな情報を聞いて、炎に照らされたエルザの表情がより厳しくなった。

「つまり、私たちが追っている『渡り烏』は複数存在するということか。」

「ああ、そうだ。私が交戦したやつらは全員黒い槍を持っていた。しかもどいつも手練れの使い手ときやがる。言い訳がましいが、こっちは防ぐだけで精いっぱいだったよ。」

 治癒魔法が効いたのか、ロザリィはゆっくりと立ち上がった。

「それよりも、急いでここを離れるべきだ。これだけの火の手が上がれば、さすがに近隣の村から通報されているはずだ。明け方には州軍の治安部隊がやってくる。下手に見つかれば、容疑者にでもされかねないからな。」

 ロザリィが高い指笛を吹くと、ほどなくして彼女の馬が駆けてきた。

「待ってくれ、ロザリィ。まだ生存者がいるかもしれない。私たちで救出を…」

 呼び止めようとするエルザを無視して、ロザリィは馬にまたがると、鋭い視線でエルザを見下ろした。

「誰も生き残ってやしないさ。渡り烏どもが逃げた後もこの辺りを捜索したが、猫の子一匹出てきやしなかった。この街の住人は全員殺されたよ。」

 ロザリィは無感情に言いはなった。

 私が見た限りでは、エルザはいつもの冷静な表情に戻っていたが、それでも彼女の杖を持つ手が震えていることに気づいた。

「細かいことは後で話す。まずは落ち着ける場所まで移動するぞ。」

ロザリィは馬の頭を王都の方角へと向けた。

エルザも私もしばらく燃える街を眺めていたが、ふと、炎の中からエルザの使い魔が戻ってきた。光る小鳥たちはくるくるとエルザの周りを回ると、ある方角へと飛んでは戻るを繰り返した。

「何をぼさっと突っ立ってるんだ。さっさとここを離れるぞ。」

  苛ついたようにロザリィが呼び掛けてきたが、エルザは私をアンナの背中に乗せ、自身も跨がると、ロザリィとは反対方向に馬を向けた。

 「痕跡を見つけた。やつを追うぞ。」

エルザは私の耳元でそう告げると、馬を進めた。

 後ろでロザリィが呼び止める声が聞こえたが、エルザは構わずに馬を加速させた。

 私たちは闇の中を先導する光る小鳥たちをひたすら追いかけた。

「どこへ向かってるんでしょう?」

「地図上だと、この先は山間の小さな渓谷になっている。とにかく追えるだけ追ってみよう。なにか手掛かりが見つかるかもしれん。」

エルザが杖の先端に小さく息を吹きかけると、使い魔たちと同じ金色の灯がともった。エルザは松明のように光源の杖を掲げると周囲の景色を観察した。

暗闇の中では遠くまで見渡せるわけではないが、次第に黒い影が左右から迫ってきており、幅の狭い地形に侵入してきたことが分かった。

突然、使い魔たちが前方の離れた地点で止まった。光る小鳥たちはその場で何度か円を描いたあと、エルザの元へと戻ってきた。

 エルザはアンナの足を止めると、杖の灯りを左右に振った。

私も周囲の闇に目を凝らしたが、杖の灯り程度では谷底の覆い被さってくるような地形の影がぼんやりと認識できる程度だった。

「何か見つけたんでしょうか?」

エルザの手のひらの上でくるくると羽ばたく小鳥を見ながら、私は胸の底からせりあがってくる恐怖を感じていた。その時の私の直感は、使い魔が動きを止めた場所に確かに「何かがいる」ことを告げていた。

エルザは杖を持つ手と反対の手を掲げると、以前に山犬たちを追い払ったときのように手の中に種火を起こした。

「呪術の炎をだす。声を上げるなよ。」

エルザは低い声で言うと、手の中の炎を宙にばらまいた。エルザの手から放たれた火球は私たちの周囲でいったん浮遊すると、爆発的に燃え上がった。

その瞬間、周囲の景色の中から無数の影が立ち上がった。

 私は全身の毛が逆立ち、空気が喉に張り付いたように声を上げることすらできなかった。

「待ち伏せか、やられたな。」

エルザは忌々しげに舌打ちすると、すぐさま来た道へとアンナの首を方向転換した。だが、呪術の炎に照らされた道にはすでに何人もの正体不明の影が立ちはだかっていた。

私は恐怖のあまり視覚以外の五感が麻痺しようとしていたが、それ以上に鼻腔から脳天を貫くような猛烈な臭いに私は吐き気を催した。私はかつてその臭いを村の外れで嗅いだ記憶があった。初めて目にした腐った犬の死骸にはうじがたかり、生き物の尊厳を損なうような凄惨な有り様を私は思い出していた。

 エルザは興奮するアンナをなんとかなだめると、周囲の影に向けて声を張り上げた。

「お前たちだな!セントオリーンズを火の海に変えたのは!!」

 無数の影達から帰ってきたのは沈黙だった。

「私は灰のエルザ。魔女集会の長である光のアストラエアからお前たちを捕らえる名を受けている。お前たちにわずかにでも理性とやらが残っているのなら、その忌まわしい名を名乗るがいい!!」

誰も答えようとしなかった。変わりに彼らは腕を上げ、その手に持つ得物を一斉に掲げた。闇夜の中でもなお黒いその槍は、まさに漆黒と呼ぶに相応しい色を宿していた。

「言葉など不要というわけか。けだものどもめ。」

エルザは低く呟くと、後ろから私の肩をしっかりと抱いた。

「何があっても、私のそばを離れるな。わかったか。」

「はい、エルザ師匠。」

私の声は消え入りそうなほどか細く、小さかった。

エルザは片手に私を抱いたまま、槍を掲げる影に杖の先を向けた。

「来るがいい。死にたい者から順番にだ。」

 槍の切っ先が一斉に私たちに向けられた。滑るようなゆっくりとした動きで、影達は包囲を狭めてきた。

私はエルザの腕にしがみつき、震えながらも、迫ってくる死神の姿に目がくぎづけになっていた。頭に深く被ったフードの奥から、全員が私一人を見返してきているような感覚にとらわれた。

あと3歩も進めば槍の穂先が届くほどの距離まで迫ったその時、一番近くにいた影の一人が突然燃え上がった。

「kiaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」

 この世の物とは思えない絶叫は鼓膜の奥まで突き刺さるようだった。私はアンナのたてがみに顔をうずめながら、頭をつぶさんとする勢いで耳を強く押さえた。

それを境に、私たちの周囲の黒衣の影が一斉に炎に包まれた。

頭が割れそうな奇声に耐えながら、私は周囲の状況を確認した。

黒衣の影に向けて炎を放っていたのは、エルザが最初に空中に浮かべた4つの火の玉だった。

私たちに近づくものがあらば、宙に浮かぶ火の玉から炎が吹き出し、瞬く間に黒衣の者たちを火だるまへと変えていた。

エルザは安心させるように私を抱く腕を揺すった。

「この浮かぶ呪術の炎がある限り、やつらは私たちに近づけない。それに、」

エルザは手の中に炎を起こすと、一際大きな火球をばらまいた。炎が着弾した周囲の黒衣の影達は奇声を上げながら散り散りに逃げ惑っていた。

「どうやらやつらは炎が苦手のようだ。だが、妙だな。」

さらに炎弾を投げつけながら、エルザは呟いた。

「炎が苦手なら、なぜこいつらは街に火を放ったんだ?」

その時だった。アンナの足元に転がっていた者が急に立ち上がった。目とはなの先にあるその闇を、私は時間が止まったような感覚で見返した。私がこのとき見たものを、どのような言葉で表現すればいいのか、適切な言葉が見つからなかったが、一言で言えば、それは「目」だった。闇夜に白く浮かぶ灯りが2つ、ぼんやりとした視線で私を見つめていた。

「ラルフ!」

エルザの怒声で意識が戻った。

エルザは炎で燻る黒衣の影に杖の先を打ち下ろすと、アンナを包囲の外へ出そうとした。

しかし、私たちの行く手はすぐさま黒い槍に阻まれた。

「なるほど」

目の前の景色を見ながらも、エルザの声は落ち着いていた。

「こいつらは『亡者』か。道理で簡単には殺せ無いわけだ。」

私たちの行く手には、燃えたまま槍を構える人影が無数に立ちはだかっていた。纏っている衣だけではなく、肉は焼けただれ、骸骨のような異形の群れが私たちを串刺しにしようと迫っていた。

エルザは片手で手綱を握り直すと、杖を高く掲げた。

「包囲を突破する。振り落とされるなよ。」

そういうと、杖の先に灯る光が強くなり、その周囲を炎が渦巻いて収束した。エルザは束ねた炎で形成した槍を前方に向けると、アンナの脇腹を蹴った。

「頼むぞ、アンナ。お前の脚力の見せ所だ!」

エルザの愛馬は高く嘶き、矢のごとき勢いで亡者の群れに突進していった。

針山のような壁に向けて、エルザは炎の槍を突き出した。

それはまさに爆発だった。耳をつんざく轟音に、私は前後不覚に陥ったが、気がついたときには前方を塞ぐ亡者の包囲網には大きな穴が空いていた。

エルザはすかさず馬を進めると、両側から迫り来る槍を杖でいなしながら、なんとか包囲の外側に出ることができた。

しばらく渓谷の底を走り抜けると、エルザはアンナを止めて、追ってくる亡者の群れへと向き直った。

「このまま逃げないんですか?」

「やつらをこのままにしておくことはできない。」

そういうと、エルザは馬を降りて亡者の方へ歩を進めた。

「いいか。よく見ておくんだ、我が弟子よ。お前がこれから挑もうとする相手は、魔女とはこういう存在なのだということをな。」

エルザの手のひらで炎柱が立ち上がった。それと同時に、渓谷のはるか上から、紅の光点が亡者の群れに向かって急速に落下していった。

エルザの手の中の炎が大きく燃え上がると同時に、鳥の形をした紅の使い魔が、亡者たちの頭上で炸裂した。

落雷かと思わせる大音響に私の内蔵は揺れ、幾重もの雷の筋が亡者に振りかかり、その場にくぎづけにした。

「憐れな死人どもよ。せめて安らかに眠るがいい。」

そういうと、エルザは手の中の炎柱を夜空に打ち上げた。

次の瞬間、渓谷の底は真昼のように照らされた。空から降りかかる炎の奔流、いや、溶岩の飛沫は、紅の雷に射竦められた亡者たちを瞬く間に飲み込んだ。

骨すら残すことを許さない魔女の混沌の炎を前に、私はただ放心することしかできなかった。 

地獄の底を思わせる炎の渦を背景に、そこだけ切り取ったかのようなエルザの後ろ姿が、渓谷の底に、長く、暗い影を落としこんでいた。

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