第26話 シンクロ(3)

萌香がデスクに戻ると、隣に座る斯波から書類の入ったクリアファイルを黙って差し出された。


「え?」


と彼を見るが、もう仕事に没頭している。


そのファイルに付箋がついていて、


『マンションの契約書類、いちおう書いておいて、』


そのメモ書きを見て、萌香はファイルの中を見た。


そして家賃の欄を見て驚いた。



7万?この前は8万って言ってたのに。


彼のほうを見た。




すると、斯波はパッと萌香を見て、


「いいから。 早く書いて。」


とぶっきらぼうに言った。


「でも、」


敷金と礼金もまだ払っていない。


「もう、四の五の言うな。 いいって言ってんだからいいんだよ、」


小声で言う。



萌香は彼の気遣いが


本当に嬉しかった。




斯波は帰宅してシャワーを浴びた後、頭を拭きながらタバコをくわえた。


すると玄関のインターホンが鳴る。


「・・はい、」


インターホンに出た。


「あの・・栗栖です。」


「あ・・ちょっと待って。」


そこにあったTシャツをすぐに着た。



「すみません。夜分に。 これを、」


と昼間預かった書類を差し出した。


「ああ、今日じゃなくても良かったのに。」


首にかけたタオルでもう一度髪を拭く。


「それより。 家賃のことなんですけど、」


と気にする萌香に


「ああ、いいよ。 あの部屋、西向きで西日きついし。」


と、彼女に背を向けてタバコに火をつけた。


「いいえ。 私には過ぎたお部屋です、」


「気にすんなって言っただろ。 オーナーがいいって言ってんだから、いいんだ。」


少し彼女をつきはなすように言った。


「すみません、」


萌香は小さな声で言う。



「あれから、どうなの?」


斯波はあの『男』のことが気になった。


「なにも。 でも、たぶん・・ここも訪ねて来ると思います、」


彼女はうつむいてそう言った。


「もう・・離れたいの?」


と聞くと彼女は黙ってしまった。



そして


「あの人に・・学校を出してもらったから・・」


萌香はさらにか弱い声でそう言った。



「え・・」



斯波はその言葉を聞いて、彼女を玄関先に入れてドアを閉めた。


「高校も大学も・・。」


斯波はその言葉の意味を一生懸命考えてしまった。



あの男は


そんな頃から彼女を囲っていた?



驚きだった。



「あの人がいなかったら私はホクトみたいな一流企業に就職することもできませんでした。 学校だってロクに出ることもできなかったでしょう。 でも。 どうしても、どうしても・・私は『その』生活から抜け出したくて・・」


萌香は拳を胸の前に当てて、それをぎゅっと握り締めた。


「畠山専務との噂は・・本当なの?」


斯波は思わず踏み込んで聞いてしまった。


萌香は黙っていたが意を決したように、


「ウソではないです。 あの人が言い寄ってきて。 最初はやんわりとお断りしていたんですけど。 でも、私はこの人を利用すれば・・ここを出られるんじゃないかって、」


泣きそうな声でそう言った。



そのことで彼女を責めるのはあまりにも


つらくて。


斯波は落ち着いた声で、


「そのことは・・あの男は知ってるの・・?」


冷静に聞いた。


「知って・・います。」


「それでも、きみを追ってくるの?」




もう


どうしていいかわからないが


言葉だけが先走る。


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