episode・24  北辰一刀流 根岸友山


 新八は、翌日も新家の道場には行かず、朝から北辰一刀流・熊田道場にいた。というのも、この道場に、よい稽古相手を見つけたからだ。

 技というものは、自分より実力が上のものに稽古をつけてもらうほうが、当然上達が早い。しかし、厳しい稽古で知られる、撃剣館の免許の新八より上位のものなどは、江戸ならともかく田舎には、そう、ざらにはいない。


 ところが、熊田が隠居したあと、この道場を継ぐ予定の師範代・荻野刑部は、かなりの実力者で、新八は、ほとんど、うちこむことができなかった。

 先ほどから、続けざまに、荻野に叩かれた新八は、一息つくと面を外し、手拭いで汗をぬぐった。

「新八さん。最後の袈裟懸けからの返しは、真剣なら拙者が斬られていたでしょう」

 刑部が新八に、にこやかに話かける。

「いやあ、俺なんぞは、まだまだだと、つくづく思い知りました」

「とんでもない……拙者は、玄武館の出身。竹刀稽古は達者でも、新八さんのような気迫には、欠けるきらいがあります」

 ふたりは短時間で、すっかり打ち解けていた。


「それを言ったら、俺のいた撃剣館も、竹刀稽古が主体ですけどね」

「しかし、新八さんの剣は、どちらかというと、真剣勝負に強みを見いだす剣と見ました。そう……拙者と同門だった、山岡鉄太郎のように」

「山岡鉄太郎!……俺には、あそこまでの迫力は、ありませんよ」

「新八さん、山岡をご存知なんですか?」

 刑部が驚きの目を向けた。

「ええ。つい先日、たちあいました」

「ほう、あの山岡と。それは興味深い。――で、その結果は?」

「相打ち……勝負なしでした」

「あの男は、玄武館のなかでも、いちばんの実戦派です。山岡と引き分けたのなら、それは誇っていい」


 山岡は、玄武館の門弟のなかで、特別な立場にいた。

 もともと、中西派から預けられた弟子である上に、竹刀稽古を嫌い、型ばかり使っているので、玄武館では、かなり浮いた存在だったのだ。

 そして普段の稽古でも、山岡は、必死の気合いで撃ってくる。

稽古で怪我をするのもつまらないので、誰もが山岡と稽古するのを嫌がった。

「そう……好んで山岡と稽古をしたのは、拙者と清河ぐらいでしょうか」

「清河とは、あの清河八郎のことですか?」

「清河までご存知でしたか。そう……勤王家の清河です。初心者に毛が生えたような腕前のころから、どんなに激しく叩きのめされても、少しも怯むことなく、山岡に向かってゆくさまは、鬼気迫るものがありました」


(たしかに、やつが攘夷を語るときの、目に宿る気迫は、本物だった……)


 新八は、清河という男を、少し見直していた。

「清河は、口舌の徒と見られるのが、我慢できなかったのでしょう。それは必死で稽古したものです。拙者と山岡のふたりで、足腰が立たなくなるまで叩きのめしても、翌日には、懲りずに、またむかってくる。

最初は、清河を軽く見ていた門人たちも、一年もしないうちに、やつに、歯が立たなくなっていました」

「ふうむ。あの男に、そんな気概が……」

「だから最初は、清河を軽んじていた水戸家の連中も、のちには、すっかり心服していました」


 北辰一刀流の道場・玄武館には、水戸藩の門弟が多かった。

 流儀をおこした千葉周作は、天保十年、水戸家の徳川斉昭に見いだされ、剣術指南役。十二年、馬廻役として、百石の録をはみながら、神田お玉ヶ池の玄武館を運営していた。

 その関係で、水戸家との縁が深く、門人の塚田孔平は弘道館で学び、周作も藤田東湖と交流を持った。

 また、玄武館のあったお玉ヶ池界隈は、佐久間象山、梁川星巌、東條一堂など、学者が多く居住し、清河も東條の門人である。

 周作は、門人を育成する能力に長けていた。その門下からは、井上八郎、海保帆平、森要三、塚田孔平を筆頭に、前述の山岡鉄舟、清河八郎、などを輩出している。山南敬介も学び、坂本龍馬は、周作の弟、定吉の門人である。


 そして、水戸家との関係ゆえに、勤王派の門人が多く、周作の死後に塾頭をつとめた多摩郡生まれ、天然理心流出身の真田範之介は、天狗党に合流する途中で、新微組と斬り結び、壮絶な最後を遂げている。


「荻野さんも、攘夷論者なんですか?」

「もちろんです。ただし、拙者は剣客だ。清河のように活動するよりも、己の剣を磨くのが、第一義だと思っていますが」

「ははあ、それは俺もまったく同じ意見です。いくら攘夷を叫んだところで、剣のひとつも使えないようでは、意味がありません」

「そう……まずは、自分がしっかりしないと、いくら空論を吐いても、誰も相手にしないでしょう」

 とは、言ったものの、新八の攘夷などは、単なる無知からくる、異文化への本能的な嫌悪感にすぎない。

 いや、新八だけではなく、安政のこの時代、欧米列強の脅威を、正確に理解していたのは、一部の識者にかぎられていた。


「ところで新八さんは、このあと、どのあたりを修行して回る予定ですか?」

「そうですね……一度、八王子横山宿に戻り、黒須(入間)経由で、飯能に出て、吾野道から坂戸に抜け、松山から熊谷。そのあとは、上州路を行こうかと……」

「なるほど。その道のりならば、神道無念流の道場が、たくさんありますからね。

熊谷を通るなら、松山の先の大里郡大里村、甲山かぶとやまに、玄武館の兄弟子で、根岸友山という者が、道場を開いております。添え状を書くので、お立ち寄りください」

「かたじけない……世話になります。ところで、根岸友山殿とは、何者でしょうか」


 根岸友山は、清河八郎の誘いに乗り、当年五十五歳で、浪士組に参加した異色の人物である。

 しかし、異色なのは年齢だけではなく、出自そのものであろう。

 根岸家は、先祖は武家の出身だが、江戸期には、武州大里郡甲山の名主をしていた。

 それも、ただの名主ではない。武州でも指折りの資産を持つ豪農であった。

 大里村の石高は三百八十九石。そのうち根岸家が占めるのは、二百五十二石というから、じつに七割近い大高だ。

 所有する田畑山林は、百三十二町歩におよび、小作人が二百十人、使用人が二十人というから、ちょっとした大名なみの規模である。


 根岸家は、さらに、酒造業、舟運業、質屋などの商いもしており、江戸屋敷が二軒もあった。

 有り余る資産のおかげで、友山は、まるで大名屋敷のような豪壮な長屋門を構えた自宅に、私塾『三餘堂』、剣術道場『振武所』を開いていた。

 筆者は、友山宅を訪れたが、その長屋門は、二万五千石程度の大名屋敷のものと同規模の偉容で、農家のものとしては、関東でも有数の建築であろう。かつて振武所があったこの長屋門は、現在は根岸友山の資料館になっている。


 友山は、北辰一刀流を千葉周作、甲源一刀流を辺見太四郎の弟子・水野精吾に。儒学を、北本北山や、寺門静軒に学んだ。

 勤王の意思が強く、自宅には、常に多数の食客を置き、長州との関係が深く、長州藩邸出入り自由の権限を持っていた。

 これは、長州藩が友山を通じて商売していたためで、その友山が、浪士組に参加したのは、不可解な印象をぬぐえない。


 ちなみに、寺門静軒の、晩年の世話をしたのは友山で、静軒は、友山と同じ墓地に葬られている。

 その静軒が『江戸繁盛記』によって筆禍を被り、江戸を追われたときに、救いの手をさしのべたのが、下谷保村の名主・本田覚庵であった。

 そして、最後を看取ったのが根岸友山と、静軒は、ふしぎと新選組に関わる人物の世話になっている。以上、余談。


 もちろん、このとき新八は、のちに、自分が浪士組に入るなどとは、思ってもいないので、友山の名は、あっさりと聞き流した。

 それよりも午後からは、いよいよ新家道場を、訪ねてみるつもりだったので、気持ちがそちらにいっていたのだ。


 新家の道場は、柳町宿の外れにあった。

 道場の前に立ち、新八は、あらためて建物を見上げた。

 間口がやけに広く、連子窓の出桁造りの建物は、どう見ても道場とは思えず、その並びには、土蔵があるので、どうやら、もとは商家らしい。

 母家と土蔵のあいだには、広い空き地があり、樽や荷車が放置されているので、あるいは、造り酒屋か、味噌醤油問屋だったのかも知れない。

 新八は、荷車が置かれている空き地に足を踏み入れ、なかの様子をうかがった。


 母家の奥には、土蔵がもう一棟。その並びには、物置にしては大きな、平屋の小屋が建っている。廃屋なのか、窓はすべて板によって、ふさがれている。

 母家のちょうど真裏には、井戸があり、若い女が洗濯をしていた。

 どこか愁いを帯びた、美しい女だ。

 この道場で使われている下女かとも思ったが、それにしては、上等な紬を着ている。

 たすき掛けした袖口からのぞく腕が、艶かしく白かった。

 新八が女に声をかけた。

「もし……ここは、神道無念流の新家道場に、まちがいないでしょうか?」

「はい。それに、まちがいございません。正面からお入りください」

「あなたは、こちらのご内儀ですか?」

 一瞬ためらい、女が言った。

「さようでございます」


 出桁造りの建物のなかに入ると、そこは、板張りの道場になっていた。

 帳場と店舗部分をとり払い、欅材の床を張り、壁を取りはらって造ったものらしく、邪魔な場所に柱などがあるが、神棚なども備え、一応は道場の体裁をなしている。

 師範席には、いかにも育ちがよさそうな、公家のような顔つきの美男が座っていた。師範の新家だろう。

 道場では、十数人の門弟が稽古していた。

 野口が新八に語ったように、武家らしい門弟は、半分もおらず、残りは渡世人や百姓のようだった。

 案内を乞い、神道無念流・撃剣館の免許で、いまは、野口も在籍する百合本道場の師範代だ、と自己紹介すると、新家は、新八を客間に案内した。


「おつる。お客様に、茶と菓子を用意してくれ」

 新家は、先ほど新八が会った、愁い顔の若い女に言った。

 どうやら、という名前らしい。

 おつるは、寂しげな眼差しを、新八に送りながら茶をだした。


「いや、お構いなく……ところで、野口の野郎は、役にたちましたか?」

「ええ。手前はまだ、いろいろとしがらみがあって、道場を空けがちなので、野口がいて、助かっていたのですが……」

「まあ、あいつも江戸にでて二年半……一度、江戸の水に馴染むと、やはり、田舎暮らしは、耐えられなかったのでしょう」

「とはいえ、手前の道場には痛手です。どうですか、かわりに永倉殿が、門弟たちに、代稽古をつけていただくわけには……」

「は、ははは、新家殿。あなたはまだ、俺の剣術を、見てもいないじゃないですか」

「なにをおっしゃいます。永倉殿は、ここで稽古つけていた野口に、稽古をつけていたのですから、なんの問題もないと思いますが」


 言われてみれば、まったくそのとおりで、新家の言葉は、理屈が通っているが、新八は、どことなく違和感を感じた。

 その前に、門弟にとは、道場主が、いったい何をしているのか?

 それにしても新家には、妙に世間ずれしたところがあり、にこやかで腰も低く、とても盗賊をするような男には見えなかった。

 とりあえず、新八は、その依頼を断り、今日だけは、新家の門弟たちに稽古をつけることにした。


 壁に掲示された門弟の名札は、五十人ほどだが、道場にでているのは二十人弱だった。

 こういった道場は、門弟によって偶数日、奇数日などで稽古日を分けていることが多い。道場が、一度に全員が稽古できるほど広くないからだ。

 門弟のレベルは、さほど高くはないが、見たところ五人ほど強そうなやつがいる。

 しかし、そこは剣術が好きな新八のこと、しばらく門弟たちに、稽古をつけているうちに、盗賊のことなど、どうでもよくなってきた。


 半刻ほど門弟たちに、熱心に稽古をつけていると……。

 新八は、首筋の産毛が、チリチリと逆立つような、薄気味悪い独特の感覚を感じた。

 その薄気味悪い感覚は、かつて、三味線堀でも感じたことがある。


(――殺気だ)


 表情ひとつ変えず、新八は、殺気の出所を探る。

 新家は、新八と同様に、門弟たちに稽古をつけており、こちらに注意すら払っていない。順番を待つ門弟たちは、みな行儀よく、無言で壁ぎわに座っていた。

 身体の位置を少しずつずらしながら、新八は、さらに殺気の出所を探る。

 道場の片隅、居間との境に、いつの間にか、ひとりの男が座っており、新八に、鋭い視線を送っていた。


(――いた。あいつか)


 男は、左目に革の眼帯をしている。どうやら片目が見えないらしい。

 藍染の単衣ひとえの着流しを着たその男は、態度が悪く門弟のようには見えない。病人のように痩せ、青白い顔をしている。

 しかし、残った片目には、野生の獣のような、ぎらぎらとした精気をみなぎらせていた。

 新八と視線があうと、男は口元を歪め、ゆっくりと立ちあがった。

「御免……よろしければ、次は、拙者に稽古をつけていただけないでしょうか」

「ああ、かまわないぜ。ところで、あんたは?」

「拙者、この道場の食客で、水府浪人、平山五郎と申す者でござる」

「うけたまわった」


 平山は防具をつけ竹刀をとり、一礼すると、下段正眼に構える。剣先がやや左に開いている。

 水戸の戸ヶ崎熊太郎道場の免許皆伝と言っていたが、その言葉に嘘はないらしく、構えはぴたりと決まっていた。


(この片目野郎……わざと、てめえが見えない左を、空けていやがるな……)


 新陰流や、甲源一刀流などは、相手の攻撃を誘うため、剣先を開き、隙を作る。しかし平山は、あえて自分がよく見えない左側を空けていた。


(だが俺に、そういう小細工は通用しねえぜ)


 新八は、空いているのとは逆の、平山の右肩に、鋭く竹刀を振るった。

 あからさまな誘いは、罠と思わせる偽装で、むしろ空いている左側を攻撃するのがセオリーである。

 新八は、さらにその裏をかいたのだ。


 平山の竹刀が、新八の攻撃をはじく。

 それこそが、新八の狙いだった。竹刀をはじかれた瞬間、新八は、素早く竹刀を引き、手首を返して平山の左籠手を打った。

「参りました」

 平山が、礼儀正しく頭を下げると、新八が話しかけた。


「あんた、じつは、左側からの攻防が得意だろ?」

「読まれていましたか……」

 平山が、悔しそうに言った。

「空いている左側が六。右が四。誘いとわかっているから、普通は右側を攻めるのは避ける……だが、それは素人考えさ。

その右側を攻撃して、竹刀をさらに右に動かせば、左の六は、七にも八にもひろがる。そうしたら、改めて、たくさん空いた左を、攻めればいいわけだ」

「かたじけない。よい勉強になりました」

 平山が殊勝に頭を下げる。しかし、その目は、負けたとは言っておらず、不気味に白光りしていた。

 その不遜な態度に、新八は気分を害するでもなく、むしろ嬉しいような、ふしぎな感情をいだいた。


(ふふっ、こいつも俺と同類のバラガキだな……)


 しかし、さすがの新八も、そのとき、居間の奥から自分を見つめる男がいたことには、気付かなかった。新八が感じた殺気は、平山のものではなく、その男が放ったものであった。


 その男とは、御子神紋多である。

 御子神が、殺気を気取られたことに気付き、気配を消した瞬間、新八の目に入ったのが平山だったのだ。


(ふふふ……やりおる。あの暴れ者、平山を、一撃でくだしよった。やはり、永倉新八めは、殺り甲斐のありそうなやつだ……)


 御子神は、嬉しくてたまらない、という表情かおを浮かべ、不気味に笑った。




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