episode・19  甲府 柳町


 新八が、強瀬の全福寺で、秀全和尚と会っていたころ……。

 山口と前澤は、甲州裏道(青梅街道)との分岐点である、酒折宿を通りすぎたところだった。

 甲斐善光寺をすぎると、甲州道中は、甲府城を攻めにくくするため、曲尺手かねんてと呼ばれる、鉤の手に曲がりくねった造りになっており、その先で、甲府・柳町宿に入る。

 柳町宿は、甲府城下の宿場で、本陣一、脇本陣一、旅籠は二十一軒。町の長さは、四丁四十七間と、あまり大きな規模ではない。

 というのも、甲府は城下町なので、繁華街は別にあるため、柳町宿は、あくまでも宿駅として機能していたからだ。


 甲府城は、もともと甲府にあった武田家の居城、躑躅つつじヶ崎館にかわり、家康を牽制する目的で、秀吉が現在の場所に築城した。

 その後、徳川が政権を掌握すると、徳川譜代の城主が四代続き、浅井長政に城主がかわり、のち柳沢吉保が転封されると直轄領にされ、城主不在の城となった。

 そして、そのかわりに置かれたのが、追手、山ノ手の、二名の勤番支配である。

 勤番支配は、諸大夫しょだいぶ役。大身旗本から選ばれ、知行三千石に役料千石がつく。

 遠国奉行の筆頭で、駿府城代と並ぶ幕臣のエリートコースであった。

 一方、その配下の勤番士は、設置当初こそ、武田の遺臣の者が勤めたが、寛政の改革以降、幕府の手に負えない、不良旗本、御家人の左遷先という性格にかわった。いわゆる島流しというやつだ。

 甲府勤番を命じられた御家人は、悲嘆に暮れたそうである。


 勤番士の役宅は、甲府城二ノ堀郭内に設けられており、郭内には、薬園や、学問所の微典館などがあった。

 郭外にあるのが甲府の中心街で、魚町、柳町、緑町などがあり、高札場は、八日町にあった。

 山口と前澤は、荷馬が行き交い、旅人や商人でごった返す八日町をすぎ、南側にある緑町に入る。

 緑町の中心には、芝居小屋の亀屋座があり、色とりどりの幟がはためき、辻ごとに芝居、見世物、寄席などがならび、大変なにぎわいであった。

「まるで、両国か上野の広小路のようだな……」

 思わず山口がつぶやいた。

「甲府勤番島流し……この世の終わりみたいに思っていたが、思いのほか、楽しそうな町じゃないか」

 前澤がこたえると、

「ふふふ、じゃあ、おまえやってみるか?」

 山口が混ぜかえした。


 ふたりは、芝居や見世物には興味がないので、横丁を曲がり、旅籠や料理屋、居酒屋が建ちならぶ裏道に入った。

 このあたりの旅籠は、金次第で酌婦が寝る、俗にいう食売旅籠だ。

 道ばたでは、女が客に媚びを売り、目付きの悪い男たちが、あちこちで目を光らせている。おそらく地廻りのたぐいだろう。

 紅殻べんがら格子を冷やかしながら、ぶらぶら歩いていると、まだ早い刻限にも関わらず、客引きがまとわりつくが、山口が怖い顔で一瞥すると、一様に顔をひきつらせて引きさがる。


「――もし。そこのお武家様。よろしかったら、ひとつ、こいつで遊んでいきませんか?」

 そんなふたりを恐れるでもなく、やけに腰の低い尻っ端折りの男が、賽子を転がす真似をしながら声をかけた。客引きである。

「ふん、どうやらこの町には、博徒が多いって噂は、本当らしいな」

 前澤が楽しそうに言った。

「わざわざ甲府まできて、博打でもあるまい」

 山口がぶっきらぼうに言うと、前澤は、

「俺は、いささか懐が寂しい。運試しに、ひと勝負もいいかもしれぬ……おい、おまえらの貸元は誰だ」

「へえ。祐天仙之介でございます」


「祐天……仙之介だと? このあたりは、三井の卯吉の縄張りなんじゃなかったのか」

 かつて甲府を訪れたことがある山口が、口をはさんだ。

「三井の親分は、正月に殺られちまいました」

「なるほど……その、祐天仙之介とやらが、殺ったんじゃないだろうな」

 山口が皮肉な調子で言う。

「め、滅相もございません。うちの貸元は、仏の仙之介と呼ばれているぐらいでございます」

 三下が、しどろもどろにこたえると、前澤が笑った。

「まあいい。どれ、ちょっとひと勝負してみるか」

「俺はゆかぬぞ。博打を打つなら、おまえひとりで打て」

 山口の懐には、江戸で奪った五十両のほかに、用心棒で稼いだ二十両近い金があり、博打をする気分には、ならなかった。

「なんだ、付き合いが悪いな。ならば、倉本のところで待っていてくれ」

「わかった……あまり深入りするなよ」


 前澤は、洒落た造りの黒板塀の料理屋に案内された。入り口の脇に『まさご』と書かれた軒行灯がしつらえられている。

 下足番に刀を預け、前澤がなかに入ると、奥の座敷から鉄火場らしい熱気が伝わってきた。

「ずいぶん流行っているようじゃないか」

「へえ。おかげさまで」

「ふふふ。やっぱり三井の卯吉は、祐天が殺ったんじゃないのか」

 前澤が楽しそうに言うと、

「お武家様、勘弁してください……」

 なにか文句を言おうにも、相手が凶暴そうな武家なので、三下が、困ったように、頭を掻いた。

 甲府には、江戸から島流しにあった悪御家人がたくさんいるので、下手に怒らせて暴れられたら、たまったものではないから、武家には注意しているようだ。

 その前に、この男と先ほどの男には、博徒やくざの自分から見ても、ような、ただならぬ気配が漂っており、声をかけてしまったことに、今さら後悔していた。

「まあ、そう心配するな。こう見えても俺は、仏の慎之助と呼ばれているんだ」

 前澤の下手な冗談に、三下が顔をひきつらせた。


 前澤と別れた山口は、二ノ堀郭内の錦町にある、倉本の役宅を訪ねた。

 山口の顔を見ると、倉本は、喜色満面の表情を浮かべて出迎えた。

「おお、山口じゃないか。よくきてくれた。久しぶりだなあ……」

「二年ぶりか……おぬし、すっかり太ったな」

 江戸で山口や前澤と連れだって悪さをしていたころ、倉本は、深酒と夜遊びで、いつも病人のような青白い顔色に、飢えた野犬のような、荒んだ目付きをしていた。

 それが、たった二年会わないうちに、すっかり健康そうな顔色になっていた。

「こんな田舎では、夜遊びもつまらんし、釣りぐらいしかすることがない……

遊びといえば、たまに緑町まで、芝居を見に行くぐらいだからな」

「変われば変わるもんだ……いっしょにきた前澤など、さっさと祐天一家の賭場に行きやがった」

「こんな田舎の遊びなんぞ、俺たち江戸の水で育ったものには、泥臭くていけねえ。じきに飽きるさ……

ところで、おまえ……俺が懐かしくて、わざわざ甲府くんだりまで、きたわけではあるまい」

「さすがに鋭いな。じつは、江戸でひとを斬った。念のため、こっちでしばらく、ほとぼりを冷まそうと思ってな……」

「ふん。おまえは、相変わらずだな……俺は、いっこうにかまわん。どうせ退屈を持て余していたのだ。好きなだけいてくれ」

 倉本が、やれやれという顔で言った。

「かたじけない。では、しばらく厄介になるぞ」

「つもる話もあるし……まあ、あがってくれ」


 同じころ……。

 前澤が三下に案内されたのは、奥の広い座敷であった。

 座敷は、十二畳の部屋と、隣部屋との間の襖がとり外されて盆蓙が設けられ、十数人の客が博打に熱中している。

 さらに、その隣の八畳の部屋が、休息用の部屋になっており、渡世人ふうの男が茶を一服していた。その脇では、紺の筒袖を着た職人ふうの男が、ごろりと横になり煙草を吹かしている。

 前澤は、すぐに博打には参加せず、壁に貼られた出目表を眺めつつ、しばらく勝負の成り行きを見物していた。

 どうやら、勝っているのは、お店者ふうの若い男で、その男の前には、うず高く駒札が積まれている。


 ほかの連中は、あまりツキがないのか、一様に渋い顔をしていたが、端に座った猫背の小男だけは、にやにやと気味の悪い笑顔を浮かべていた。

 小男は、役者のような整った顔立ちに、愛想のよさげな笑顔を浮かべているが、なにやら底知れぬ、不気味な空気を纏っていた。

 前澤は、江戸でさんざん悪さをしてきたので、自分と同類の悪いやつは、ひとめ見ただけで、だいたい見当がつく。


(こやつ……何人も斬っていやがるな……)


 小男が漂わせているのは、明らかに殺人者だけが持つ、独特の臭気だった。

 自分も、何人かのひとを斬ってはいるが、それは、喧嘩の行き掛かりか、あるいは、剣の勝負の上での結果で、殺人そのものが目的ではない。


(だが、こやつは……)


 前澤は警戒心から、小男とは、離れた位置に座った。

 しかし、小男が気になり、どうにも勝負に集中できず、いまひとつ奮わない。

 結局、小半刻あまり勝負したが、一両近く負けて、いったん盆蓙を離れて隣の部屋に移り、煙管をとりだし一服つけた。

 前澤が、ふと小男に目を向けると、小男は、ちらりと視線を合わせ、にやりと笑った。


 さらに四半刻ほど博打を続けたが、勝負をあきらめて、駒札を精算した。結局、負けを取り戻せず、二分と一朱の損だった。


 下足番から刀を受けとり外に出ると、あたりは、すっかり薄暗くなっていたが、あちこちの店から漏れる灯りで、提灯が必要なほどではない。

 前澤は、倉本の屋敷がある錦町に向かって、ぶらぶらと歩きだした……が、一町ほど歩いたところで、ぴたりと足を止めた。


「おい貴様。なぜ俺のあとを尾ける……用事があるなら、さっさと言え」

「ふっふふ……貴殿は、ツキがなかったようだな。ずいぶん負けておった」

 前澤が、ゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのは、あの不気味な小男であった。

 小男は、青白い整った顔に、皮肉な笑みを浮かべているが、敵意や殺気は、感じられず、むしろ前澤に、興味を持っているようだ。

「負けていたのは、おぬしも同様だろう……で、要件はなんだ?」

「貴殿は、かなり剣を使うと見た……おそらく、何人もひとを斬っているにちがいない」

「その言葉、そっくり返そう。おぬしからは、血腥い臭いが漂っておるぞ」


「――いい儲け話がある。なに、貴殿ほどの腕を持っていれば、危ないことなどはない。楽に稼げて、ひと仕事で十両になる話だ」

 小男は、前澤の言葉にはこたえず、一方的に言った。

「おい、見くびるなよ。いくら落ちぶれても、俺は、関わりのない者を、金で斬ったりはしねえ。俺が斬るのは、気に喰わない野郎だけだ。

――たとえば、おぬしのような」

 前澤が凄味のある声でそう言うと、小男は可笑しそうに、くつくつと笑った。

「勘違いするな。ひと斬りならば、拙者の得意とする芸だ。わざわざ、貴殿に話を持ちかけたりなどはせぬ」

「なに……どういうことだ?」

「興味があったら、明日、柳町にある神道無念流の道場に、拙者を訪ねろ」

「おぬしの名前は?」

「房州浪人。御子神紋多」


 小男はそう言うと、くるりと背を向け、闇のなかに歩み去った。

 まるで、闇からあらわれ、闇に消えるかのような不気味さに、思わず前澤が顔をしかめた。


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