第80話 笑顔

 

 グウレイグの湖に行くにあたって、結局私達は空を飛んでいるという現状。


 私は新たな挑戦を、帳君とりず君の協力のもと成功させていた。


「……運んであげるって言ったのに」


「あ、ありがとうございます。でも、その、私重いですし、りず君おっきいし……こんな感じで十分なんですよ」


 笑う私は、横を並んで飛んでくれる帳君を見る。


 彼はため息をつきながら私を風に乗せてくれて、りず君はそれに上手く乗っていた。


 ハンググライダー


 空を移動する鳥のような道具。りず君はそれに変形して、らず君とひぃちゃんを入れられる器も持ち手の部分に作ってくれた。


 器用なパートナーに感謝する私は人生初のハンググライダーを体験し、運ぶ風は帳君に吹かせてもらっている。


 最初は私を抱いて運んでくれると帳君は提案してくれたが、残念ながらそれでは肩に乗れないりず君が着いて来られない。


 かと言って時沼さんを頼って見える範囲にりず君と転移してもらうと、パートナーである私まで一緒に転移してしまうので逆に帳君達を置いていってしまうと言うね。


 帳君的には私を運んでもりず君を風に乗せても力の消耗は変わらないとのことで、今の状態に落ち着いた。


 祈君は翠ちゃんに足首を掴んでもらって飛行し、細流さんは地面を猛スピードで走行。


 自分が一度行った場所か視認出来る範囲に転移可能な時沼さんは、細流さんの背中を追って移動している。


 時沼さんは兄に頼まれたから私達と行動を共にして、祭壇を支えていた植物については何も知らないとのことだ。


 植物。


 そう、植物を私は前にも見たではないか。


 モーラの孤島と陸を繋いでいた緑の橋。


 もしかして戦士の力か。でも誰だ。モーラの孤島に橋を繋げる理由も、私達の祭壇を支える理由もないだろうに。


 後者だけならば同じディアス軍の誰かとも取れるが、それなら姿を見せてくれたって……いや、何か考えがあるのかな。


 思案しながら風に運ばれ、りず君と帳君を頼ってグウレイグの湖を目指す。


 そうしていれば輝く雲から流れる滝が視界に入り、新緑の森も見え始めた。


 心音が早くなる。


 目の前をチラつくのは紅蓮の業火で、私の肺を煙が蔓延まんえんしているような感覚が生まれた。どうしても冷や汗が流れて喉が渇いてしまう。


 それを根気で抑えて生唾を飲み込めば、らず君の欠片が震えていた。


 それがまた痛くて、見ていられなくなってしまう。


「氷雨さん、あそこですか」


 祈君に声をかけられ、私は彼の方に笑顔を向ける。「はい」と頷けば、帳君は呟いていた。


「へぇ、フォーンの森と近かったんだ」


 頷く私は湖を見る。


 鉱石の谷やウトッゥクの湿原とは反対側からやって来た為、祭壇の確認は後回しかな。


 それでいいのか本当に、お前は戦士で、生贄を集めるという使命がある筈だ。


 だがこんな状態では足でまといだ。置いていって欲しいのに、誰も私を置いていこうとしないから。


 それが嬉しくて、甘えたくなるから。私は自分を優先した。


 弱くなったな、凩氷雨。


 誰かを頼ることを、私は弱さだなんて思わない。


 強くも優しくもない私は、自分を守ることすら出来ないのだもの。時には誰かに手を取って欲しいって思うし、一人ではどうしようもないって思うようになったんだ。


 口を結んだ私はグウレイグの湖に辿り着く。


 そこはまるで幻想郷。


 透き通る滝は止めどなく湖を満たし、小舟は確かに水面にある。


 見ていれば舟がゆっくり岸辺へと近づいて、私は帳君を見るのだ。


 彼も私を見ていて、ゆっくり風に下ろされる。宙を旋回した私の足は小走りに芝を踏み、りず君がヤマアラシに戻ってくれた。ひぃちゃんが器の中で揺れている。


 翠ちゃんと祈君、帳君も着地して、細流さんと時沼さんも追いついてくれた。


 私は彼らを見て自然と笑ってしまう。


「ありがとうございました。少しだけ、寄ってきます」


「気が済むまでどうぞ」


 翠ちゃんが肩を叩いてくれるから私は苦笑してしまう。その何気ない言葉が嬉しいと、彼女は知っているのかな。


 伝えないで、こちらに舟を漕いでくる二人のグウレイグさんを見る。


 金糸の髪に青い肌。まさに麗人れいじんと言う表現が似合う彼女達の顔には見覚えがあった。


 私はりず君と一緒に岸に近づき、止まった舟から降りてきたグウレイグさん達を見上げる。


「お久しぶりね、愛らしい戦士さん」


「会えて嬉しいわ、可憐な戦士さん」

 その言葉に息を呑んだ。


 一人のグウレイグさんは私の頬に冷たい手を添えて、もう一人のかたはりず君の頭を撫でてくれる。


 冷たい指先は私の目元をなぞっていた。


 それに何故だか泣きたくなって、私は彼女の手に掌を重ねるのだ。


「……覚えてくださってたんですか?」


「えぇ、勿論」


「優しい貴方を、忘れはしないわ」


 その言葉に、止められなかった一筋の涙が零れてしまう。


 弱った心は涙腺を弱くして、覚えてもらえていた事実だけで私は泣いてしまうんだ。


 グウレイグさん達は穏やかな言葉をくれる。


「沢山、傷ついたのね」


「沢山、頑張ったのね」


「貴方の勇気を称えましょう」


「貴方の努力を汲みましょう」


 グウレイグさんは私とりず君の頭を撫でてくれる。その動作が嬉しくて、私は自然と肩の力を抜けるのだ。


「これだけ傷ついて」


「これでけ苦しんで」


「よく戻ってくれました」


「よく生きていてくれました」


 二人は息のあった声の紡ぎ方をして、その言葉に救われる。私の体は徐々に温かくなっていき、呼吸も楽に出来るようになっていった。


 ここに来て、良かった。


 目を細めると、不意に腕を引かれて、足が――


 あ、でじゃ、


 顔から冷たい水に勢いよく入り、体全体に白い気泡が纏わり付く。


 それは沈む体とは逆に水面へと上がり、仰向けになった私は光る水面を確認する。


 視界の端には祭壇が入り、私はその異物の壁を掴んでいた。そうすればこれ以上沈まないから。


 ふと見たグウレイグさん達は笑っており、私も笑ってしまった。


 あぁ、息が苦しいから上がらなければ。それでもまだ、もう少しは大丈夫。


 思っていると水面が大きく揺れて、くぐもった音が私の耳に入ってきた。


 湖の中に飛び込んできた人影がある。だから私はまた、泣きたくなる。


 翠ちゃんに、細流さん、祈君、時沼さん。あぁ、帳君まで。


 みんな、何でそんなに必死そうなのかって……。


 帳君の伸ばされた手を見て察してしまう。


 私は眉を下げた自覚があり、帳君に腕を掴まれた。


 私の手は祭壇を離し、引かれるまま水面へ向かう。光りはどんどん近づいていき、頭から飛び出した私は勢いよく空気を吸った。


「ぷはッ」


「はッ、大、丈夫? 氷雨」


「氷雨」


「ひさ、め、さん」


 一緒に水面に上がった翠ちゃんに聞かれ、私は彼女を見つめてしまう。細流さんや祈君も私の名前を呼んでくれた。


 冷たい水が私の体を冷やしていく。


 それなのに心は温かくなって、顔は笑みを浮かべてしまった。


 ごめんなさい、空気が読めなくて。


「何笑ってんのさ」


 隣にいる帳君の声を聞き、視線を向ける。彼の猫っ毛は水を吸って重たくなっており、意外と童顔だと知った。


 なんて、私の感覚は言わないけど。


 時沼さんは私の近くに来て、顔を覗き込もうかどうか迷っている空気が伝わってきた。だから金髪の彼の方にも顔を向け、私は思うままに口を開く。


 この、止めどなく零れ出ようとする言葉達を。


 今までずっと閉じ込めて、飲み込んできた言葉はもう、隠しきれないようだ。


「皆さんがいて――良かったなぁって」


 祈君達の目が見開かれる。


 私は顔をうつむかせて、湖の中に祭壇を作った時を思い出していた。


「私、ここに初めて来た時も今みたいに湖に落とされて……その時一緒に居たのは、りず君達だけで」


 顔を上げて、細流さんと目が合う。


 顔に張り付いていた髪を後ろに払えば、水飛沫みずしぶきが水面に波紋を立てた。


「一人だったんです。それまでずっと」


 夕暮れの廊下で、抱えきれないプリントを床にばらまいた光景が思い出される。兄の連絡先なんてどれだけ詰め寄られたって教えられないし、私が笑っているからって何でも頼んでいいと思うのは違うだろ。


 それでも断らなかったのは私で、頼まれたことを断る方が面倒くさいと思って、自分をないがしろにした。


 相手にだって良くないのに、私は私の面倒のレベルが楽な方をとってきたんだ。


 そんな私は笑うだけで、相手を思ってはいなかった。自分を守りたくて仕方がなかった。兄からも、過去からも、クラスメイトからも、何もかもから私を守っていたかった。


 そんな私が全てを抱えきれなくなったって、誰も助けてくれる筈が無かったのに。


 小野宮さんと湯水さんは私の背中を押してくれる。


 時沼さんは私の味方であろうとしてくれる。


 翠ちゃんは私の為に怒ってくれる。


 細流さんは私の頭を撫でてくれる。


 祈君は私に優しく歩み寄ろうとしてくれる。


 帳君はそのままでいいと、私自身を肯定してくれる。


 それがどれだけ嬉しいか。


 笑うだけだった私が、頭に血が上ったり、悲しくて泣いたり、誰かの為にありたいと思えるようになったのは、こうして手を伸ばしてくれる皆さんがいるからだ。


 そう、気づいてしまってはもう駄目だ。


 私は言葉を飲み込めない。


「手を伸ばして心配してくれる方がいるというのは、どうしてこんなにも、嬉しくなってしまうんでしょうね」


 自然と笑うと言うのは、意外とどうして難しい。


 それでも、アルフヘイムで出会った仲間と共にいると、私は自然と笑っているのだな、これが。


 想う私は、やっぱり強張こわばらずに笑っている。


 貼り付いていた笑顔が剥がれていき、それでもそれは無理に剥がされたものでは無い。端の方から欠けていくように解けたその仮面は、私に変化をもたらした。


 大きなものでは無い、小さな小さなものだけど。


 笑うことが楽しいと思えた。


 そんなの他の人にとってはどうでもいいものだろうけど、私にとっては大切だから。


「ありがとうございます」


 お礼を口にする。


 そうしたら、帳君の手が作りだした筒が私の顔に水鉄砲を食らわせてきた。


 反射で目を閉じて顔を拭くと、帳君は呆れたようなため息をつくのだ。


「氷雨ちゃんて、人を頼るの下手すぎて損だよ、絶対」


「……ほぉ」


 損、かぁ。


 頭の中で復唱して、苦笑してしまう。


 翠ちゃんも呆れたように息をついて、祈君も苦笑していた。


 最近は祈君の顔が帽子に隠されていなくて、私は嬉しいのですよ。伝える勇気はまだないけど。


 祈君は、まるで帳君の言葉を補足するように言ってくれた。


「氷雨さんは優しいから。自分をもっと大事にしてって言ったのに」


 仕方が無さそうに笑ってくれる祈君。私は目を細めて笑い返し、翠ちゃんが続けてくれた。


「貴方は強いわ、氷雨。だからもっと、自信をもっていいと思うんだけどね」


「氷雨は、いい子、だ」


 細流さんは無表情に言葉をくれて、私はむず痒くなってしまう。


 時沼さんがいる方の水面が揺れたので顔を向けると、彼の表情が険しさを孕んでいると気が付いた。


 目が合う。


 そう、貴方に出会った日、私の歯車が動き出した気がしたんだ。


「絆創膏、嬉しかった」


 それだけ言って湖に潜ってしまった時沼さん。彼は岸の方へ泳ぐと、「祭壇!」と驚いた顔を上げていた。あ、今気づかれたのか。


 可愛くて、私はやっぱり笑ってしまう。


 ふと頭を撫でてくれる手があったので隣を見れば、明後日の方向を見てる帳君がいた。


「そのままでいなよ。笑って、頑張って、悩んで、どこまでも優しい氷雨ちゃんだから、俺達は手を伸ばしたくなるんだから」


 呟いた彼は私の頭から手を下ろして、岸の方へと泳いでいく。地面に腕力で上がった帳君は「びしょびしょだし」と息を吐いていた。


 私は翠ちゃん達の方に顔を戻す。三人もこちらを見ており、私は無意識に呟いてしまっていた。


「こんなに沢山の言葉を貰って……幸せで、どうしましょうね」


 その言葉を拾ってくれた祈君達。三人は顔を見合わせると、仕方がなさそうに笑っていた。


「良いじゃないですか、氷雨さん」


 笑ってくれた祈君が言葉をくれて、翠ちゃんと細流さんは私の肩を叩いてから岸へ向かう。


 私は「はい」と頷いて、祈君と共に二人に続いた。


 岸に上がるといつの間にかグウレイグさん達がりず君の横にいて、青い手の上には水が集まっていた。


 私の体から水が抜けていく。


 立ち上がれば全身が乾いており、細流さんは「おぉ」と感動しているようだった。


 グウレイグさん達が近づいてくる。その目はどこまでも静かで、優しくて、好きだなって思えるんだ。


「優しい戦士さん」


「愛しい戦士さん」


「私達を贄にしますか?」


「私達を殺しますか?」


 言われる。いつか聞いたような言葉を。


 私は口を少しだけつぐんで、笑ってしまう。


 首を横に振れば、グウレイグさんも微笑んでくれた。彼女達の手は私の乾いた前髪を撫でてくれる。


 不意に、赤く淡く光る物が視界に入った。


 私はそれを見て、やっぱり泣きたくなってしまうんだ。

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