第69話 辿着

 

 ガルムさんの業火に包まれる。


 灼熱は私の肌を焼いて呼吸を乱す。


 しかし、歩みを止めるには役不足。


 私はハルバードであるりず君で炎の壁を切り裂き、出来た青空の隙間に飛び込むのだ。


 ひぃちゃんは翼を畳み、私の体を捻じるように回転させてくれる。その勢いのまま山肌に足を着けば輝く土埃が舞い上がり、私はガルムさんを探すのだ。


 後ろから飛びかかってくる音がする。


 らず君によって補助された耳はその音を逃すことをせず、きっさきの重さを使った反動でハルバードを後ろへ振り抜いた。


 重く空気を切る感触。ガルムさんは宙で後方一回転し、刃は当たっていない。


 確認した私の体は重さでよろけてしまう。それを直ぐに立て直して、私はガルムさんの向こうに見える洞窟を凝視した。


 私の目的はガルムさんを倒すことではない。


 あの洞窟の奥へ行くこと、ただそれのみ。


 山の麓は火の海と化しており、咆哮ほうこうと怒号が入り交じった声がする。あの場所を観察している翠ちゃん達の無事を願い、私は顎から汗が茹だるのを感じていた。


 ガルムさんが飛びかってくる。それをかわして宙へ逃げ、瞬時にひぃちゃんは急降下してくれた。


 落下の勢いのままハルバードを叩き落とし、ガルムさんの月白の毛が数本切れるのが見える。


 地面に滑りながら足を着けば、腕力をらず君が補助してくれた。お陰で縦に向いていた刃を横に向け、体の横に引くことが出来るのだ。


 ガルムさんに焦点を合わせて刃を振り抜く。空気を勢いよく斬り裂いたハルバード。それを住人さんは軽やかな身のこなしで飛び超え、私に牙を向いてきた。


 尋常ではない速さを脊髄反射で避けるが、私の顔があった場所に残った髪は噛みちぎられる。


 頭皮が引きつる痛みが走る。それでも命があるだけマシだと言い聞かせて地面を転がり、ひぃちゃんが背中を引いて起き上がらせてくれた。


 ガルムさんの足元に散らばっている黒い髪。私は左の髪の束を掴もうとしたけれど、そこにいつもの長さはない。耳の下程までのショートになってしまったのだから。


「……伸ばして、たのに」


 短くなった髪を握りこむ。


 足は鎖にでも繋がれたように上手く動かず、体は鉛のベストでも着ている気分。


 逃げたくて、離れたくて、安全な場所へ行きたいと叫ぶ私の内心は黙らせて。それでも切れた髪を見ると、膝が崩れてしまいそうになる。


 たったそれだけの事なのに。髪なんてまた伸ばせばいいのに。


 ここにいると心が弱って仕方がない。


 ――氷雨の髪は、綺麗ね


 お母さんの声がして、私はそれを振り払う。髪を乱雑に離せば、切れて残っていた黒が風に乗った。


 ひぃちゃんの息が上がり、ハルバードのりず君が震えているのが伝わってくる。らず君は今にも泣き出してしまいそうで、その体のヒビが広がらない事を望むしか出来なかった。


 帰りたい、逃げたい、戻りたい。安全な場所へ。ここは違う。逃げろ、逃げろ、離れろ。無理だ、しんどい。頭痛がする。呼吸が苦しい。もう嫌だ。怪我したくない。生贄が優先なのに、あぁ、嫌だ、嫌だ、怖い、ここに――


「うるせぇ」


「黙れよ弱虫」


 りず君と私の声が重なる。


 私の刃は一度針鼠に戻ると、掌の上で息をついていた。


「……なぁ、氷雨。怖くて嫌だよな、ここ」


「うん」


「俺もだよ」


 りず君が再びハルバードへ変身してくれる。


 ガルムさんが吐き出した炎を避けて、私は近くの木の枝に片手で掴まった。直ぐに幹へ両足の裏を揃えて着く。


 ひぃちゃんが震えているのが伝わってきた。


「本当は私、ここにいるの――反対なんです」


 お姉さんの声がする。優しくて、穏やかで、冷静で、その中に不安を押し込めた声だ。


 小刻みに震えている彼女の手は、それでもしっかりと私を支えてくれた。


「優先は生贄集めですし、結目さんは救われることなど望んでいない筈。だから氷雨さんがこんな無茶をする必要は無いと思うんです」


「うん」


「それでも、やっぱりこの決断は正しいとも思えて……だから私は、貴方の翼であるのです」


 ひぃちゃんはそう言うと同時に翼に力を込めてくれる。


 だから私も枝から手を離し、木の幹を力いっぱい蹴るのだ。


 蹴り出した勢いと翼によるける力が相まって、勢いよくガルムさんに向かう。


 私はハルバードを振り下ろし、叩きつけた地面には深い亀裂が入った。


 また躱された。


 いいよ、目的はガルムさんではない。


 私は目の前に出来た洞窟への道筋に向かって腕を振り向く。


 そうすればお姉さんが即座に飛行方向を修正して、私を洞窟に飛び込ませてくれるのだ。


 外と洞窟の明暗のせいで目が一瞬ついていかなかったが、直ぐに視界は闇に慣れる。


 ガルムさんが駆けてくる音がするけれど、それに恐怖を覚えるなッ


 自分に言い聞かせるが、洞窟を熟知しているのはガルムさんだとも分かっている。


 飛び出している岩や見えにくい視界のせいでひぃちゃんが思うように進めないのに対し、ガルムさんは華麗に障害物を避けることが出来るのだから。


 私は思考して、上を見た。


「メイス!!」


「おう!!」


 武器の名を叫び、りず君がいくつもの突起が着いた棍棒へと変わってくれる。


 殴打用武器――メイス。


 それを右手に握り、反動をつけた私は体を百八十度反転させる。


 後ろから追いかけてきていたガルムさんと対面する形となり、彼は足に急ブレーキをかけていた。


 その一瞬を、見逃すなッ


「らず君!! ひぃちゃん!!」


 叫べばらず君が輝いてくれる。ひぃちゃんは真上に飛び上がってくれて、私はメイスであるりず君を振り向くのだ。


 歯を食いしばって、力が全て武器の先端へ向かうように。


 勢いよく直撃した洞窟の天井には亀裂が入り、小さな砂の粒が落ちてきた。


 洞窟の奥へ振り、ひぃちゃんは直ぐにその場を離れてくれる。


 ガルムさんも再び駆け出す音がしていたが、それより早く天井が崩落する音が響き渡った。


 地が揺れて砂埃が周囲に蔓延まんえんする。


 りず君は針鼠に戻って、私は目を眩ませる埃を腕で薙ぎ払った。


「やったぞ氷雨!! 道が潰れた!」


「やった……」


 りず君の言葉に私は拳を握る。


 小さくも確かな喜びを噛み締めて前へ進めば、分かれ道。


 どちらへ行くか、そんなものは決まっていた。


 自分の左胸の部分を掴み、肺の痛みを紛らわせようとする。それでも冷たい汗は止まらず、ひぃちゃんの呼吸が震えた。


 私達が行きたくないと思う場所。その方向が目的地である気がする。ガルムさん達ならば、大切な鉱石の場所に不要な者は近づかせないようにする筈だ。


「行こう」


 左の道へ行く。


 その流れのまま「近づきたくない」とりず君やひぃちゃんが震える方向へ、私が行きたくないと思う方へ向かい続けた。


 指先が震えて呼吸が荒くなる。これ以上行けば、命の保証はないと言われているようだから。


 りず君とらず君が肩で大きく震え始める。ひぃちゃんの翼に力が無くなり、私の膝は地面に崩れ落ちた。


 浅く大きな呼吸を繰り返し、両手で地面をえぐってしまう。


 これ以上は行けない。進めない。引き返さなければ――


「黙れ、うるさい、立てよ馬鹿ッ」


 自分を叱咤しったして、私はひぃちゃんとりず君を下ろす。


 二人を壁際に寝かせて順に頭を撫でれば、不安そうな瞳が揺れた。


「氷雨……?」


 りず君が首を傾げる。私は笑って、努めて明るく伝えるのだ。


「ここにいて。大丈夫、すぐに結目さんを連れて戻ってくるから」


 この子達をこれ以上連れて行けば、壊れてしまう。私はどこかでそうだと知っていた。


 生にすがる剥き出しの私の心は、これ以上耐えられない。


 だからここにいて欲しい。


「駄目だ氷雨。駄目だ、行くな、これ以上は駄目なんだッ」


「氷雨さん、分かっています、結目さんを救いたいと。だから私達は、」


「うるせぇひぃ、黙れッ」


「黙るのは貴方の方です、りず!!」


「りず君、ひぃちゃん」


 いつも仲が悪い二人。


 一度二人を抱き締めて頭を撫でれば、りず君もひぃちゃんも泣きそうな顔をした。


「頑張ってくれて、本当にありがとう。もう、大丈夫だから、ここまでで大丈夫だから……ごめん、待っててね」


「ッ、大丈夫なんて言葉、嫌いだ!! 嫌いなんだ!! 氷雨だってそうじゃねぇか!! こんな信用出来ねぇ言葉、どうしろって言うんだよ!!」


 泣き出してしまったりず君が叫び、私の服を小さな手で掴んでくれる。その言葉は私に直接響き、私は目を伏せてしまうのだ。


 ――大丈夫


 そう、そうだね。私はその言葉が、便利すぎる言葉が、本当は嫌いだ。大っ嫌いだ。


 けれども、その言葉は安心をくれるとも知っている。だからひぃちゃんが否めてくれるのだ。


「それでも大丈夫だと言うしかないのです、りず。貴方だって知っているでしょう」


「うるせぇ、うるせぇよ頭でっかち。お前みたいに俺は冷静でなんていられない。そういう風に出来てんだからッ」


「りず、我儘を言うものではありません……氷雨さんとらずが困ってしまうでしょう。私達の喧嘩にはその作用がある」


 ひぃちゃんの台詞にりず君は黙ってしまう。泣きじゃくる彼は私の肩で挙動不審になっていたらず君を見て、鼻をすするのだ。


 らず君は自信がなさそうで、全てが不安そうで、絶え間なく震えている。


 少し間を持ったりず君は小さく頷てくれた。


「……分かったよ」


 腕から飛び降りたりず君。その背中の針を指先でつつけば、彼は私を見上げてくれた。


「悪い氷雨、俺達はこれ以上行けない」


「うん、良いよ。待っててね」


「すみません、氷雨さん」


「謝らないで、ひぃちゃん」


 微笑めば、二人は苦い顔で笑ってくれる。それに私は頷いて、立ち上がるのだ。


 続く一本の道は暗く、先が見えず、空気には恐怖と嫌悪が混ぜられている。


 それを吸い込めば、体をむしばまれている感覚がした。


 内側から仄暗ほのぐらい花を咲かせる蕾が芽生えるように。その根が、器官という器官に張り巡らされ、私と言う人間の機能を低下させていく。


 根は足の裏から飛び出して靴すら貫通し、地面に絡みつこうとするような繁殖性を最大限まで発揮して、私の歩みを止めようとする。


 それでも進め。


 立ち止まれば願いは叶わない。


 私は自然と壁に手をついて肩で息をし、畏怖いふは内臓を震わせる。


 らず君は輝き続けてくれた。私はその優しさだけを頼りに、遠くに見えた光りを目指して歩き続ける。


 もう少し。きっともう少しで、辿り着く。


 そう思って、期待して、私はやっとの事で光りの元へ足を踏み入れた。


 目に飛び込んできたのは――血のような赤。


 この世界でよく見るようになってしまった色。


 円形に空が切り取られた天井部からは光りが射し込み、洞窟とは思えないほど明るく開けた空間が目の前にある。


 中央には暗褐色あんかっしょくの巨大な鉱石があり、陽の光りに照らされていた。


 四方には私が入ってきたような入口がいくつもあり、そこから時折光りの粒が鉱石に吸い込まれていく。


 あれが――命の鉱石。


 なんて、禍々まがまがしい。


 胃の中がひっくり返るような気持ち悪さと、捕まれば抗えないような空気が肌を撫でる。


 私は奇態な雰囲気の鉱石から何とか視線をずらし、やっと――探していた人を見つけるのだ。


「――結目さん」


 彼を呼ぶ。


 鉱石を見上げていた結目さん。


 振り返ってくれた彼は、笑みをゆっくり浮かべていった。


「やぁ、凩ちゃん、久しぶり」


 結目さんは軽い挨拶をする。


 私は無意識に笑ってしまい、膝からは力が抜けてしまった。


 地面に崩れ落ちて私は呼吸に集中する。今気を抜けば、直ぐにでも意識は吹き飛びそうだ。


 ふと爪先が視界に入る。見上げれば結目さんがいて、目の前にしゃがんでくれた。


「つらそうだね」


 言われてしまう。情けない。


 私は目を伏せながら「すみません」と呟いて、彼は私の短くなった髪に触れていた。その右手は、恐ろしいほど穏やかだ。


「どうしたの、これ」


「……ガルムさんと少し、戦いまして」


「へぇ、生き延びたんだ。さすが凩ちゃん」


 流暢りゅうちょうに話をしている場合では無い筈なのに、結目さんは私を見て笑うばかり。


 その平坦な口調はいつもと変わらず、私の腕には鳥肌が立つのだ。


 何かがおかしい。


 結目さんの空気がおかしい。


 彼を探していた筈だった。彼の手を取りに来た筈だった。


 やっとその距離まで来たというのに、どうしてこんなにも彼が遠くに見えてしまうのだろう。


 目の錯覚というものでは無い。


 感覚的に、彼が遠くなってしまっている。


 私は声が震えそうになるのを我慢して、言葉を零した。


「戻りましょう……結目さん」


何処どこに?」


「皆さんの、所に」


 私は彼の左手の裾を掴み、視線を下に向けてしまう。


 結目さんは答えなくて、逆に私に聞いてきた。


「その為に凩ちゃんはこんな所に来てくれたの?」


「……はい」


 頷いて微笑み、結目さんの顔を見る。彼の顔からは静かに笑みが消えていき、最後は無表情になってしまった。


 あぁ、どうして今、その顔を……。


「結目さん……?」


 また、彼を呼ぶ。


 結目さんは返事をしない。


 彼は髪を触ってきていた手で私の目を塞ぎ、らず君の輝きが止まってしまった。


 恐怖が押し寄せて私の体を震わせる。


 手先は揺れて、ここに居たくないと私の全てが叫び出しそうになる。視界は無くなり、彼の手に触れてもそれを離してくれそうにはない。


 どうして、結目さん。


 私が彼に縋る前に、結目さんの静かな声が鼓膜を震えさせてきた。


「ありがとう、ここまで来てくれて」


 それはきっと、真顔で言っている「彼」の言葉。


「でもいいんだよ、無理して来なくて。頑張らなくて」


 何を思って言っているのか分からない。


 それでも結目さんは、私が聞きたくない言葉を言おうとしてる。


 分かって、察して、私の喉が渇くのだ。


「俺、ここに来て分かったんだ」


 結目さんの声は穏やかだ。とても、とても、今までに無いくらい。


 それが怖くて、不安で仕方が無いのに。私は彼の言葉を止められない。


 結目さんは、私の目に手を押し付けてた。


「ずっと、俺――死にたかったんだ」


 その言葉が。


 私の感情を崩していく。


 微かに戦いの音がする。


 痛いほど静かな空間の中ではその勇ましい音と、彼と私の呼吸音だけが響いていた。

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