第7/8話 異常も続けば、慣らされる。

弘法も筆の誤り。河童の川流れ。猿も木から落ちる。出来る、やれるは、奢りの証。油断は大敵ですなぁ。知ってることが全てですか。そりゃぁ、勿体無い。知らない処にお宝が眠っているもんでっせ。脳の栄養素は足りてますか。それは好奇心です。旺盛ならば、油断している暇はありまへんでぇ。


 光秀は、暗闇の部屋の中で悪夢でも見ているかのような刻を過ごしていた。刻を探る手立ては定期的に運ばれてくる食膳だけ。捕虜、罪人に与えられるものとは違い、日頃お目にかかれないような善が毎回出されていた。その都度、一本の蝋燭と酒、肴も用意されていた。蝋燭の炎は揺らぐことなく、真上に立ち上がっていた。引き戸のある風取り窓も鍵も外にあった。

 食膳は九回を迎えていた。光秀は目を瞑ることなく、瞑想に耽る環境にいた。

 ギィーッ。重い音と共に明かりが差し込んできた。

 「ご不自由をお掛けして悪う御座いますな。少しは今、置かれているご自分の立場と言うものを飲み込んで頂けましたかな」

 「ああ」

 「どうだす、今のお気持ちは」

 「信じがたいが…そんなことがあったのか…と思っておる。我らは、そなたらの掌の上で踊らせていた駒に過ぎなかったのか、そう思うようておる」

 「宜しおますなぁ。まぁ、大袈裟に言わせてもらえれば、そう言うことになりますかいな。予想外の事もありましたが、まぁ、結果、落ち着く処に落ち着いたってことでしゃろな。そう思うても宜しいでっか」

 「はぁ」

 明智光秀は、一気に白髪になる程の落胆に押しつぶされた溜息をついた。

 「さすが、光秀はんですな、飲み込みが早い。この度は、細川家、上杉家に根回しするのに、仲介者へ大枚を使い、出費が嵩みましたわ」

 忠兵衛は、急に強い口調で言った。

 「あんさんが、無謀な戦いに細川家を巻き込めば、どうなっていたことか。細川家は断絶。可愛い娘、珠さんも死罪になっていたかも知れませんぞ」

 「…」

 光秀は、事の重大さを改めて噛み締めていた。

 「失礼を承知で言わして貰いますけど、執着心の足りないあんさんには天下人は無理でっせ。ご自分でも信長を討った後、百日足らずで近国を安定させ、引退とか、お書きになったはりましたな」

 「そんなことまで、知っておるのか」

 「ものを言うのは、武力もさながら、情報でっせ」

 「傷口に塩を塗るか。で、私をどうするつもりだ、秀吉に引渡し、恩でも売るか」

 「それも、宜しおますなぁ。でも、残念ながら光秀の首ならもう織田軍勢のもとを通り葬られる手はずになっておりますさかい、売れまへんなぁ」

 「何と。私はここにおるではないか」

 「だから、あんさんには天下取りなど出来ないのですよ。なぜ、茂朝はんがここにおられたのかお分かりにならないようでは」

 「しからば、どうする」

 「秀吉はんには黒田官兵衛はんがいるように、あんさんには、家康はんの影の参謀となってもらいます」

 「家康の影の参謀…とな」

 「そこはほれ、この度のことをどう見るかですがな。現に、光秀はんも変わってきてはるはずでっせ。怒りは周りを見えなくする。それが静まると今というものが見えてくる。落ち着けば、ほかのことも考える余裕が出てきている、そうでしゃろ」

 光秀は、忠兵衛とのやり取りの中で、不思議な安堵感を覚え始めていた。

 「そらぁ、家康はんは、あんさんのことを恨んでおましゃろな。主君を討たれ、自分の命も危険に晒されたんですから、まっとうに行ったら、怒りを買って、はい、終わりでしょうな」

 「何か策があるという口ぶりだな、もったいぶらずに言え」

 「もう、手は打ってあります。でも、仕上げがまだでしてな」

 「何を言っておる、分かるように話せ」

 「そうしたいのは山々ですが暫し、お待ちくだされ。では、こちらへどうぞ」


 そう言われて、連れて行かれたのは、闇しかなかった部屋から明かり溢れる異人の館のような白を基調にした一室だった。窓の外は見たことのない花が印象的な鮮やかな庭が光秀の心を解き放とうとしていた。

 「刻が来るまでここで寛ぎ、今後のことをお考えくだされ。最早私にも謀反を起こされるとは思いませんが、念の為、監視させて頂きます。外に出る以外は館の中を自由にお使いくだされ、ではその刻が来ましたらまたお伺い致します」


 激変した環境で光秀は、考え込んでいた。奴は一体何を言っているのだ。家康の影の参謀…、私は何を待たされているのか…、彼らは何者か…を考え始めると、落ち着かない時間を過ごすしかなかった。


 光秀が、監禁されている同じ頃、閻魔会は任務遂行に活発に動いていた。

 閻魔会の蔵之介は、密偵から光秀拉致の報告を受け、直ぐに、落ち武者狩りたちのいる村に繋ぎを取らせ、情報を流していた。


 「長兵衛さん、知ったはりますか」

 「何をだ」

 「大層な鎧を着けた侍が、小栗栖を通ることを」

 「何者だ、そいつ」

 「それは知りませんが、さっき来た私の連れが見たらしいですよ」

 「本当か」

 「ええ、しっかり見たと。それもすぐ近くまで来てると」

 長兵衛は直様仲間を集め、身支度を済ませ、奇襲先を定め、その場へと目指した。一度目の奇襲は、臆病風に吹かれて失敗。二度目は、馬上の侍の脇腹に一刺しすることに成功したが明智軍の逆襲に会い敢え無く撤退した。

 「如何なされたぁ」

 「大事でない、また襲ってくるやも知れん。隊は先を急げー」

 溝尾茂朝は、馬上の光秀が影武者であることがばれないように計画通り、自らの替え玉を仕立て隊を進めさせた。茂朝と新右衛門、影武者は藪に身を隠した。茂朝は、悲鳴をあげる影武者の口を強く塞ぎ、新右衛門は、体を抑えていた。隊が通り過ぎた頃には、影武者は窒息死していた。その亡骸を新右衛門に固定させ、茂朝は影武者の首を撥ねた。首実験されても分からないように顔の皮を剥ぎ、土に埋めた。


 溝尾茂朝は、決心していた。理由はどうであれ、光秀を拉致し、裏切った後ろめたさと、闇のからくりを表に出さないためにも、自害することを。それは茂朝と通じていた新右衛門も同じだった。

 一部始終を見守った探偵は、狼煙を上げた。その狼煙は、火の見櫓替わりに木の上で監視していた者から、幾つもの中継を経て越後忠兵衛へと伝わった。

 「宜しおますなー、これはめでたいわ、くくくく」


 優雅な監禁先で寝ていた光秀は起こされ、部屋から連れ出された。使用人に案内されて入った部屋には、忠兵衛と左右に三人の計七人が、西洋製の食卓を囲っていた。楕円形の食卓の上には、カステラとワインが用意されていた。光秀は、越後忠兵衛の対面に座らされた。ふざけた忠兵衛の雰囲気が凛として見えた。


 「嫌な思いをさせて、申し訳ございませぬ、一同を代表して、これ、この通りで御座います」

 一同は、席を立ち、徐に頭を下げ、暫くして着席した。光秀は、影武者が無事に安土城に着いた、と思っていた。

 「ワインではありますが、新たな夜明けの兆しに、かんぱーい」

 「かんぱーい」

 光秀は、意味が分からず、呆然とその光景を見ていた。

 「会食しながら、お話しましょう、みなさんどうぞ、ご自由に。さぁ、光秀様もどうぞ、オランダから手に入れたパンと紅茶というもので御座います。毒などは入っておりませぬから、さぁ、どうぞ、どうぞ」

 光秀は、恐る恐るパンを手にして口に運んだ。柔らかい感触にもちっとした歯ごたえ、経験したことのない味に戸惑っていた。

 「光秀様に、ご報告が御座います」 

 「この期に及んでなんだ、安土城に送り届けるってことか。当然の結果だ。そなたらの組織力はよう分かった。私も悪夢と思い忘れるは、そなたらも忘れられよ。それが、お互いのためだ」

 「残念で御座いますが忘れて頂くのは、光秀様の方で御座います」

 「何を…何を言っておる」 

 「まぁまぁ、報告があると、申しましたな。それは、光秀様が本日未明に亡くられた、ということです」

 「馬鹿を言え、私はこうして生きて…、まさか…」

 「そのまさかで御座います。坂本に向かう道のりの小栗栖で、落ち武者狩りに会い、槍で一刺しされた。一応、自害ということになっておりますけどね」

 「一応とはなんだ」

 「一刺しされた傷は致命傷でしてな、溝尾様が介錯なされたというわけです」

 「茂朝が、それで茂朝はどうした」

 「溝尾茂朝様と木崎新右衛門様は、光秀様のお命大事とは言え、拉致したこと、影武者であっても光秀様を介錯した真実を闇に葬るために自害なされました。本当に良き家臣をお持ちになりましたな」

 「何と…。茂朝、新右衛門、済まぬ」

 光秀は、溢れる涙を人目も憚らず流し、その場に崩れ落ちた。部屋は、光秀の嘔吐の如き苦悩のうねりに支配されていた。その叫びが収まり、すくっと立ち上がった光秀は、憑き物が落ちたように生気を失っていた。

 「光秀様、貴方が今後、生きていると主張なされば、溝尾様、木崎様、更に、訳も分からぬまま死んでいった影武者の命を無駄にされるばかりか、光秀死す、で収まりかけた世相をまた、混乱の戦いの渦へと誘う結果となりまする。細川家もただでは済みますまい。それでも、戦の渦へとお戻りになりまするか。また、多くの尊い命を土の肥やしになされますか」

 「最早、私は、生ける屍か」

 「さようで御座います」

 「残酷な事をさらりと言ってのけるものよな、そなたは」

 「もともと、天下人に成るつもりも、その度量もない貴方が、何ら根回しもなく、謀反など起こしたことへの、天罰とでもお考えなされよ。事を構えることは、覚悟が必要で御座います。その覚悟が甘すぎるのです。如何なる場も考え、打てる手立ての全てを検証し用意周到にこれでもかと計画を見直す。一睡の水も漏らさずがあっての決起。行き当たりばったりでは、関わる者が迷惑致します」

 「…」

 「敢えて言いまする、あなたが、このような失態を二度とやらかさぬために。あなたには根回しに必要な人望が欠けておりまする。決意のひ弱さが招くものです。執着心という強い意思が足りていないのです。それが甘えに繋がり、求心力に劣る。あなたには、学問もある、才覚もある。しかし、実践向きではない。裏で糸引く存在で生きるお方で御座います、私にはそうとしか見えませぬ」

 越後忠兵衛は、光秀を諭すように方言を抑えて説いた。

 信長の疑心暗鬼が招いた混乱に翻弄される光秀の姿がそこにあった。


 「で、そなたら、私に家康の参謀となれと」

 「それがあなた様の生きる道で御座います。そしてそれは、この国にとって大切な役割を果たすと信じて、我らは動いておりまする」

 「何故、そなたらがそれを行う」

 「まぁ、それは暇つぶしの道楽とでもお考えください」

 「道楽か…。大層な道楽だな。…そう言えば昨夜、可笑しな事を言っておったな。

物の見方を変えれば、事の見方が変わると言うようなことを」

 「覚えておられましたか。光秀死す、は最早、諸大名のみならず、民衆の話題にもなっております。勿論、それを拡散させたのも、我等が密偵たちに指示したもの。あなたが戻りたくても、戻る場所はもうないということです」

 「そなたらは、一体何者なのだ」

 「それは、聞かぬが花、と言うことにしておきましょう」

 「喰えぬ奴らだ。しかし、肝心の家康の了承を得ているのか」

 「ご心配なく。家康様は無事、三河国に戻りましょう。落ち着いた頃合を見て、この度、生還できたのは、光秀様のお手柄によるものとお伝えするつもりです」

 「私が、家康を助けた。たわけたことを、誰が信じるそんなことを」

 「ほれほれ、それが駄目なのです。陰の将軍とまでは行かないまでも、陰の参謀になって頂こうとする御仁が、先々を読めなくてどうなさいます。言ったはずですよ、

真実何て言うものは、見方を変えれば、何とでも変えられると。それらしい情報を少し加えるだけで真実味を帯びる、白にでも黒にでも思うようにね」

 「何をどう変えるんだ」

 「それは、服部半蔵はんに絵図を書いて渡してあります。あとは、半蔵はん次第。仕上げをご覧あれってことで、上手くいけば、報告さしてもらいます」

 「そなたら、なぜ、こんな手の込んだ事をする。聞かせてくれぬか」

 「好奇心はお有りのようで、宜しい少しだけですよ。私たちは、あなたがお気づきのように商人です。その利権を利益を信長が奪おうとした。大人しくしていれば良いものを。そこに、イエズス会とあなたが、信長暗殺を企てているという情報が舞い込んできた。どちらに着くのが既得権を守れるかは、考えれば分かりますでしょう」

 「済まぬ、私には分かり申さん」

 「駄目ですよ、考えもせず答えを出されたら。立場を変え、考えなされ。生まれ変わってもらうためにご無礼を承知で、学んでもらいましょうか」

 「ぜひ、伺いたいな、その学びとやらを」

 行き場を失った光秀は、越後忠兵衛の術中に嵌まり始めていた。

 

2019/04/05 投稿分

 毎月5の付く日はポインデーならぬ投稿日⇒次回は2019/04/05

 予告編

真実を生かすも殺すも、その後の成り立ち次第で御座います。真実はひとつ。そりゃ、理想論でしょ。暴かず、知らせず、見せつけず。誤ちを正すだけでは息苦しい。息ができなきゃ生きられない。真実とは生きるための戒めで御座います。

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