20190121:小豆、ペースト、アポトーシス/蛇足

 アポトーシスは機能的細胞死と訳されるが、コナンのおかげで言葉としては割と一般的になったように思う。細胞が寿命を迎えるとアポトーシスにより分解されるが、もっとわかりやすい例では『手のひらの水かきがなくなる』とかだろうか。胎児は成長途中で骨を作り手を作る。最初は肉の塊のようであった『手』が指の形を持つのは、骨と骨の間の部分がアポトーシスし、なくなるからだ。


『アポトーシス法』は法律ではなく製法の意味。もちろん創作。植物が持つ細胞壁は堅く、消化が難しい。アポトーシスさせることで、細胞は死ぬが、細胞がため込んだ栄養素についてはそのまま流出。生物内では他の細胞に吸収されるらしい。

 細胞壁を壊すことができれば『他の細胞が栄養を吸収するように』効率よく栄養摂取ができると考えた。食物の効率よい摂取はすなわち、同量であっても養うことのできる人口が増えると言うこと。製法としてそれを確立すると言うことは、効率を求める必要があると。


 小豆も外側の皮がなくなれば潰しやすく加工もしやすくなる。しかしこしあんはそもそも潰して漉したものであり、皮がなくなっただけではこしあんにはならない。

 講義している側が『種というものは』と言いかけているのは、種の状態からアポトーシスプログラムで自死させることができる部分について言及しようとしたため。種のうち『細胞』なのはへそ……胚芽だけであり、『餡』の部分は胚芽が成長するための栄養である。胚芽がアポトーシスしてもやはりこしあんにはならない。


 僕が殺されることを思うのは、アポトーシスが『機能的死』であるから。必然的な死であるとも。軌道エレベータにアポトーシスを興行的に実現する技術力と言い、若干未来な時代設定である。

 軌道エレベータが実現すれば、地球重力圏を抜けるコストが大幅に低下し、宇宙進出も増加すると考えられる。宇宙で『生活』をすることができるようになれば人口が増える可能性もある。

 人口が増えれば食糧が必要であり。以下略。

 

 水耕栽培可能なものは工場生産が主になっていくだろう。

 芋などは土が必要である。いつか不要になるときが来るのだろうか。


 蛇足に蛇足を重ねるが、筆者は粒あん派である。

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