【05】混乱


 一面の真っ暗闇。

「何っ、何なのっ?!」

「お嬢、落ち着け! 俺だって! ちょっと……! お嬢、やめろ!」

 ミレアとジョンソンは完全に混乱していた。

「何が飛んできて角灯ランタンに当たった」

 これはギンベの声だ。彼は比較的、冷静だった。

「落ち着け! 落ち着け!」

 ブラウンの叫び声が木霊する。言葉とは裏腹に平常心を欠いているようだ。

 彼らは優秀であるが、こういった突発的な事態においては、やはり経験の浅さを露呈してしまうらしい。

 ぼくはというと落ち着いていた。

 息遣いや声で、誰がどこにいるのか、手に取る様にわかったからだ。

「ちょっと、みんな落ち着いて……」

 ぼくは冷静な声音で彼らの元へと向かう。しかし……。

「ちょっと! 何なの?! きゃっ、誰なの?! そこにいるの」

「お嬢……! だから俺だって」

「誰?! 誰なの?! 今、変な声、聞こえなかった?」

「だから、俺だッ! いい加減にしてくれッ!」

「そうだよ。何も聞こえないよ」

 ぼくは笑う。しかしミレアはまったく聞く耳を持ってくれない。

「いやッ!! いやッ!! きっと、あの男よ!! あの不気味なブギーマン……また、今聞こえた!」

 すでに半狂乱だ。きっと反響した仲間や自分の声を聞き違っているだけなのだろう。

「……おい。さっきの声は何だ?」

「ああ。変だ……俺たち以外にも誰かいる! お嬢の言う通りだ」

 ブラウンとジョンソンまでおかしくなり始めた。

 闇は恐怖の根源だ。

 ただそこにあるだけで人の心を惑わし、存在しえない怪物を産み落とす。

 その怪物は幻想などではなく、ときに現実の死をもたらす。

 恐怖は本物の死神となりうるのだ。

 これは、思ったよりも大変な状況になった。

 そう思った矢先の事だった。

「落ち着けいッ、小娘!! 魔術で明かりを灯せッ!!」

 ギンベが一喝する。

 一瞬の静寂。

 それで、少し落ち着きを取り戻したらしい。

 ミレアの声がした。

「ごめんなさい……もう大丈夫」

 そのあと彼女の紡ぐ呪文が暗闇を震わせる。

 すると緑色の光球が長杖の先から放たれて、ミレアの頭上にふわりと浮かんだ。

 まるで蛍の様だ。その光が徐々に大きくなってゆく。

 周囲の闇が、ゆっくりと……ゆっくりと、光に押し退けられていった。

 光球は握り拳くらいの大きさまで膨れあがる。

 すると突然、絶叫が轟いた。ミレアである。

 その粒羅な瞳をいっぱいに開き、円形に開いた唇を戦慄かせていた。

 ぼくは彼女の視線の先を追って振り向いた。

 闇。

 そこには何もない。

 彼女が再び叫び声をあげた。

「おい! 落ち着けッ!!」

 彼女は、そのブラウンの言葉を聞き入れようとはしなかった。

 これまでにない絶叫をあげてミレアはやみくもに駆け出す。魔法の光球も彼女を追尾して移動する。

「待てッ!! 待てッ!! どこへ行くんだ……」

 ブラウンが彼女に向かって手を伸ばした。しかし、ゴブリンの死体につまずいて転んでしまう。

「お嬢!」

「待て! 小娘! ……おわっ」

 ジョンソンとギンベも動こうとしたが、互いにぶつかってしまった。

 三人がまごついている間にも、緑色の光は瞬く間に遠ざかり、暗闇の中に消える。

 再び周囲は色濃い闇で満たされた。状況は最悪だった。


 思い出せたのは、ここまでだった――。




 雷鳴が轟いた。

「不気味なブギーマンが、殺した……」

「……それはいったい、何者なのですか?」

 アメリアが問い返す。

 ベッドの上でぼくは、ゆっくり首を横に振った。

「酒場から……ぼくたちを……ずっとつけていた……」

 多分、ギンベの角灯ランタンを割ったのもあいつだ。

「その酒場の名は?」

「三十一番街の“南瓜頭パンプキンヘッド” ……そこがぼくたちの溜まり場だった」

 大抵の冒険者はいきつけの酒場を溜まり場にしている。様々な情報が人と共に集まるからだ。ぼくたち銀鷲騎士団もそうだった。

「なぜ、その男は、あなたたちの事を?」

 彼は首を振ってうなだれる。

「……ぼくたちが、あいつの事を気味が悪いって、笑ったから怒ったのかもしれない……それから」

 稲光が瞬いた。

 ぼくはいったん言葉を詰まらせる。

 あの酒場の窓硝子越しに見た、髑髏の様な醜い顔……思い出しただけで背筋が凍りついた。

 指先が恐怖で震える。

「それから……何です?」

 雷鳴のあとアメリアから話の続きをうながされた。

 ぼくは沸きあがった怖気おぞけを振り払い、再び口を開く。

「酒場で、ずっと彼女の事を見ていた様な気がする」

「不気味なブギーマンが、ですか?」

 ぼくは頷いた。

「彼女を……どうか……ミレアを……」

 アメリアの右眉がぴくりと動いた。

「そのミレアさんというのは……?」

「行方不明になっている彼女の事です。ミレア・プランターノ。プランターノ家の令嬢で……不気味なブギーマンの目的は、最初から彼女だったのかもしれない」

「なるほど……」

 しばらく、思案顔で黙り込むアメリア。

 綺麗な顔だ。でも、こういう女は要注意だ。

 清純なミレアとは違って、すぐにぼくを騙そうとする。

 女は汚い……。

「どうかしましたか?」

 突然、声をかけられ、ぼくはびっくりする。

「いっ、いえ……」

「そうですか」

 それから彼女は、いくつか当時の事についての質問をしてきた。

 しかし、ぼくの記憶はまだ完全に戻りきっておらず、ほとんどまともに答える事ができなかった。

 らちが明かないと判断した彼女は、いったん出直す事にしたようだ。丸椅子から腰を浮かせる。

「……また来ます。今日はありがとうございました」

 彼女は病室をあとにした。

 ぼくは、しばらく彼女が出ていったあとの扉を見詰め続けた。

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