第11話 素直なキモチ
クリスマスキャロルが街中で流れる、年の瀬迫る頃の千葉駅付近の繁華街。
小雪が舞う寒い夜、さよりは徹也とともに食事した後、酔客がひしめく表通りから人気の無い細い道に入りこむと、少し深呼吸し、しばらく目をつむり、気分を落ち着かせた後、そっと言葉を吐き出した。
「徹也くん・・」
「どうした?さより。急に緊張したような顔して。」
「ごめん。私、もうこれ以上、徹也くんとは付き合えない。正直疲れちゃって・・」
「な、なんだって?」
「何でもかんでも監視されて、言いたいことも言えなくて、辛いだけなんだもん。」
「はあ?それは、さよりのことを誰よりも心配してるからだよ?そして誰よりも好きだからだよ。そんなこともわかんないのか?」
「わかんない。分かってるんだったら、私のこと好きならば、私を信じて、もっと自由にさせてほしい。」
「ふざけんな。俺は、さよりにずっとそばに居てほしいんだよ!」
「とにかく・・徹也くんが束縛を続ける以上、もう、これ以上は付き合えない。ごめんね。今まで楽しかった。ありがとう。」
「ふ~ん・・・そうか、わかった。で、別れたらどうするんだ。結婚考えてた男の所に戻るのか?」
「そんなの分からない。今ははっきり言えないよ。彼と結婚するかどうかなんて。」
「ほう。心のどこかにまだそいつのことが引っかかってるんだな。やっぱそいつをぶん殴らないとダメだな。わかった、今からそいつの所に俺を連れてってくれ。」
さよりは、恐怖心から慌ててカバンからスマートフォンを取り出し、恭介に電話をしようとした。が、急に何かを思い立って、すぐカバンにしまいこんだ。
「その男に電話しようとしたのか?さより。俺にスマートフォンを見せろ。そして、その男のメルアドと電話番号、それにLINEアドレスを見せろ。さよりと寄りを戻さないよう、俺からガツンと言っておくから。」
「やめて!彼には手を出さないでって、あれほど言ったじゃない?」
「うるさい!さよりがもう二度と浮気しないよう、そいつを叩いておく必要があるからだ。さ、早くスマートフォンを俺に渡せ!」
「止めて!いい加減にしてよ!」
さよりは手提げカバンで徹也の手を払うと、徹也の頬を平手打ちした。
「おう・・やってくれんじゃねえか。どうしてくれるんだ、この傷を。おい!」
徹也は白い歯をむき出しにし、ジャケットを脱ぐと、さよりの頬を殴りつけた。
「シンガポールでずっとお前を思い続けた俺の気持ちを踏みにじりやがって!どうしてもその男の所に行かせたくないのなら、その前にお前を殺してやるわ!」
地面に叩きつけられたさよりの太腿を、徹也は何度も足で蹴り上げ、顔を手で引き上げると、再び殴りつけた。
顔面血だらけになったさよりは、そのまま気を失い、ぐったりとして地面に横たわった。
「あ・・・やべえ。お、俺は、知らねえぞ。お前が浮気なんかするからだ。」
血だらけになったさよりの顔を見た徹也は、あまりの恐怖心で震え上がってしまった。
そして、騒ぎに気がついた近くの飲食店の店員が様子を見に近づいてきたのを目にした徹也は、慌ててその場から一目散に去っていった。
ぐったりとうなだれたさよりは、冬の夜の冷たい地面の上にそのまま置き去りにされた。
長く寒い冬が過ぎて、ようやく暖かくなり始め、桜のつぼみが徐々にピンクの色を増してきた3月の東京。
朝方、恭介は仕事へ出かける準備を終え、いつものようにメダカに餌をあげようと、水槽を覗き込んだ時、去年の秋以来、じっと奥の方で動かなかったたえ子が、久しぶりにジョリーの後を追うように泳いでいることに気づいた。
段々水温が上がってきているので、メダカにとって活動期に入ったからかな?と考えたが、一時期はジョリーに寄り付きもしなかったたえ子が、仲睦まじく泳いでいるのを見て、人間以上に複雑怪奇なメダカの気持ちがイマイチわからなかった。
年度替わりを控え、決算を控えて営業の仕事がたて込み、帰りも遅くなりがちなこの時期、恭介が最寄り駅の西武柳沢駅に降り立った時には時計の針は10時を指していた。
途中のコンビニエンスストア弁当を買い、そそくさとアパートへの帰りを急いだ。
花粉症を持つ恭介にとって、この時期の通勤は辛い。
自転車に乗っている時、向かい風に乗ってやってくるスギ花粉をもろに受け、くしゃみが止まらなくなる。マスクはしているが、症状が酷い時にはほとんど効果は無い。
いつものように、アパートの前にたどり着いた時、恭介の部屋に明かりが灯っていることに気づいた。
「あれ?今日・・ウチの親、来てるのかな?」
恭介の部屋の合鍵は、実家の親に預けているが、その他に誰に預けていたか、イマイチ思い出せない。
恭介が部屋の鍵を開けようとしたら、内側から鍵を開ける音がした。
「ただいま・・。」
「おかえり。」
「・・・え?・・・さ・・・さより?」
玄関に立っていたのは、ニッコリと微笑むさよりであった。
エプロンを付け、夕食の準備をしていたようだ。
「お前・・・どうしたの?あれから半年経って、もう・・ここには帰ってこないと思っていたのに。」
目の前にいるさよりの姿を見て、茫然とした恭介は、思わず、持っていたカバンと弁当を落としてしまった。
「あら、弁当買ってきたの?せっかく作ってたのに、夕食。」
「だって・・さよりからのLINEも電話も、何も入っていないんだもん。」
「そうね。突然だもんね。ごめんね、連絡しておけばよかったね。」
そういうとさよりは、カバンと弁当を拾い、テーブルの所へと持ち去った。
長かった髪は肩のあたりまで短くなり、以前よりもちょっとボーイッシュなイメージになった。
「さ、食べよ。恭介くんが買ってきた弁当も、勿体無いから、おかずにしながら食べようよ。」
テーブルには、ご飯と豚の生姜焼きと味噌汁が載っていた。
「いただきます。」
以前は料理が苦手だったさよりだったが、生姜焼きを一口食してみると、タレの風味も香ばしく、肉も柔らかく焼き上がっていて、なかなか美味しい。
シンプルなレシピながら、だいぶ腕を上げているようであった。
食べている最中、さよりの額の上の方に、大きな絆創膏が貼ってあることに気づいた。前髪を垂らして隠しているようだが、髪の毛の隙間から、絆創膏がはっきりと見て取れた。
「さより、額の絆創膏・・一体どうしたんだ?」
「見えちゃった・・?隠そうとして前髪を下ろしてたんだけど。」
さよりは、バレたかというような表情で、ちょっと舌を出して笑った。
「彼と、喧嘩したんだ。」
「彼?」
「前に話した、昔好きだった人のこと。大学時代のサークルの2年先輩でね、伊賀徹也っていうんだけど・・。同じ大学の工学部出身で、大学院まで行って、その後、大手建設会社に入ってね、高層ビルやマンション建築の仕事してるんだ。2年前にシンガポールでの仕事が入って、それっきりずっと音信不通だったの。で、帰国して、私がピアノ弾きのバイトをしているレストランにやってきて・・」
「そこで、復縁しようと思ったの?」
「うん・・。」
「そうか。」
「彼・・私が恭介くんと結婚することを受け入れられなくて。別れろって何度も迫られて。私、すごく辛くなって、あなたに会うのも段々辛くなってきちゃって・・。でも、彼が私を一途に思う気持ち、すごく嬉しかった。ずっと離れてたけど、私のこと、覚えててくれたんだ、好きでいてくれたんだって。」
さよりはうつむいて、徐々に話のトーンが下がってきた。
「恭介くんと別れた後、徹也くんに恭介くんとの結婚を保留したことを話したら、彼、すごく嬉しがって。その後お付き合いが再開したんだ。でも・・」
「・・ん?何か?何かあったのか?」
「私をすごく束縛するようになったんだ。どこにもお前を行かせない、婚約者という奴が目の前に現れたら、ぶっ殺してやるって言って。」
「ええ?マジで?俺、ぶっ殺されるんだ・・?」
震え上がる恭介を見て、さよりはクスッと笑いながら、口を開いた。
「大丈夫よ。だって・・彼とは、もう、別れたんだ。」
「別れた?」
そういうと、さよりは額の絆創膏を見せてくれた。さらに、スカートを少し捲りあげ、右腿に巻かれた包帯を見せてくれた。
「彼とは大喧嘩しちゃった。すごく感情的になって、私を殴って蹴って・・・。彼、シンガポールの同じ営業所に勤めていた女性を好きになって、付き合ってたんだって。でも、上手く行かなくなって別れて、辞令が出て失意のまま帰国して・・だから、心の支えが、私だったみたい。私を失うのが怖かったんだって。」
「彼の束縛に耐えられなくなって、別れようとして、喧嘩になったんだね。」
「そうなのよ・・。私、徹也くんの命令で、恭介くんを電話して呼び出そうと思った。でも、でも・・自分の心に素直になって、徹也くんと付き合うことを決めたのは私だから、私が自分でその決断に、責任を負わなくちゃいけないって思って・・。だから、電話しないで、自分で全て解決しようと思ったの。」
恭介は次第にいたたまれなくなり、震える拳を握りしめ、目から涙がこぼれ堕ちてしまった。
「馬鹿だな・・責任なんて一人で背負うなよ!俺が居るんだから、俺をもっと頼ってくれよ!自分に素直になって選んだことだからって、責任まで負わなくたっていいんだよ、自分の身体、自分の命の方がもっと大事だろ?」
さよりは、うつむいたまま鼻をすすり、声を出して泣き出してしまった。
「さより・・ごめん、お互い落ち着いてから、話の続きをしようか。」
さよりは小さく頷いた。
夕食を食べ終え、片付けた後、2人でソファに腰掛け、お茶を飲みながらテレビを見始めた所で、さよりは再び、話し始めた。
「・・徹也くん、私をさんざん殴った後、私を置き去りにしてそのままどっかに行っちゃったんだ。親は傷だらけの私を見てびっくりして、警察にも相談してくれて。その後は何にも無いんだけど・・でも、しばらくは外出するのが怖くて、1ヶ月位、仕事休んで家で引きこもってて。やっと外出するようになった後も、髪型変えて、メガネかけたりして・・かなり変装して出歩いていたんだ。」
さよりは、ボブヘアにした髪を何度も触りながら、ちょっとだけ笑った。
「それで髪を、切ったんだね。」
「似合う?ずっと伸ばしてたんだけど、半分くらい切っちゃったの。」
「うん、可愛いよ。さよりの丸い顔がもっとまんまるに見えるから。」
「何よそれ、褒めてるの?」
「一応、褒め言葉だよ。俺なりの。」
恭介は笑いながら、さよりの髪をなでた。
「でもさ・・・思い返すと俺、さよりに無責任なこと、言ったかも。あの時、自分の気持ちに素直に・・なんて突き放すようなことを言わず、俺のそばを離れるなって言って、引き留めておけば良かったんだ。そうでなければ、さよりがそんな痛い目に合わないで済んだのに。」
さよりはしばらく物思いに耽った顔をし、ちょっとため息を付いた後に
「ううん、私以前、恭介くんに言ったよね?嘘を付く人は嫌いだって。だから、恭介くんは、そんな私の気持ちを分かってくれてたんだと思った。お互いに嘘で固めて、繕っても、いずれギクシャクするだけだったと思う。」
「・・・」
「それにさ・・徹也くんがシンガポールに行って離れ離れになり、音信不通になった時、すごく寂しくって・・。そして、徹也くんが帰ってきて、せっかく決まった恭介くんとの結婚を突然保留にしてさ・・周りを振り回してる無責任な人間は、他ならぬ私だよ。」
さよりは、テレビに視線を向けながらも、申し訳無さそうな顔で、目を閉じながら恭介への気持ちを口にした。
「じゃあ、おあいこってことか。悪い意味でだけど。」
恭介は笑いながら、さよりを向いて語りかけた。
「そうだね。」さよりも笑って、恭介の方に視線を合わせた。
「恭介くんに、ずっと会いたかった。でも、しばらくは怖くて外出できなかったし、気分も落ち着かなかった。そして何より、ケガしてアザだらけの顔なんて見せたくなかったから。」
「き、気にすんなよ、俺はアザだらけであろうと、さよりを受け入れるよ。」
「でも、イメージ壊しちゃいそうで嫌だった。すごく腫れぼったい顔してたんだよ私。家にいる間はずーっとやることがなくて、料理を勉強してたの。今まで、恭介くんになかなか美味しいものを食べさせてあげられなくて。だから、料理本を読んで勉強したり、お母さんに聞いたりして、練習に練習を重ね、何とか人並みになったかなあ?って感じかな。」
「そうか・・だから、今日の生姜焼き、すごく美味しいって感じたわけだ。いつ腕を上げたんだろうって。」
「ホント?嬉しいな、料理の得意な恭介くんに言われるとすごく嬉しいかも。」
さっきまでどこか悲しげな表情をしていたさよりは、すっかり穏やかでにこやかな、いつものさよりの表情に戻っていた。
「恭介くん、私、今の素直な気持ち、言っていい?」
「ああ・・いいよ。でも、何だか怖いなあ。」
さよりはリスのようにクスッと笑い、そして恭介に顔を近づけた。
「恭介くん・・だ~い好き!」
そういうと、恭介の頬にキスした。
「さ、さより・・・。」
恭介は突然のキスにたじろぎながら、さよりの耳元で尋ねた。
「さより・・・俺・・。俺の素直な気持ちも、言っていいか?」
「え・・いいけど、恭介くんの答えを聞くの、何だか怖いな。」
「俺も・・・大好き。だよ。」
「・・・嬉しい。」
さよりと恭介は、腕を互いの肩に置き、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
水槽のメダカ達は、夜も遅いせいか、底に集まり、すっかりおやすみモードである。ついこないだまで離れて休んでいたたえ子とジョリーは、この日は互いの体をくっつけ、寄り添うように休んでいた。
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