38:本気で隠してるつもりだったのか……?
「月守、ちょっといい?」
ある日の放課後。クラス委員の仕事のため、そろそろ世界史準備室に向かおうかと考えながら机の中身を整理していた俺の頭に、クラスメイトの女子からの声が降ってきた。
視線を上げると、葉月や香椎とよく喋っている姿が目に入る、クラスでも比較的活発な部類の女子がすぐそばに立っていた。名前は林さんだったっけ。
「林さん? なにか用?」
「んー。あたしが用あるわけじゃないんだけど」
問いかけると林さんは苦笑を見せて、教室後方の出入り口に視線を向けた。そこには、おずおずとこちらの様子を伺う、名前を知らない女子の姿がある。
背が低く大人しげな雰囲気の彼女は、どこか遠慮したような雰囲気でこちらの教室を覗き見ている。こちらに立ち入る様子を見せないところからいっても、彼女は別のクラスの子なのだろう。
他クラスの雰囲気に立ち入っていくのって勇気必要だもんね。わかる。
「なんかひとりで納得してるところ悪いんだけどさ、月守に用事あるんだって」
「俺に?」
「そ。外で待ってるあの子、調理部で同じなんだけどさ」
意外だ、と言ってしまっては失礼かもしれないが、香椎に近いギャルじみた雰囲気の林さんが外の大人しそうな子と肩を並べて調理に勤しんでいる姿はあまり想像がつかなかった。
「なんか失礼なことを考えられてんのだけはわかった」
「そ、そんなことないです」
「どもってんだよ」
林さんに軽く小突かれつつ、俺は自席から立ち上がる。
よくわからないが、外の子が俺に用事があるというのであれば話を聞かないわけにもいかない。
といっても、大体のところ想像はつくのだが。
俺が他クラスの女子から呼び出しを受ける場合、これはまず間違いなく確実に100%榛名絡みだ。
顔の造形が並の男子高校生のそれではない榛名はあまりにもモテる。そしてそれだけモテるのだがとにかくコミュニケーション能力が低い。
榛名とまともにコミュニケーションを取れて友人付き合いが出来るのは俺くらいなもので――最近は山名くんたちをはじめとしたクラスメイトとも会話をこなせるようになってきているが、それでも俺の足元、つま先にも及びはしない――もし他クラスの生徒が榛名との会話を欲するならば、俺を介するのが一番確実であることは自他ともに認めるところであった。
つまるところ、あの子も榛名とのパイプが欲しいあるいは榛名に告白する機を伺っていて、それを俺に相談したいということなのだろう。中学時代から高校入学して今に至るまで、何度こなしたかわからない月守甲洋にとってはおなじみのイベントであった。
伊達に柳生榛名の腰巾着と呼ばれてはいないからな。ふふっ、泣きてえ。
「…………」
教室の出入り口に向かう直前、俺の後席に座る葉月がどこか不安そうな面持ちでこちらを見ているのが気になった。葉月の隣で駄弁っていた香椎も、いつになく真剣な表情でこちらを見ている。似合わない。
「真剣な顔似合わないな、香椎」
「あぁん!? うるさいよ鈍感野郎が」
「えぇ……理不尽すぎない?」
なんで俺怒られてるんだろう。釈然としない思いを抱えながら、俺は林さんと連れ立ち件の彼女の元へ向かう。
「月守連れてきたよ」
「あ、ありがとう、
林さん、下の名前花梨って言うんだね。俺クラス委員なのに知らなかった。
「はじめまして、月守甲洋です。えーと、何か俺に用事があるとか?」
「えっ。あ、はい、あの、急にすみません。体育館裏に来てもらえませんか……?」
「体育館裏?」
教室の中に榛名はいないが、学園でも屈指の人気者(女性限定)である榛名との距離を縮めようとしているところなんて、あまり人目にはつかせたくないといったところだろうか。
別に断る理由もないので、俺は緊張した風な足取りで体育館裏へと向かう同級生の背中を追うのだった。
* * *
「つ、月守君、ありがとうございました……っ!」
放課後。体育館裏。目の前から走り去っていく女子生徒。
途中まではいつかどこかで経験したシチュエーションだったのに、こうなることを一片とて想像できなかった己の愚かしさに俺は愕然としていた。
「……俺」
なんだか現実味を感じられない。熱に浮かされたようなふわふわした思いを抱えながら、俺は体育館の壁を背にしてずるずるとその場に座り込んだ。
――先ほどの彼女がこの場所に俺を呼び出したのは、俺への告白が目的だった。
榛名が目的で俺に渡りをつけてほしいだけだろう、なんて軽い気持ちで考えていたさっきまでの俺をぶん殴れるものならぶん殴りたい。
俺とさっきの彼女には、まったくと言って良いほど接点がない。部活はしていないし、クラスも違うなら、会話を交わしたことだってないだろう。
俺が相手でなかったとしても、そんな条件の男相手に彼女の告白が成功する確率は低いと言える。だがそれでも、他のクラスの生徒である俺に対して、彼女は己の想いを伝えようとしてくれた。
それを俺は、彼女の口から告白が飛び出てくるその直前の直前まで、彼女の目的が榛名であるものと認識して疑っていなかったのだ。
「クソ野郎すぎる……」
人の想いに対して、どう考えても誠実ではなかった。自己嫌悪と罪悪感とで頭の中はいっぱいになって、胸の内はぐるぐると気持ち悪い。
他者の勇気ある振る舞いを直視することなく、挙句それをすげなく断ってしまったという事実が、胸に重く圧し掛かる。
「自分が同じことをされたらどう思うんだよ……バカ野郎め……」
自嘲の言葉は、いくらでも口を衝いて出てきそうだった。
誠実さがなく、人の気持ちに鈍感で、そのくせ一丁前に自分は人を想っている。
告白を受けた瞬間に脳裏を過ったのは、葉月の顔だった。
俺に好意を抱いてくれた彼女の告白を受けながら、俺は別の女の子のことを考えながら、それを斬り捨てたのだ。
ああまったく、自己嫌悪が留まるところを知らない。
それから、十分くらいは自己批判を繰り返していただろうか。
「……君がこんなところにいるなんて珍しいな。まるでフラれたような落ち込み具合じゃないか?」
聞きたいような、聞きたくなかったような。
親友の皮肉気な声が耳に届いて、俺はのろのろと顔を上げた。
いつの間にか、目の前に榛名が立っている。
「榛名」
「おいおい、珍しいな甲洋。あまりにも覇気がないぞ、君」
「うるせえ」
口ではそう言うものの、自分に覇気がないことは百も承知だった。明らかにいつもの調子ではない。
「告白を受けて断った。そして断ったくせに落ち込んでいるってところかい?」
口の端を吊りあげながら語る榛名の観察眼に、俺は舌を巻いた。さすが色恋にかかれば場数が違う男といったところだろうか。
「……まあ、そんなところだよ」
「バカか? 君は?」
身もふたもない榛名の物言いに少しカチンとくる。人の悩みを一言で切って捨てやがって。
「お前、俺は真剣に悩んでだな……」
「なにを悩むことがあるんだ?」
「誠実とは言えない振る舞いをした」
「基本的に君が常に他者に誠実であろうとしていることは、僕もよく知っているところだが。そんな君がどう誠実でない振る舞いをしたというんだ?」
こいつは傷口に塩を塗ってくるのかよ。ただ呻きながらも俺は、自分の後悔を吐き出せる機会を与えて貰えたことに感謝もしていた。
「……そもそも俺はこの場に呼び出されたことを告白と認識していなかった。というか、何なら目的が榛名だと決めつけてすらいた」
「まあ、遺憾ながら君を介して僕と通じようとする女子は多いものな」
「向こうは真剣だったのに、俺は真剣に捉えていなかったんだよ」
苦々しい思いを吐き捨てるように告げると、榛名はふぅん、と相槌を打った。
「それで、いざ告白されたら。目の前のその子の事じゃなくて、葉月が思い浮かんだんだ」
「……はぁ。それで?」
「葉月のことを考えながら、告白を断ってしまった。告白してくれた子のことは、ほぼ目に入っていないありさまだよ」
口に出せば出すだけ暗澹とした気持ちになる。
しかし、俺の内心と反して、榛名はなんだか微笑ましいものを見るような生暖かい視線でこちらを見ていた。
「君は少し、自分の気持ちに誠実であろうとする意志が足りないな」
「……どういうことだ?」
「話はシンプルなんだよ。良いかい甲洋、君は天空橋葉月を好いている。好いた女がいるから、告白されるとは露とも思わず他の女は眼中になかった。終わり」
簡潔にまとめて言い切った榛名に対し、俺はいやいやいやと頭を振った。
「待て待て待て榛名、俺は葉月のことは」
「認めるのは恥ずかしいだろうが、どう見ても君は天空橋にベタ惚れだ。むしろ隠し通せてるつもりなら正気を疑うぞ」
「嘘でしょ!?」
「え、嘘だろう? 本気で隠してるつもりだったのか……?」
なんだか逆に榛名が引いていた。
「……もうお前に隠す必要はないから言うが、確かに俺は葉月に惚れてるよ。でも、だからと言って他の子のことを考えながら告白を断るのは誠実と言えるか?」
「なんでそう難しく考えるのかがわからないな。他の女しか見えないから告白を断るというのは、下手に言い訳するよりもこの上なく誠実な話だと思うが」
「そうなの、か?」
好きなコがいるから告白を受け入れられないという話は、確かにしたが……。
「シンプルな話を難しく考えすぎるのが君の悪い癖だ。それでもまだ告白してきた彼女に対する誠実さが足りないというのなら、君も天空橋に告白するんだな」
「えっ」
「結果がどう転ぼうと、君の抱えてる想いを露にする。彼女にとってはフられた理由も明確になる。な、誠実じゃないか?」
両手を広げて語ってみせる榛名に対し、俺は納得できるような、そうでもないような、何とも言えない気持ちを抱く。
「今回のこれも、きっかけになったと思えばいいんじゃないのか。そんなに思い悩む必要はないよ、甲洋」
「そうかな……」
それはそうだろう、と榛名は静かに頷いた。
「だいたい、高校生の色恋なんて一過性の流行り病みたいなものだろう。この三年間に付き合ったカップルのうち何組がその後も交際を続けていると思うんだ?」
「告白勧めた相手にそれ言う?」
「フッ。元気が出たようで何よりだよ」
ニヒルに笑い、榛名が手を差し出してくる。
俺はその手を取って立ち上がった。
「……お前と話してだいぶ気が楽になったよ。ありがとう、榛名」
「フッ。いいさ、別に。それよりいつ告白するんだ?」
「おいおい待て待てグイグイ来るな」
告白の嵐のど真ん中に位置するせいで色恋沙汰には全く興味ないはずの榛名が、妙にイキイキした様子で尋ねてくる。香椎とともに俺をからかい始める時のそれと全く違わないいつもの姿を前にして、俺はようやく普段通りに笑えたような気がした。
「そう、遠くないうち……夏休み前までには、きっと想いを伝えるよ」
「もう今晩伝えてしまえよ」
「無理に決まってんだろ!?」
心の準備が出来てないんだよ!
ただ、夏休み前までには確実に、俺は葉月にこの想いを伝えることを決めた――。
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