32:従妹の芸名くらい覚えてなさいよ!
「ツッキー、今日はあたしが葉月を独占するから。かわいそう……いやかわいそうじゃないけどあんたはひとりで帰りな」
いつもの如く世界史準備室で葉月と香椎の二人とともに時間を潰していたところ――榛名はいつもの通りに告白のため呼び出されている――最終下校時刻間際になって、葉月に抱き着いた香椎が挑発するかのように言ってきた。まあ別に構わないけど。
「葉月、晩飯はどうする? 今日は俺の当番だけど」
「うーん、甲洋くんには悪いけど、今日は伊吹と一緒に食べて帰るね?」
「わかった。あ、ごめんちょっと待って。牛乳とみりんってもう切れそうだったっけ?」
「そういえばそうだったかも。買って帰ろうか?」
「いいよ、俺が買って帰るから。それより、週末何か食べたいものあったら買ってきてくれる?」
「うん、わかった。わたしの好きなものでいいの?」
「もちろん」
お互い炊事場に立つ身なので、調味料や冷蔵庫の中身の補充は大事な事項だ。買い足しの計画について葉月とやり取りを重ねていると、残る香椎から非常に白けた視線を寄越されているのに気が付いた。なんでだ。
「……なんだよ、香椎。そんなにおかしいこと言ってないだろ俺たち」
「おかしくはないけど。あんたらさあ、熟年夫婦のそれだよ? やり取りが」
「は、はぁ!?」
急に何を言い出すかと思えば、何を言ってるんですかねこのギャルは。夫婦……とかそういうのじゃなくて、共同生活を送る義理の兄妹として当然のコミュニケーションを取っている以外ないだろうが。
葉月も何か反論してやってくれという意思を込めて彼女に視線を向けると、逸らされてしまった。香椎、お前マジで恨むぞ。
「いやあ悪いねえ、葉月を奪っちゃってさあ」
「やかましい。最近お前、タチ悪くなってきてないか?」
「いやいや、あたしなんて最初っからこんな感じですわよお」
くすくすと口元を隠して笑う香椎からは、とにかく俺たち二人をからかいたいという欲望が透けて見える。これ以上コイツの前に立っていると無限に揶揄されるだけの気がしたので、俺はカバンを手に取っていち早くこの場を後にすることにした。
まあ、最近は俺が葉月と一緒に帰ることも多かったし……ってまあそれは家が同じだから当然なのだが、たまには葉月の大親友を自認する香椎に花を持たせてやってもいいだろう。
「じゃ、俺は帰るけど。葉月を変なとこ連れてくなよ」
「連れてくわけないじゃーん」
「またお家でね、甲洋くん」
「うん。また家でな、葉月」
控えめに手を振ってくれる葉月に俺も小さく手を振り返し、俺は世界史準備室を後にした。背中にかかる「……負けた気分なんですけど?」という香椎の憮然とした声が心地よかった。
西日が窓から差し込む旧校舎の廊下を歩きながら、スマホを取り出す。今ごろ告白相手を一刀のもとに斬り伏せているであろう榛名を回収して帰路につこうと思ったからだが、そんな俺の考えに先んじるようにスマホには榛名からのメッセージが届いていた。
曰く、山名くんに告白現場を目撃されて、そのまま反省会という名のつるし上げに連行されたとのこと。なんでも今日告白してきた娘が山名くんの所属するサッカー部マネージャーだったから余計にだとか。「助けてくれ」という榛名の心の叫びが届いていたが、俺はサムズアップを返す猫のスタンプを返信しておいた。
最近は榛名も少しずつクラスメイトとの会話が増えてきているようだ。アイツの親友として嬉しく思う気持ちと、自分だけの友人ではないのだなという少し寂しい気持ちのふたつを覚えて、ちょっと不思議な気分。男が抱える思いにしては少々センチメンタルすぎる気もするので、絶対に口には出せないけれど。ましてや香椎の前でこんなこと言った日には一生弄り倒される。それは勘弁だ。
しかし、そうなると今日の帰路は本当に俺ひとりになってしまった。
俺の帰り道には榛名か葉月、おまけして香椎が同道することが常なので、今日みたいな日は珍しい。まあ、たまにはそういう日があってもいいけれども。
休日に葉月をカフェにでも誘うため、どこか下見でも行ってみようか――そんなことを考えていると、手の中のスマホが電話の着信を知らせて震えはじめた。
画面に表示された名前を見て、俺はその珍しさに目を瞠る。
「……もしもし?」
『あ、繋がった。久しぶりね、甲洋』
「弥生……? どうしたんだ、急に」
そう、急だ。おおよそ二年ぶりくらいに電話をかけてきた向こう側の相手は、名を
弥生は俺と同い年の娘であり、幼い頃はけっこう一緒に遊んだものだが、お互い中学生になってからはほとんど連絡を取ることもなくなっていた。そう簡単に連絡が取れる存在でもなくなったというのもあるけれど。
『お父さんに聞いたのよ。洋子おばさま、再婚されたんですって?』
「ああ、そこからか?」
『なんかムカつく物言いねえ、甲洋のクセに……』
「うるさいよ。母さんの再婚を確かめるためだけに電話してきたのか?」
同い年のわりに何かとお姉さんぶろうとする弥生とはしょっちゅう喧嘩したものだが、高校生にもなれば軽く流すことなどお茶の子さいさいである。ただ、口ぶりとかは最後に話したときとそう変わっていないので、なんだかちょっと懐かしい気分になった。
『いや、それだけじゃないわ。……ってか甲洋、アンタもうちょっと喜んだらどうなわけ?』
「は? なにを?」
『なにをって……この私が直接電話してあげているという幸福を嚙み締めるべきじゃないの? ってことよ!』
「うるさっ!」
急に弥生が耳元で叫びだすので、思わずスマホを取り落としそうになった。
なんなんだよコイツ急に……情緒不安定か? 仕事が忙しくて大変なのだろうか。もしそうなら少し同情するけど。
『今をときめくアイドル女優、天月やよいが直接コールしてあげるなんて、私のファンが聞いたら泣いて喜んで跪いて札束差し出すんだからね?』
「ああ、お前の芸名ってそんなんだったっけ」
『ハァ!? 甲洋、あんた、従妹の芸名くらい覚えてなさいよ!』
月守弥生。芸名、天月やよい。小学生高学年くらいから芸能活動を始めた我が従妹は、アイドル女優として売り出し中……って前に母さんが言ってたっけか。
俺はアイドルとか女優にはあまり詳しくないので、弥生がどの程度人気ある存在なのかも詳しくは知らない。それに何より、
「俺にとってお前はどこまで行っても月守弥生でしかないからなあ。小学四年生くらいまでおねしょしてあまつさえその罪を俺に着せようとした――」
『わー! わー! なに言ってんのよバカ甲洋! デリカシーってものがないの!? もしそんなことネットにバラマキでもしてみなさい、親戚だろうが何だろうが息の根止めるからね!』
「はいはい。しないよそんなこと……」
俺は弥生の弱みを数多く握っているが、それは相手も同じこと。これ以上追い詰めると逆に俺の弱点が詳らかにされそうなので俺は口を噤むことにした。
「……で? そんなアイドル女優様がなんだって俺に電話なんかかけてくるんだ?」
『ったく、甲洋のせいで話がそれたわ。用事はふたつ』
「はぁ。どうぞ?」
『一個目。私の1st写真集が発売されたから買いなさい』
「写真集なんて出したのか。おめでとう」
『あ、ありがと……じゃなくて。買いなさいよ? 大事な従妹の写真集なんだからね!』
写真集を出すほどまでに弥生の芸能活動は順調に進んでいるらしい。それは仲の良かった親戚として素直に喜ばしいことだと思う。
写真集を買うのも、まあ親戚の応援ってことで、別に否やはない。
だが、俺には一つ気がかりがあった。
「なあ弥生、その写真集、水着の写真とかあったりするか?」
『…………は? な、何アンタ、私の水着が見たかったの? え、それは……ちょっといくらなんでもキモいわよ? 死ぬ? いや死んで?』
「ちげえよ! 水着の写真があったら嫌だから聞いてるんだよ」
『は? なんで私の水着がいやだってのよ? この天月やよいの水着ショットなんてあった日には私のファンが泣いて喜んで跪いて札束差し出すんだからね!?』
めんどくさいなあこの従妹!
「正直言うと、従兄として写真集を買ってやりたい気持ちはあるけど、家に持ち帰りたい気持ちは……あんまりない」
『……なんでよ』
「なんでってそりゃあ……」
俺の脳裏に浮かぶのは、俺の大事な義理の妹、天空橋葉月である。
なんというか。葉月には、従妹とはいえ同い年の女の子の写真集を持っているところを見られたくない、という気持ちがある。
罪悪感というか……いや、もう素直に言うけど、好きなコの前で別の女の子の写真集とか見たくない。それに尽きる。
『理由次第によっては私、泣くから』
「えぇ……」
『これから収録だけど、私が泣いてたってわかったら、たぶんみんな理由聞いてくるから。そしたら私、昔から仲良かった従兄が写真集買ってくれないんですって、泣くから。いいんだ、甲洋は。それで』
「わかった、わかったよ……買うから」
『最初からそう言っていればいいのよ! ふふん! で、何で私の写真集、持ち帰りたくなかったわけ?』
結局そこに話戻るのかよ……。
とはいえ、弥生くらい物理的にも精神的にも距離が離れていて、かつこの胸に秘めた思いを吐露するのに後腐れがない存在もまた、いないのかもしれなかった。
だから俺は、少し、ほんの少しだけ、この胸の内を焦がす熱情を口にする。
「好きなコがいるんだよ。その子にお前の写真集を持ってるとこ、見られたくないだけだ」
『好きなコ!?!?!? 甲洋に!?!?!? ウッソ!!!』
「驚きすぎだろ……」
『え? 誰? ちょ、名前は? ねえねえ、早く教えなさいよ! 恋愛相談乗ったげるわよ!? オラ早く言いなさい!!』
もうわかりやすすぎるほどに弥生のテンションが上がっている。女子はみんな恋バナが好きって通説があるけど、事実だなあ。
「……これ以上は言わない。写真集は買ってやるから、それで勘弁してくれ」
『しゃーないわねえ。恥ずかしい告白をしてくれた代価に、それで許してあげるわ。好きなコにバレないようにしなさいよ~?』
「うるさいよ。だったら買わそうとしないでくれ」
『ふふ。でもなんやかんやで買ってくれるんでしょう。相変わらず優しいところは好きよ、甲洋』
弥生に言われても、別に心は何とも動かないけれども。
――甲洋くんの、そういう優しいところ、好きだよ。
思わず、そんなセリフを葉月に言われたら、というところを想像して。
俺は一人で勝手に顔に熱を集めるのだった。……バカみたいだ。恥ずかしい。
『……何黙ってんの?』
「……なんでもない」
『そ? じゃ、写真集買っておきなさいよ。それじゃね』
言うだけ言って、弥生は通話を終えた。
ひとりの帰り道、食材の買い出し以外に用事がひとつ増えたな。
「あれ、そういえば弥生のもう一個の用事って何だったんだ……?」
* * *
「あ、今度家に行くからって言い忘れてた! ……まあサプライズでもいいか」
「やよい? 急にどうしたの?」
「あ、ごめんマネちゃん、なんでもないよ。でも今度のオフ、出かけるからー」
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