30:香椎伊吹の尾行
あたし、香椎伊吹には親友と呼んで差し支えない友人がひとりいる。
彼女はあたしが今までに出会ったどんな子よりも可愛くて、綺麗で、優しくて、頭もよければ、スポーツも万能。天はこの子に何物を与えたの? って思っちゃうくらいにはおおよそ完璧なあたしの親友。
――ってこのくだり前もやったな。はい、そんなあたしの大親友、名は天空橋葉月。
我らが東明高校において学園のアイドルという二つ名をほしいままにし、東明に通う男子の視線を一度は確実に奪っていると噂の葉月と、心配性で似非草食――とあたしは見ている――な彼女の兄から『葉月に悪影響を与えないか不安な女第一位』というなかなかな評価を下された女ことあたし香椎伊吹は、絶賛放課後デート中であった。
そう、たいていの場合クラス委員の仕事で一緒に帰宅する葉月と、その義理の兄、月守甲洋……通称ツッキーであるが、今日はあたしが葉月を搔っ攫ったのだ。ちなみに、「葉月を変なとこ連れてくなよ」がヤツの最後のセリフだ。愛されてるねえ、葉月さんてば……。
「まあでもさあ、最近さすがにツッキーは葉月を独占しすぎていると思うわけよ。葉月独占禁止法違反ですよこれは」
「なあに、それ。おっかしい」
「へへへ、たまには女の友情を深めよう、ってことだよ葉月」
学校を出て駅の方へ足を向けながら、あたしは葉月の肩に手を回した。
こぶし一つ分ほどあたしの方が葉月より背が高いので、少し横を向くだけで亜麻色の髪の毛が視界に飛び込んでくる。あたしの染めた髪とは違って天然モノの葉月の髪は一本一本が細く艶やかであり、己の少し痛みつつある髪との差をまざまざと見せつけられるような気分。なーんて、そんなおセンチはこの香椎伊吹ちゃんには似合わないか。
ちょっと近づくだけでふわりと柑橘系の香りが漂ってくるのは、ボディソープか香水か、はたまた天空橋葉月という類まれなる美少女が醸し出すアトモスフィアか。いずれにせよ、あたしはこの心地よい香りを思い切り吸い込んで満喫することにした。葉月の頭頂部に顔を近づけ、すぅーと深呼吸。くぅーこれこれ。
「ちょ、ちょっと伊吹、何してるのっ?」
「葉月を全身で味わってる」
「は、恥ずかしいってば……もうっ」
「いいじゃんいいじゃん、たまにはさぁ。どうせツッキーにもやられてんだろ~?」
とは言うものの、あたしにはあの月守甲洋がそんな直接的なことはおろか葉月が使用済みのタオルを洗濯前にひと嗅ぎする――みたいな真似すらしていることはないのだろうな、という確信めいたものがあった。
あの男、どう見ても葉月に惚れているのだが、同時に葉月を神聖かつ不可侵なものとして崇拝している気すらあるのだ。葉月に邪な思いを抱くのは許されざること、みたいな強迫観念に囚われているのではないかとすら思わせる。葉月からの直接的・間接的な好意を一身に受けているくせに、勘違いする様子を微塵も感じないのだ。
鋼の理性というべきか、はたまたクソボケ鈍感というべきか。表現に迷うところではあったが、葉月の親友としてのあたしは、ツッキーを一定以上に評価していた。
「こ、甲洋くんはそんなことしないもん」
「でしょうね」
「むしろわたしの方が……って、なんでもない! なんでもないからねっ?」
「おいマジかよ葉月……」
そして、ツッキーのお堅さとは対照的に、当の葉月本人はけっこうグイグイ行っているっぽかった。直截にいうと、色ぼけ気味だ。いや……色ぼけっていうか、もう結構どピンクなんじゃないの? って思うこともしばしば。
温泉旅行での前戯未遂の告白が記憶に新しい。あたし、何を聞かされてるの? って思ったからね、マジで。
もじもじと所在なさげに首元のネクタイをその細い指で弄る葉月を見ていると、まあなんかいろいろと溜まっているんだろうなあ、と思った。鈍感だけど自分に好意的な姿を見せて憚らない同級生の義理の兄――顔も結構整っている――と日々寝食をともにしていて、おかしくならない女子高校生がいようか。いやいない。
それがたとえパーフェクトな美少女天空橋葉月であろうと、なんやかんやで溜まってしまうものはあるのだ。哀れなり、天空橋葉月。
「惚れた相手が堅物クソボケ鈍感朴念仁だったばっかりに……」
「ほ、惚れ――っ!? そっ、そんなんじゃないよっ!」
「そんなん以外になにがあるんだよ」
そんなん以外になにがあるんだよ。
心中に浮かんだ言葉とあたしの口から出てきた言葉はまったくの同一フレーズだった。いやこれで惚れてないとか嘘でしょ。自分の客観視が圧倒的に足りてないぞ葉月。
だが、葉月は少し肩を落とし、その眦を伏せた。え、なんなんこの雰囲気。
「でも……甲洋くん、好きなコがいるって」
「葉月じゃん」
葉月以外にいるか? それ。
「違うの。前に甲洋くんが合コン行ったときあったでしょ? その晩に聞いたの」
「なにをさ?」
「隣に座った子に、付き合わない? って言われたって」
「ふーん。まあおかしくはないか」
そう、おかしくはない。ほぼ大抵の時間、柳生榛名という東明が誇る学園のアイドル(♂)の隣にいるせいで目立たないだけであり、ツッキーはいわゆる美形に分類される顔立ちをしているからだ。
あまりモテないのは、とにかく常に隣に柳生がいることが大きい。あの柳生と比べるといかなイケメンもさすがに劣っているように見えてしまうし、まあとにかく柳生がツッキーの横を離れないのだ。ツッキーがいないときの柳生のつまらなそうな顔、ひょっとすると恋する乙女より可愛いときあるからな。
「で? でもツッキー断ったんでしょ?」
「あ、うん、それはもちろん」
もちろんなのかよ。ツッキーに対する無条件の信頼というか、葉月自身の無条件の驕りが少し見え隠れしているような気がする。
「……お断りした理由がね、好きなコがいるからなんだって」
「葉月じゃん」
「すぐそばに好きなコがいるって……」
「葉月以外にだれがいるんだよ!」
葉月以外にだれがいるんだよ!
三分ぶり二回目に、あたしの口蓋と心中は同一文言を発した。
しかして葉月は深刻そうな面持ちでかぶりを振るだけである。いや、すぐそばにいるって言うてますやん。これで葉月じゃなかったら誰がツッキーの好きなコだよ。
「で、でも、甲洋くん、そんな素振りないし」
「いや、そうかなあ……」
わりと露骨に葉月のこと好きだと思うけどなあ……。
「わたしのお部屋、いつでも来てくれていいんだけど……一度も来てくれたことない……」
「まあ、女子の部屋でしょ? そうそう足運ぶもんじゃないって」
「もしわたしが甲洋くんのす、好きなコなら……そんなコの部屋、行きたくなるものじゃないの? 男の子だったら……」
「それは、そうか……?」
脳みそと下半身が直結しているであろう高校生男子であれば、懸想する女子の部屋に足を運べるというシチュエーションが目の前に転がっているなら、間違いなく行くか。行くかもな。いや絶対行くわ。
だというに、ツッキーは一度とて葉月の部屋に足を運んだことがないという。その時点でヤツの理性にあたしは驚嘆せざるを得ないのだが、葉月もなかなかぶっちゃけ始めてきているな。
「シスターカプリチオをソファで並んで見る時も、こぶしふたつ分くらいはスペースを取るんだよ?」
「アンタらアレを並んで見てるのか……」
義理の兄妹のドロドロ愛憎劇ドラマ、シスターカプリチオ。あたしが葉月に勧めたんだけど、まさか二人横並びで仲良く視聴しているとは思ってもいなかった。
「わたしがお風呂入ってても、絶対リビングか自分の部屋にいるし……」
「覗きはしないと」
「甲洋くんはそんなことしないもん」
「いやアンタ覗かれるのはまんざらでもないみたいな雰囲気出してたからね?」
「と、とにかく、わたしが甲洋くんの好きなコとは……ちょっと思えないよぉ」
そう言っていじいじとローファーで足元の小石を弄りはじめた葉月なのだが、あたしの胸中に去来するのは何とも虚しい感情だった。
形を変えた惚気じゃない? これ。
「仮に、仮にだよ葉月。あんたがツッキーの好きなコじゃないとしよう」
「え……」
「何をショック受けた顔をしてるのこの娘は」
アンタが今自分で言ったことだぞ。
「あ、ご、ごめん、続けて」
「葉月がツッキーの想い人じゃないとして」
「うん……」
「温泉旅行で布団並べてイチャイチャ前戯じみたことをするかねえ?」
そう言って、あたしは以前葉月から聞いた温泉旅行での一幕を蒸し返す。
布団並べて、腕と足を触りあった――だっけ? そんな真似、好き合ってなくてどうして出来るよという話である。彼氏なんざいてないあたしには刺激が強すぎるんだよなこの話。ぺっぺっ。
「そ、それは……そう、かもだけど」
「つまりよ葉月、あんたの本心はこうなのよ。『わたし天空橋葉月は、だいだいだーいすきな甲洋くんに、もう少し強引に迫ってほしい』ってね!」
「わ、わ、わ、ちょ、伊吹! せ、せ、せ、迫るって、わ、わたし、そういうつもりじゃなくて……っ」
「じゃあどういうつもりなんですかぁ~?」
「ち、ちがうんだってばぁ! もうっ」
首、顔、耳まで真っ赤に染めた葉月が目をぐるぐるさせながら、あたしをばしばしと叩いてくる。当然、痛くもかゆくもないかわいらしい力なわけだが、あたしは惚気に対する意趣返しがようやくできた思いで、少し胸がすくような気分だった。
いや、もうさあ、誰がどう見てもあんたらお互いに好きあってるのよ。両片思いってやつ? さすがにそこまで直截言うつもりはないけどさ、もうちょい自分たちの感情に自信持ってもいいんじゃないのかねえ。
「……って、葉月を独占するつもりが結局ツッキーに話題取られとる……」
あーの鈍感にぶちん朴念仁、よくもあたしと葉月のせっかくの放課後デートを台無しにしてくれちゃって……。
「行くよっ、葉月」
「う、うん、伊吹」
あたしは脳裏に浮かべたツッキーの顔に思い切り舌を出し、葉月の腕を取った。惚気でささくれ立ったこの心は、今をときめくJKふたりのカラオケででも癒してやるんだから。
* * *
割り勘で会計をすまし、駅前の店舗を後にする。
「カラオケ、久しぶりで楽しかったね」
「ウン、ソーダネ」
「どうしたの伊吹?」
「ナンデモナイヨ」
天空橋葉月は完璧な美少女であることは皆が知る通りだ。ということで、葉月は歌も上手い。そんな歌うま美少女が独演してくれるのだ、と二時間前のあたしは喜んでいたわけだけれど。
その可憐な歌声で聞かされるのが、誰かを想うラブソング三昧だったとしたら、それはどうだろう? 結構、きつくない?
そもそも、葉月の持ち歌にはラブソングが多めっていうのもあるんだけど、なまじ歌が上手いせいで情念が乗ってるのよ……! どこかの誰かを想って歌ってるんだなあ、っていうのが分かるし伝わるわけ! 純度百パーの初心初心ぴゅあぴゅあ恋心を両の耳から流し込まれて脳みそ揺さぶられる気持ちがわかるか!? ええ!?
てなわけで、心のささくれは余計にめくられた気分。もうはーとぶろーくんですわよこんなの。
て、まあ、あたしも歌ったけどさ。ちなみにあたしの持ち歌は失恋系が多めだから葉月の持ち歌との中和を目指そうと思ったんだけど、あっちの濃度が高すぎて無理でした。うわ葉月さんつよい。
「……ねえ、伊吹大丈夫? ちょっとふらついてない?」
「アハハ、だいじょーぶだいじょーぶ」
「ほ、ほんとに……?」
恋する乙女は強いわねえ……なんてしみじみ。あたしのことを心配してくれる葉月を見ていると、それはそれで役得だったり? なんて思いが鎌首をもたげてこないこともないけれど、やっぱりこのグロッキー状態を生み出したのはこの娘が原因なわけだから複雑なところだ。もちろんこんなことであたしから葉月に対する好感度が下がるわけなんてないんだけどサ。
さっとスマホに目をやると、時刻は十九時くらい。香椎家はそこそこ放任主義――というかあたしが半ば諦められてるから門限なんてない――だからいいけど、葉月はそろそろ家に帰る時間かな。華の女子高生にしては早い帰宅時間だけど、なんてったって葉月には大好きな心配性のお兄ちゃんがいますからねー。
名残惜しいが解散かな、なんて思いながら葉月を見ると、彼女の視線は一点を見つめて止まっていた。
少しだけ目を開き、だけど嬉しそうに唇をもにょもにょと動かし、頬は期待に紅く色めく――ああ、こりゃ、視線の先にだれがいるのか、なんて一発でわかるというもの。
あたしも葉月の見つめる先に視線をくれる。車道を挟んで対岸の歩道を、思った通り月守甲洋がひとりで歩いていた。
柳生はいないらしい。つまらん。……いやつまらんってなんなんだ。あたしはぶんぶんと頭を振って、葉月をからかう方向性にシフトした。
「さすが、ツッキーを見つける速度が神がかってますなあ」
「そ、そんなんじゃないよ、たまたま」
「たまたま放課後帰り道にツッキーを見つけるってのもある意味運命じゃない?」
「もう、伊吹ってば……」
まんざらでもなさそうな葉月を見ていると笑みが零れる。今すぐにでも向こう側のツッキーに話しかけに行きたい、って雰囲気を隠そうともしない葉月が本当に可愛らしいけれど、しかしあたしはせっかくなのでとある提案をしてみることにした。
「尾行をしよう」
「え?」
「話しかけに行くのも良いけど、せっかく油断してるツッキーがいるんだぜ? 普段家では見れないツッキーの姿、見たくないかい、葉月さんよ」
「そ、そんなの……」
あちらこちらへと視線を彷徨わせ、自分の中のいい子ちゃんと大いに葛藤し話し合っているであろう葉月。かわいい。
だけどあたしは焦らない。そう、彼女の口から言わせないとね、こういうのはね。
「そんなの、どうしたいんだい、葉月さん?」
「み、見たい、けど……」
「――お嬢さんのその言葉が聞きたかった!」
「えっ、えっ、伊吹?」
てなわけで、ひとりで油断しているツッキー尾行編、はーじまーるよー!
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