第2話 臆病エルフはパンケーキがお好き


 緊張が走った。



 何者かが洞窟の中に入ってくる気配を感じたのだ。


 それが人なのか?

 動物なのか? 

 はたまた魔獣の類いなのか?


 ただの石でしかない今の俺では、それを確認する術は無い。


 でもまあ、然程身構える必要もないか。


 近付いてきているのが何であれ、石である俺が危険に晒される可能性は相当低いからな。


 石を好んで喰う魔獣でもない限り、辺りに転がる数多の石ころと同様に特段気にも留められずスルーされるだけだろうから。


 そんな訳で俺は、近付いてくる者の正体がなんなのか、落ち着いて見届けることにした。


 カツーン、カツーン


 と地面を打ち鳴らす音が洞窟内に響き渡る。

 この歩調の取り方は二足歩行の動物だ。


 となると、人間……または人に近い生き物だということが分かる。

 そして、その足音の数から一個体だと判断できた。


 しかしながら、震えるような足取りには不安や緊張の色が窺え、足音だけ聞いていても頼りない感じがする。


 怪我でもしているのか? それとも疲労と共に迷い込んできたのか? そんな印象を受ける。


 そんなふうに色々と推測しているうちに、俺の至近で足音が止まった。

 見れば目の前に人のものと思しき足が見える。



 ぬっ……くっ……くそっ……顔が拝めねえ……。



 当然、視界は動かせないのでそういうことになる。

 だが、すぐそこにある足元からは、おおよそ人物像の見当が付く。


 可愛らしいフワフワの毛玉で装飾された丸っこい小さな革靴と、そこから伸びる細くて繊弱な脚。

 それだけで女性――それもだいぶ若い、少女であると予測できる。

 そして彼女は何を思ったのか、その場で立ち尽くしていた。



 ん? どうした? 何かあったのか?



 そんなふうに不審に思う時間は僅かだった。

 彼女は膝を曲げて屈み、俺に向かって手を伸ばしてきたのだ。



 ……っ!?



 抗うことなど出来るはずも無く、俺の体はあっさりと摘まみ上げられる。

 次に視界に入ってきたのは、こちらを観察するように見つめてくる大きな瞳だった。



 ぬおっ!?



 円らな瞳が不思議な物でも見るようにパチクリと瞬きを繰り返している。

 それが、あまりにも近い場所にあったもんだから、思わず動揺してしまった。


 だが、そうされることで、ようやく俺にも彼女の姿が見えるようになる。


 年の頃なら十四、五。

 長く鮮やかな金髪に色白の肌。整ったその顔立ちには、ややあどけなさが残る。


 服装は草色のチュニックにローブマントという至って軽装の部類だが、腰には小さな矢筒と小振りの弓が据えられていた。


 そして何よりも目に付いたのは、その細くて長い耳。

 それを持つ者の存在は考えるまでもない。



 エルフだ。



 どうやらこの世界にもエルフはいるらしい。

 しかし、こんな薄気味悪いだけの荒れた洞窟に何の用があるのだろう? 近くにエルフの住む森でもあるのだろうか?


 でもそれにしては、なんだか服が薄汚れているし、藪の中でも通ってきたのか、肩とか頭の上に枯れ葉が付着している。綺麗好きなエルフには考え難い様相だ。


 他にも気になる点はいくつかあったが、兎にも角にも彼女を見て俺が真っ先に思ったのは、〝可愛い〟ということだった。


 ……可愛い?


 っと……こんな子供相手に何考えてんだ……。

 でも、転生して人生やり直してる訳だから、俺も子供みたいなもんか?

 いやいや、違うだろ。人生どころか、今の俺はただの石じゃないか。


 そんな感じで自分自身に突っ込みを入れていると、俺のことを指先で摘まんで観察していた彼女が初めて口を開いた。



「わあ……紅くて……透き通ってて…………綺麗……」



 その声色は小鳥の囀りのような澄んだ声だった。

 それでいて、ややまったりとした口調からは優しく穏やかな印象を受ける。


 って、俺って紅いのか。それに透き通っているってことは柘榴石みたいな感じだろうか? となると、見て呉れはただの石ころって訳でもなさそうだ。


 彼女も綺麗だって言ってくれてるし、こんな姿でも褒められて悪い気はしない。

 それでもまあ、石は石だけどな……。


 と、そこで少女は、俺を見回しながら含み笑った。



「これって……宝石……ですよね? ってことは……ふふふ……いくらくらいになるでしょう」



 売る気かよっ!!

 しかも何の迷いも無く言いやがった!



「十万ゼニルくらいになったらいいですよね……。でも、これって結構、価値がありそうに見えるし、もしかしたら……百万ゼニルくらいになったりして。うふふふふ……」



 早速、値踏みか! しかも見た目の可憐さに相反してがめついな!



「もし百万ゼニルになったら、どうしましょう。モグルの実のパンケーキが二百枚くらい食べられるかも。ううん、そんなもんじゃないですよ? 三百枚は堅いはずです。えっ、三百枚!? 想像したらバターの香りで卒倒しそうです。でも、そんなに食べきれるでしょうか……」



 ……何の心配をしてるんだ……。つーか、お前の金銭感覚はパンケーキが基準か!



 彼女はその後も如何にして大量のパンケーキを消費するかを真剣に悩んでいた。

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