ここは魔法の国?

灰色 洋鳥

1 出会い

 魔法が物理空間における対称性に干渉する力だと物理的に説明され。その原理が応用され、社会の基盤となっている世界。発見から150年をへて、人類はエネルギー問題を解決し繁栄を謳歌していた。


 前世紀で問題になっていた人類の活動に伴う地球環境破壊は、その人類の存在さえ危うくしていた。いや、魔法の応用無くして絶滅は避けられなかっただろう。温暖化による環境変動の暴走は後戻りできないところまで後一歩だった。魔法の応用により人類はギリギリで生き延びることができたのだった。

 いまやマルチバース宇宙間での量子時空ポテンシャルエネルギーの差異を魔法により取り出すことでほぼ無限のエネルギーを利用できるようになっていた。

 人類はいまや宇宙にも版図を広げつつあった。



 これは、人類の歴史としてよく用いられる説明文である。そしてこの説明には決して触れられない事実があった。


 魔法は物理空間における対称性に干渉する力だというのは事実であり、仮想粒子・シンメトリオンを介して干渉をする。なぜかそうなのか理由はわかっていない。魔法の作用の一部を表す方程式は見つけたが、理解はできていなかった。

 仮想(本来の意味での)粒子・シンメトリオンは意味と結びついており、魔法を行使するためには意味を理解できる脳と、魔法を行使する意思が必要であった。そして、その通り、物理的機械では魔法を行使することができなかったのである。つまりどんなに優れたAIでも魔法を使うことはいまだできなかった。


 クローン技術を利用した半機械脳も作られたが、倫理的問題と、原因不明(機械部分との接合部が仮想シンメトリオン粒子の制御に干渉すると考えられた)で不安定化し必ず破綻する(生体脳が発狂する)ため実用化される事はなかった。

 これがどういうことか、人類の繁栄を支えるためには常に誰か、魔法使いがその需要を賄うだけの魔法を行使し続ける必要があるということであった。


 魔法使い(魔法を使う能力をもった人間)は、自然ではごく稀にしか誕生しない。生まれながらの魔法使いは少ないのだ。

 人類は魔法使いの需要をこなすため、素質のある人間の発見法と効率の良い魔法使いの養成方法を開発した。素質のある人間は美麗字句の元、ほぼ強制的に魔法使いの能力を開発されていた。


 その中で、特に大きな魔法力をもつ高ランク魔法使いは社会の様々な分野で厚遇され、社会的地位も尊敬もそれなりにもっていた。それ以外の、魔法使いのほとんどを占める低レベル魔法使いは、それなりのレベルの生活は保障されているものの、エネルギー生産プラントで魔法能力をすり減らしその一生を終える運命を強いられていた。




 彼が横たわるシートのディスプレイに赤色のメッセージが表示され、今日のノルマが終わったことを伝える。


「ゐ伍號、今日はここまでにしよう」

 彼は、思考を言葉にしてプロセスの終了を宣言した。

『了解、タカユキ。オツカレサマ』


 相棒のイルカからの返事は、思考で帰ってくる。仮想粒子・シンメトリオン感受性を介した精神感応魔法の一種である。思考なので印象なのだが、ゐ伍號は『了解』だけは流暢に返事する。それ以外の言葉はなんとなく片言に聞こえた。


 ややあって、表示が全て緑になりロックが解除された。

 もうすっかり身体に馴染んだジェネレータインターフェースシートのプロテクトシェルをずらし身体を起こした。このシェルは事故が起きた場合に、彼を守るためのものだが内部に各種情報を表示するようにもなっていた。


 この部署に配属されて半年になる。首の後ろのインターフェースを軽く指で触る。最初は違和感のあった生体インターフェースもいまは体の一部として意識することもなくなっていた。ただ、無意識のうちに触ることが習慣になっていた。


 彼はシートに腰掛けたまま、10mほど離れた場所にある水槽にまどろむ相棒に意識を凝らした。そこには全長3mほどのイルカが半覚醒状態で入れられている。イルカには色々な電線が取り付けられ収集された生体情報が側のモニタに表示されていた。


 相棒のイルカは、魔法適性と性質などから選ばれた個体の生殖細胞に遺伝子操作を行い生み出されたクローン個体だった。

 こいつは気のいいやつで、彼の勤務の開始や休憩中にどこで聞いてきたのか冗談で笑わせようとしてくる。落ち込むことのあった日にはさりげない話題をふってきたりと、そこらの人間よりずっと人間らしかった。彼はすっかりそのイルカ『ゐ伍號』を気に入っていた。


 彼らがいるブロックの向こうには10mの高張力コンクリートと厚さ1mの鋼鉄で仕切られた内径5mほどの空間がある。この空間が魔法炉の心臓部であり、その空間は先程までエネルギーの奔流に満たされていた。今では名残りの放射線がかすかに検知されるレベルになっていた。


 魔法炉の中心にはインフレーション宇宙の高エネルギーが流れ込む。この制御魔法=ハラダ・タワラ・メソッドにはかなりの魔法力を必要とし、不足する魔法力を補うため外部脳としてイルカを使用する技術が完成していた。

 この魔法炉の実用化で温暖化ガスの問題は解決でき、増え続けるエネルギー需要にも応えることができていた。しかし、人類が生み出すエネルギーそのものが地球環境に影響を与えるほどになっていた。


 ここは、国のエネルギー省管轄の外郭企業のエネルギー生産プラントの一つ。魔法炉と彼らを守るプロテクトユニットと同じものがここにはあと十基ある。

 全国には同様なプラントが100ヶ所あり、一つのユニットは三交代で使うため、ざっと三千人の魔法使いがエネルギー生産に従事していることになる。もちろん交代要員、サポート要員などもいるため、総数では約1万人を越える魔法使いがエネルギー生産に関係していた。これは、日常的に魔法を行使できる人間の半数近かった。



『タカユキ、ドウシタ。ハラヘッタカ?』

 いつまでも動かない矢野のことを気にしたのか、ゐ伍號が話しかけてくる。

「ははは。

 気にしてくれたのか、ありがとう。確かに腹が空いたな。

 それじゃ、ゐ伍號また明日な」

『バイバイ、マタアシタ』


 彼は伸びをしてシートから立ち上がった。シートのシェルに表示されていた彼の名前『矢野貴之』の表示が消え『未使用』と変わる。


 ロッカーで私服に着替え帰宅するために施設を後にした。

 矢野はいつもなら公共自動運転オートモービルで自宅までまっすぐ帰るのだが、今日は気晴らしがしたかった。親がうるさいのだ。今の時代にお見合いはないだろう。


 国の方針は資源としての魔法使いをいかに増やすかだった。魔法適性のある人間は早婚が奨励されていた。とはいえ、強制はできないので税制上優遇している。しかも親たちの税金も十年間安くなる。特に魔法適性があるもの同士の婚姻の場合には、より税金が安くなるのだ。もちろん両親たちも同様だ。


 というわけで、矢野は高校を卒業しエネルギープラントに就職したとたん、見合いの話やら、結婚の話題でいい加減嫌になっていたのだった。

 

 彼が空中を見つめ一言呟くと目の前に直径20cmほどの半透明のスクリーンが現れた。これは空間対称性への干渉を応用した仮想スクリーンで、光速度にランダムな異方性をつけ光を乱反射させてスクリーンにする。スクリーンに目を走らせて適当な店を探すとオートモービルに乗り込んだ。


 目的地に近づくと道が混んできてモービルが進まなくなった。仕方なしに降りて歩くことにする。こんなことは初めてだった。オートモービルは広域交通管制の制御の元にあり、道が混むことはまずない。


 すっかり暗くなった街並みを少し歩くと塊になって歩いていく人々の壁に突き当たった。皆何か叫んでいる。

「「政府は差別をやめろ!」」

「「魔法使いの奴らばかり優遇するな!」」

「「そうだそうだ!」」

「「ヤ・メ・ロ! ヤ・メ・ロ!」」


 耳をつんざく大音量が通り過ぎていく。

「チッ、しまった。人間主義の奴らのデモに出会しちまった」

『人間主義』、自分たちには使えない魔法の力を使う魔法使いたちを政府が厚遇していると非難している『魔法使い差別主義者』だ。確かに魔法使いたちの平均給与はそうでない人々よりも五割ほど多い。それは、彼らの力を社会が必要としており、他では代替できないその力に与えられている報酬なのである。


 適性だけではない、大多数は魔法使いになるために、苦行と言っていいほどの種々の訓練を行う。

 そして、彼らはその命を削って社会に奉仕している、社会の一員なのだ。特にパワープラントに勤める魔法使いの平均寿命は一般の人々より10歳以上短い。魔法力の酷使がその命を削っていたが、政府はその事実をあえて喧伝していなかったのだ。


「俺たちがエネルギーを作らなきゃ明日から困るのはあいつらなのに、好い気なもんだ」


 矢野は苦々しい思いから思わず独り言を呟いてしまった。

 呟きが思ったよりを大きかったのか、デモの本体から離れて歩いていたメンバーが目を剥いて睨みつけてきた。近寄ってきて矢野の襟首をつかもうと手を伸ばしてくる。矢野は軽く身をかわした。そいつの隣にいたやつも掴みかかってくる。躱すものの上着の裾を掴まれた。上着が脱げかかる。


「おい、こいつ魔法使いだぞ」

 襟が大きくめくれ首の後ろの生体インターフェースを見られた。魔法使いのインターフェースは特徴的な形をしている。神経に直接接続できないため一般的なものと方式が違う。そのため形状が違うのだ。


「やめろ。

 手を離せ」

「やっちまえ」

 振りほどこうとするが逃げ切れなかった。その場の5・6人が取り囲むように殴りかかってきた。最初の3人はなんとか躱せたが、そこまでだった。引き倒され、さんざん蹴飛ばされ意識を失ってしまった。



「うー、いたい」

 矢野は全身の痛みの中で気がついた。

「大丈夫?

 診させてもらったわ。

 うごかないで。肋骨にヒビが入っている。

 内臓は傷ついていないから安心して」


 彼を覗き込む顔があった。年の頃18位の女の子だった。

 彼は痛みをこらえこうべめぐらす。あたりは静かになっていた。やたら散らばるゴミが目につく。『ああ、さっきのデモの名残りか』朦朧もうろうとした頭はやっと何があったかを思い出した。視線を戻すと女の子は彼にかざしてた手を下ろすところだった。


「うっ、うう。

 君は? 魔法使いなのか?」

「動かないで!

 救急車を呼んであるから、もう来ると思う」

 彼女は問いには答えない。


「ありがとう」

 痛みでうまく動かない顎で無理やり礼を述べた。

「いいのよ。

 それより、一発で傷が治る魔法なんてないんだから、無理しちゃだめです」


 矢野は彼女の顔をよく見ようと目の前に意識を向けた。矢野の様子を読み取るために真正面から見つめている顔は整っており、美少女といってもよかった。

 顔つきには少女から大人へ成長していこうとする年代特有の色気がある。しかし、整った顔はよく見ると微妙に非対称なところがある。『ああ、この子は自然な美少女なんだ』と考えようによっては失礼な思考が浮かび上がる。

 今時は胎内にいるときに魔法によるRNA干渉で左右対称になるように調整している子が多い。もちろん親が金持ちの子に限るが、この子はそうじゃないらしい。


「救急車がきたわ。

 じゃあ、わたしはいくね」


 野次馬を押しのけるかのようなけたたましいサイレンを止めて、救急車から白い制服が数人降りてくる。急ぎ足で近寄ってきた。


「きみは、名前は?

 教えてくれ」

 うわごとのように名前を尋ねたが、彼女は無言のまま立ち去ったのだった。

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