八・異変

 結論から言えば、憑依は失敗した。

 憑依に失敗したと、彼女が言ったのだから、俺は納得するしかなかった。俺の前で目を閉じ、小声で何かを言い、彼女の周りを変な光が照らす。その時点で、顔に汗の玉の光るのが見えて、あれだけ麦茶を飲み干し続けた理由を理解した。だけどその後急に光がなくなって、元通りの蒸し暑い部屋になった。彼女も大量の汗を流しながら疲労を隠せずにいた。「失敗」と一言。再度麦茶を要求し、水分補給を一先ず済ませて「ごめん……ダメだった」と、息せききって話すのだった。

 仮に。

 俺が幻覚を見たのでもなければ、彼女が次元を変えて殺人現場に行ったことは事実だ。だから、単に彼女の調子が悪いのだろうと思うことにした。実際、そう言っていたし。きっと、次元を移動した時点で大幅に体力を消耗していたのだ。それ故、口寄せをするのに必要な、最低限の体力すらも残されていなかった、と。

 だから口寄せに失敗した。

 そう思うことにした。

 口寄せができなかったことについて、全く落ち込んでいる様子がなかったところを見ると、元々それほど成功率も高くないらしい。失敗するのはいつものこと。寧ろ、成功すればありがたいし運がいい。

「また明日来るね」と言い残して、彼女は帰っていった。その帰り際に明日の予定を訊くと、それは明日になってから考えよう、と隠せないほどの疲労感に乗せて答えを返してきた。

 そして夕方になって、俺は日課のランニングに出かけた。徒労に終わったに等しい聞き込みで、若干疲れてはいた。けど、ランナーズハイとでも言えばいいのか、走るとそういう疲れも一時的に消えた。

 いつも通る道すがら、公園を確認した。忍逆さんはいなかった。行きも帰りも。多分、あのまま家に帰ったんだろう。少しの間公園にいようかとも思ったけど、それもやめた。ひょっとすると、忍逆さんが来たりはしないだろうかと考えたからだが、彼女は口寄せをできないくらいに体力を消耗していたのだから、わざわざここまで来るとは思えない。

 家に帰ったと同時に、一時的に何処かに消えていた疲れも帰ってきた。ランニング自体は、もうそこまで苦しくもないのだが、今日は別だ。

 両親からの手紙も来ていた。

『元気ですか?』『ようですが、』『返事を待つ』『そろそろ意』『一緒に住み』

『事件が起きた』『無事ですか?』『とともに、』『思を固めて』『ませんか?』

 今度は交互に読め、と。

 五字で揃えたくて「事件」と省略しているのか、これ。このマンションで殺人事件が起きたと知って手紙を送ったのだろうな。それも仲良く、同じタイミングで。

 どうやらニュースにこのマンションは映ったらしい。かなり特徴的な造形だし、一度両親もここには来ているわけで、映ればすぐにわかる。仲が良いのにどうして別居なんかしてるのかは知らないが、自分の安否を確認するなら電話でもいいはずだ。呆れて小さく首を振ってしまった。

 いつもどおり、両親に返信を一斉送信する。文面はこうだ。

『無事なので安心してください。それと、ここを離れる気は今のところありません』

 一切。ない。高校は同じがいい。大学受験に合わせて、どこか他の地へ移り住んでもいいとは思っている。だが、少なくとも移住先は母親のところでも父親のところでもない。俺が大学受験に差しかかる辺りまでに、両親の別居状態が解消されるならば、両親のところに移住してもいい。だが今のところそんな保証はない。

 それに、できることなら、今住んでいるこの場所から通える大学がいい、というのも、願望の一つとしてはあるわけで。

 届いたそれぞれの封筒には、その手紙以外には何も入っていなかった。緊急で出した手紙ということ……なのだろうか? だったら、やっぱり電話のほうがいいのではないか?

 それにしても、両親の息が合いすぎている。封筒には確かに父親母親のそれぞれが住んでいる所の消印がある。謎だ。殺人事件が解決したら、こっちの謎に取りかかってもいい。


 夕食も風呂も済ませてからパソコンで動画サイトを見ていた。和賀祓さんが配信しているという動画もいくつか見た。オカルト以外にも、和賀祓さんは陰謀論等についても熱く語っていて、やっぱりその様子は、俺達が聞き込みに伺ったときとはまるで違っていた。やせ細った見かけに相応しい(と言ってしまえば失礼ではあるが)口調で俺達の質問に答えていたものの、あの時見せてもらった動画での和賀祓さんは打って変わって明るかった。今見ている動画でもそれは変わらない。「明るい」を通り越して「うるさい」というくらい。

 和賀祓さんは今の時間も、ライブ配信をやっていた。このマンションの八階の一室。俺達が今日訪れたあの暗い部屋……さすがに今は電気を点けて明るい部屋になってはいるが、動画で見るうるさいくらいに明るい口調の和賀祓さんがいた。

 動画のページにはコメントを書き込む欄があって、書き込んだコメントも表示される仕組みになっている。誰かが書き込んだコメントも一緒に表示されていて、和賀祓さんもそのコメントを見て色々と話を膨らませている。閲覧者の数も表示されているらしく、七百人ちょっとの人がこのライブ配信を見ているらしい。

 今は例の殺人事件の話題だった。

 で、その殺人事件が、自分の住んでいるマンションで起こったものだとも豪語した。

「まさかさあ、俺の住んでるマンションで人が死ぬとか思わないでしょ! しかも殺人とかほんとあり得ないって!」

 何か言う度に「!」が付くような喋り方なので、俺は和賀祓さんの喉の調子が心配になる。動画の音量を思わず下げたくらいだ。だが、これくらいの声量で話をしても、他の住人から苦情が来ることはない。なんと言っても住人そのものがこのマンションには全くいないのだから。

 ところで、こんなにも自分の住所を言ってしまって大丈夫なのだろうか、とも思う。ニュースでは細かい住所までは報道しなかったものの、奇怪な造形をしたマンションの全体が映された時点で、ほぼ住所も判明したようなものだろう。

 ちなみにネットではこのマンションの造形が凄く奇妙だと話題になっていた。マンションを設計した資産家について触れている記事もあった。

 そう、資産家だ。俺はその人が何という名前なのかを知らないし、ネットでもそれは不明のままだった。自分の設計した、建てさせたマンションで殺人事件が起きたのだから、何かコメントの一つくらいは見たかったあるいは聞きたかった、というのが、正直なところだが、突然周囲が真っ暗になった。

 いや、物理的に周囲が真っ暗になった。電気が消えた。

 パソコンの画面だけが光を放つ状態になってしまい、目が暗さに慣れないままでいる。カーテンは閉めていなかったので、心許ない外の光が部屋に漏れているのが見える。

 停電か?

 こんなマンションにもそういうことが起こるのか。

 ブレーカーが落ちるほどの電力を使用した覚えはない。今までなかった事態であるだけに、変な動機もしてくる。

 和賀祓さんはライブ配信をしていなかった。動画の欄だけが止まって、コメントの欄は、まだ書き込みが続いていた。大体が和賀祓さんを心配する内容のコメントだったが、中には、それこそ和賀祓さんと同じように、「何かの陰謀だ」というような内容のコメントもあった。

 このパソコン自体、今はコンセントに接続していない状態なので、停電が起きても影響がなかったわけだが、たぶん冷蔵庫はストップしているだろう。テレビも恐らくつかない。携帯はコンセントで充電していたものの、バッテリー切れにはほど遠いくらいには充電されている。

 安心したところで、電気がついた。停電は直ったらしい。突然の眩しさに耐えられず目を閉じる。しばらくして目を開けると、いつもの部屋だった。

 冷蔵庫もちゃんと動いていた。 パソコンはまた和賀祓さんの声を発した。配信を再開したらしい。「いやあどうもごめんなさい! なんかね、停電が起きちゃったみたいで!」和賀祓さんも、突然の停電によって、パソコンの電源自体が切れたようだった。だから配信を唐突に終了してしまったと。

 インターホンが鳴った。天気さんだろうか。まあ、同じ階だし、あの停電の後で最初に訪ねるとしたら俺だろうな。

 一旦動画の音量をゼロにして、玄関へ行く。

 ドアを開けると、そこにいたのは天気さんではなく炉幡さんだった。

 「停電、起きた?」俺が炉幡さんに何らかの反応を示すよりも先に訊いてくる。

「ああ、こっちでも起きたよ、和賀祓さんのところでも起きたみたい。配信してる途中で起きたから、配信も途中で止まっちゃってた」

「配信? 和賀祓さんって、八階の人だよね? 動画を配信してる人なの?」

 炉幡さんは和賀祓さんのことをよく知らなかったみたいだ。というか、和賀祓さんが動画配信をやってて、挙句には今話題の殺人事件は自分の住んでるマンションが現場だとか暴露したのだが、俺以外の住人は果たしてそのことを知っているのか?

「そうだよ、オカルトとか、陰謀とか、そういうのが主な内容かな」

「陰謀論者なんだね」クスッと笑う。「さっきの停電も、何かの陰謀だ、って言ってた?」

「それは「まだ」言ってなかったかな」どこかの閲覧者がコメント欄に書き込んでいたし、多分もうすぐ言うだろう。俺が音量をゼロにしている間に言ってしまうかも。

「……停電、大丈夫だったかな、って思って来てみたんだ。ちょうど読書してる時だったから、急に灯りが消えて焦ったよ」そういえば、読書家なんだっけな。「それで……どう? 犯人探し。捗ってる?」

「正直、手詰まりだよ」実際、警察のような権力を俺達は持ち合わせていない。だからせいぜいできることと言ったら聞き込み調査ぐらいだし、それだってお世辞にも収穫があったとは言い難い。次元を変えて彫元さんの部屋に行っても、血痕を発見するに留まったし、あの血痕を彫元さんのものだと検査することもできない。血の痕を見つけたぐらいでは、やはり事件は解決できないのだろう。少なくとも、俺達には。

「もうできることは、もうそんなに残ってない」残された手段といったら……忍逆さんの口寄せだろうか。今日は失敗したけど。

「そっか」肯定するでも否定するでもなく。

「夏休み、何するか考えてる? 犯人探しと夏休みの課題以外でさ」

「それ以外では考えてないな」終業式の日に事件が起こり、二日後である今日、犯人探しをしたものだから、夏休みの予定を立てるような余裕もなかったというのが実際のところ。

「あの女の子と、デートしたりするの?」

 まさか。俺は笑う。「そういう間柄じゃないよ。言ってしまえば、ホームズとワトソンのような関係」探偵と助手。俺はそれ以上の関係に踏み込むつもりは今のところない。

「でも、もしかしたらだよ、そうやってお互いに推理を披露していく内に……ってこともあり得るんじゃないかな」嬉しそうだ。楽しそうと言った方がいいか? あるいは面白そうに。「私のところに聞き込みに来た時も、お互いに結構距離近かったよね」

 そうだったか?

 ……言われてみれば確かにそうだったかもしれない。彼女を保冷剤か何かと勘違いしていた節はある。

 そばにいれば、コートを着込んでいるにも拘らず、彼女の放つ冷気が若干伝わってきていた。きっと無意識に涼を取ろうと、俺の方から近づいていたのだろう。

「でも、この時期にコート着てるって、珍しいよね。最初にあの子を見た時、ちょっとびっくりしたんだよね。あの厚着で平然と話してきたし、汗一つかいてなかった。ちょっと、不思議な存在だったなあ」

 そういえば、忍逆さんがこの夏場にダッフルコートなんてものを着込んでいる理由を、炉幡さんはまだ知らないんだっけ。

「俺も最初びっくりしたよ。ランニングの途中に通る公園で見かけたのがきっかけでね」

「結構、運命的な出会いだったんだね」そうだろうか?「だって、普通なら「変な人がいる」で終わりそうだし、近寄ることもしないと思うよ」

 なのに俺に限っては違った……まあ確かに。言われてみればそうかもしれない。

「でも実際、「変な奴がいる」とは思ったんだよ。その上で、俺は興味を惹かれたのかもね」

「なるほどなるほど」得心したように何度も頷く。俺は彼女の何に惹かれたのだろう?「で、その彼女がコートを着込んでる理由って、まだ聞かされてなかったりするの?」

「いや、聞いてるよ。だって、俺が訊いたんだよ、「どうしてコートなんか羽織ってるんだ」って。そしたら彼女は「冷え性なの」って答えた」

「なにそれ」炉幡さんは吹き出して笑う。「そんな変な理由なの?」

「変と言えば、確かに変だよな」釣られて俺も少し笑う。「でも、相当真剣な悩みらしいよ。冬場はどうしてるんだろうって思った」

「そっかそっか。それで、それも質問したの?」

「まだしてない」と、単純に質問に答えた。

 ……けど、確かに、彼女があれほどの冷え性である理由は果たして何なのだろう?

 理由というより、原因とでも言った方がいいのかもしれない。

 彼女が「元」巫女であることについても、何か関係しているのだろうか?

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