第83話『チビ魔王 爆誕?!』
エリシアは
時折、海水を伝い 残響が鼓膜を揺らす。
感じるのは肢体に纏わりつく水の感触。逃れようにも、もはや彼女に その気力さえ喪失していた。
父と母は帝国の手によって、実験動物と同等の扱いを受け、翼の生えた重装騎士へと変わり果てた。おそらく……もう二度と、あの二人から無償の愛を受けることはできないだろう。
民族の誇りや文化、土着の信仰を棄て、“ 翼人の集い ” に身を捧げた。
しかも事もあろうに、親の仇を信頼し、彼らのために尽くし――貢献してきた。多くの時間を費やして……
自分が美味しい帝国料理を口にしている裏で、父と母は、その幸せとは無縁の生活を送っていたに違いない。
なにも見えていなかった。
村が襲われて以降の人生は、ただただ無駄で、罪深きものだったのだ。
エリシアはあまりの情けなさから、消えてなくなりたいと願い、“ 生 ” を手放そうとする。
だが人は、そう簡単に死を受け入れられるほど、従順ではない。死という眼前に聳える鋭利な淀みに触れた時、生の輝きに手を伸ばそうとするものだ。
例え――心が死に、生きる気力が枯渇し、死を懇願するようになったとしても、それでも人は、死を前にすれば生きることを渇望する。
エリシア。彼女もまた、その一人だった。
息ができない。
肺が酸素を望み、呼吸への欲求が、生きるようとする意思を蘇らせる。気鬱の病のように呆けていた意識は、鮮明となり、研ぎ澄まされた。苦しさが 死の忌諱へと変わり、なんとしても海面へ上がろうとする。
火事場の馬鹿力は、なにも筋力のリミッターが外れることだけではない。
脳の情報処理能力は飛躍的に増大し、生存のための最適解を叩き出す――それもまた、火事場の馬鹿力の一つだ。
エリシアは海面を目指そうとするが空間失調に陥り、どこが上で下なのか、今自分がどこを向いているのかさえ分からなかった。混乱に陥ろうとしている思考を宥め、冷静な判断力を維持する。まず見つけるべきなのは、――光だ。
エリシアは海面の証である、光を探す。そこまで深く沈んではいない。外は夜だが、甲板から海に落ちる際、雲一つない満点の星空を目にしていた。
だからエリシアは、その光を見つけようと上下左右に顔を動かし、視線を張り巡らす。そして彼女はあるモノを見つけ出す
月光――そして、その灯りに照らされたゼノ・オルディオスの姿を。
力なく、ゆらゆらと海を漂う女性。重力を感じさせないその姿は、幻想的で、月から舞い降りた女神のようだった。
死と生の狭間で見たそれは、エリシアが抱いた束の間の幻想。息苦しさによって現実へと引き戻される――彼女は死にもの狂いで海面に向かって浮上する。減圧症の危険性はあったが、そんなことを考えている余裕はなかった。
エリシアは浮上しながらも、ゼノ・オルディオスを肩に抱きかかえ、全力で海面を目指す。幸いにも、海面はもうすぐそこ――手を伸ばせば届く距離だった。
エリシアは海から顔を出し、「かはぁ!!」と口を全開にし、酸素を思いっきり吸い込む。
一回では到底 足りない。何度も何度も吸い込み、肺が満足するまで酸素を送り込む。
酸素への飢えを満たし、エリシアは生きている喜びを実感する。そして彼女の脳内では、船上で起こった一連の出来事と、父と母、そして家族で過ごした故郷の思い出が、刹那――閃光の如く高速で駆け抜けて行った。
離れ離れになった父と母。勇者と共に旅をしていれば出逢えると思っていたが、まさか、このような邂逅となってしまうとは……――。
いいや、思い出に浸っている場合ではない。
エリシアはゼノ・オルディオスの脇に腕を回し、彼女の顔が海面に出るようにしながら、泳ぎ始める。エリシアがゼノ・オルディオスに触れた時、妙な違和感があったが、そんなことを気にしている余裕は、今の彼女にはなかった。とにかく泳ぎ続けなければ、体が沈み、海の底へと誘われてしまうのだ。
海岸まで距離があった。だが幸いにも、潮の流れが彼女たちに味方した。まるでオルガン島が二人を招き入れるように、いつの間にか海岸へと流れ着く。
エリシアがゼノ・オルディオスを引きずって浜へ上がろうとした時、先の違和感の正体が明らかになった。
妖麗かつ豊満な肢体を誇示していたゼノ・オルディオス――そんな彼女の体が、ちんまりとコンパクトに収まり、幼くなっていたのだ。
自分よりも若返った幼女に、エリシアは我が目を疑った。
「え? こ、これはいったい……どういうことなの?!」
とにもかくにもエリシアは、彼女の傷口を確認する。ランスによって体を貫かれ、
ゼノ・オルディオスの傷口は縮小していたが、まだ完全には塞がっていなかった。肉の合間から垣間見れる色を喪失したコア――ガラス片のような欠片が、体外へ排出されていく。それと比例し、傷口もみるみる塞がっていった。
エリシアは目撃する――自己修復によって傷口が塞がる瞬間、ゼノ・オルディオスの体内にエメラルドグリーンに輝く、ちいさな ちいさな
傷口が修復した瞬間、閉じていたゼノ・オルディオスの目蓋がパッと上がり、「お姉ちゃん?!」と言いながら上半身を勢いよく起こす。そしてキョロキョロと辺りを見渡すと、不思議そうな瞳でエリシアに訪ねた。
「ここは、どこ? あなたは……だれ?」
「私の名前はエリシア。えーと、あ、あの……」
目の前の幼女は、なぜ自分はブカブカの服を着ているのか不思議そうにしながらも、言葉を詰まらせるエリシアを気遣った。
「………? おねぇちゃん、どうかしたの?」
「ごめんなさい、今の状況が呑み込めてなくて。えっと、まずは、あなたのお名前を教えてもらえないかしら?」
「リゼのお名前はね! リゼ・ルーテシア・オルディーヌっていうの! 魔王を やっつけるために、大好きな おねえちゃん と――じゃなかった 勇者さまの従者をしているのぉ!」
舌っ足らずで、あどけなさを隠しきれない言葉遣い。
エリシアは直感的に理解した。
目の前に座っている
「そう……リゼって言うのね。とても……良いお名前ね」
エリシアは、自身が抱いている底知れぬ不安や絶望、やりきれない気持ち――それら負の感情を悟られないよう、無理やり笑顔を作ってはぐらかす。
しかし幼女ゆえの酔眼なのだろうか、そのわずかな変化を見逃さず、リゼは恐る恐る訪ねた。
「どうしたの? どうしてそんな かなしい顔をしているの? えっとね、えっとね……リゼ、もしかして なにか悪いことしたかな?」
「え?! あ……いいえ! 違うの! 大丈夫よ、大丈夫だから。 ちょっと待って、ここじゃ風邪ひいちゃうわね。ここの潮風は寒いから、暖かい場所まで移動しましょう。立てる?」
「うん! リゼね、えらいんだよ! ひとりでも、いろんなことできるの!」
「そう、えらいわね」
とは言いつつも、エリシアは心の中では途方に暮れていた。『これからいったいどうしたらいいの?』と。
事態が混迷を極める時に限って、さらなる厄介な問題が舞い込むものだ。
ゼノ・オルディオスの臭いを嗅ぎつけ、一人の狩人が海岸に姿を現す。
その姿を見たエリシアは、安堵と共に、事態がより複雑なものになることに気付きつつ、その男の名を口にした。
「コボルトの……志村さん?!!」
ゼノ・オルディオスにとって因縁の敵であり、エリシアにとっては恩人である存在。マタギであるコボルトの志村だった。彼は浜辺の砂を踏みしめ、エリシア達に向かって、ゆっくりと歩いている。
エリシア脳裏におびただしい選択肢が現れる。
この現状を正直に話すか?
それとも、ゼノ・オルディオスこと リゼを守るために、嘘を切り通すか?
もしも虚偽が露呈すれば、共に戦った恩人を裏切る事になる。しかもフェイタウンサイドに不信感を植え付け、枢機卿の悪事やこの街に降りかかるであろう悪夢も信じてもらえなくなる。
だが……コボルトの志村が、幼児化したゼノ・オルディオスを見逃すか? 否、その可能性は限りなく低い。エリシアは幼児化した命の恩人、リゼを守りたかった。だからなんとしても、その危険は避けたかった。
明らかに志村は、偽魔王の臭いを追って、この海岸に姿を現した。彼の嗅覚による追跡は並々ならぬものであり、偽魔王に対する彼の殺意は本物だ。それは地下訓練場の騒乱時に、側で見ていたからひしひしと分かる。
考えれば考えるほど、エリシアはどうしていいのか分からなくなっていく。
だがそうこうしているうちに、コボルトの志村がエリシアたちの数メートル手前で止まり、無言でリゼを凝視した。
首を傾げるリゼとは対象的に、エリシアとコボルトの志村の間に、皮膚を刺すようなピリついた緊張感が流れる。
さざなみの音の中、二人は沈黙する。
その沈黙を破り、先に行動に出たのは、コボルトの志村だった。
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