まおうのくに ~THE LOST DIMENSION~

十壽 魅

第1話『世界の終焉』



 その世界は、蒼かった。




 鳥はさえずり、草木は萌え、海も山も空も、生命で満ち溢れていた……――。





――しかしそれは、もう過去の話である。


 世界は変わり果てたのだ。





 空は赤く、雲は灰色に濁り、海は死に満ちていた。



 鳥は地に伏し、魚は陸に打ち上げられ、空気は瘴気によって汚染されている。





 すべての生命が死んだのだ。と、彼女、、たちを除いては……。




 少年。




 異世界に召喚され、魔王を討つ責務を背負わされた存在である。



 少年こと勇者は、なぜ、死に満ちた世界で生きながらえているのか?



 神の加護だ。



 ありとあらゆるマイナスとなる エンチャントやバフを無効化し、万物の生を死に至らしめる瘴気ですらも、緩和、戦闘を継続させる究極の祝福。


 それにより、全種族が滅んで尚、勇者は戦うことができた。





 勇者は魔王に向け、剣を振るおうとする……





「ハァハァ、ハァ、  うぐ?! ――ガハッ!!!」





 が、それはできなかった。大量の吐血。腐敗した大地に、その血がボダボダと滴り落ちる。




 そして勇者は立つ力さえ、瘴気によって奪われ、膝をつく。





 それを見守る七人の魔王。その中央で佇んでいた幼き魔王は、涙し、まるで懇願するかのように叫んだ。『もう、こんなことやめよう』と。





 だが勇者の耳に、魔王の涙も、悲痛な叫びも届かない。彼の心にあるのは憎悪と正義。そして勇者としての使命感だ。それが目を曇らせ、もはや現実が見えていない。




『魔王さえ斃せば、すべてが元通りになる。なかった事になるんだ、、、、、、、、、、!』




 その希望が剣を握らせ、すべての種族が潰えた今でも、彼の胸に闘志を抱かせている。



 魔王を斃し、元の世界に戻る確証も根拠もない。



 だが今、この時こそが、自分がこの世界に召喚された意味であり、運命である――少年はそう信じて止まなかった。そうでなければ、あまりにも救いがない。勇者として、この世界の仲間と過ごした大切な思い出が、無に帰すのだ。



 そんな理不尽な結末……あってはならない。



 この呪われた状況を覆し、世界を取り戻すのは自分の使命なのだ。



 きっとこの絶望に満ちた世界は、魔王が見せている偽りであり、まやかしの幽世かくりよ


 ヤツさえ斃せれば、術が解け、真実の世界に戻れる。



 勇者はそう信じ、真実を取り戻すため、再び立ち上がろうする……。



 だがしかし、勇者はもう立つことさえできなかった。そのまま うつ伏せに倒れ、彼の手から、蒼き聖剣が零れ落ちる。聖剣はキィイィイィン!と虚しく、悲しげな音を立てて転がった。



 それを見た魔王はたまらず、勇者に駆け寄る。



 他の魔王たちが「危険です!」「姫様!」「行ってはなりません!」と口々に制止の声を上げた。それを振り切り、魔王は勇者の元に辿り着く。



 幼き少女の姿をした魔王が、勇者を抱き起こそうとする。そして焼石に水と分かっていながらも、回復魔法でその傷を癒そうとした。



 すでにその息は弱々しく、今にも消えてしまいそうなほど、か細い。



 魔王の手に、暖かな緑の光が宿った刹那、それは起こる。





「もらったぁああああああああ――――ッ!!!!」





 勇者は最後の力を振り絞り、隠し持っていた赤き灼熱の短剣――聖剣の対となる紅蓮の剣で、魔王の心臓を突き刺したのだ。



 勝利。 勇者は人類の――いや、すべての種族が成し得なかった悲願を成就し、この手に掴んだと確信する。今までの血の滲むような努力が報われ、彼は至上の喜びに包まれた。だがそれは、長くは続かない。


 勇者が目にしたのは、顔をくしゃくしゃにして泣く魔王……いや、一人の少女だった。彼女は泣きながら謝る。「ごめんなさい。こんなことになってしまって」……と。痛々しく悲痛な嗚咽と共に、溜め込んでいた悲しみを一気に吐き出した。




 魔王とは邪悪な存在である。




 人の痛みや苦痛に悶える姿を、喜び、嘲笑う。




 すべての種族を憎み、脅かす、絶対的な敵。まさに……――究極の存在悪。




 しかし、勇者の眼の前で泣き崩れた魔王は、聞いていたような邪悪さは微塵も感じられない。それどころか弱々しさを感じるほど、儚く、人と大差ない存在だった。




 涙を流すその姿は、魔王ではなく少女そのもの。大きな違いといえば、頭部から生えている角くらいだ。




 勇者は『そんなはずがない』という顔色で、他の魔王にも目を向ける。




 彼女だけではない。すべての魔王が一様に、喪に服すかのように深く、悲しい目をしていた。




 そしてこの時、勇者は気づいてしまう。



 自身が偏見の塊であり、間違った価値観で戦っていたことを――。




 それだけではない。この死と絶望に満ちた世界は、魔王の創り出した まやかしでも、夢でも、ましてや偽りでもない。――紛うことなき現実であり、真実。魔王たちの底知れぬ悲しみは、もうこの世界に蒼き空も、海も、生命あふれる大地には戻らないから。だからこそ、あそこまで深く、深淵のような目をしているのだ。




 そう…………


 もう二度と、元には戻らない。





 その残酷な事実に、疲弊していた勇者の心は、ついに音を立てて崩壊する。



 最後の希望が潰え、勇者の心が死んだ。それにより神の加護もまた、その効力を失う。世界を覆う瘴気が、勇者の生命いのちを蝕み、吸い始めたのだ。



 そもそも神の加護は、人々が胸の内にある神への敬愛と信仰――その祈りが蓄積し、勇者に力を与え、護るものなのだ。人類が滅んで尚、こうして機能していたのでさえ奇跡だった。






 勇者は絶望に満ちた眼で、言葉を漏らす。






 

「この異世界は……俺に……なにをさせたかったんだ?」






 勇者として召喚された意味。


 その疑問は、誰に言ったものではない。ただこの理不尽な現実そのものに、彼は答えを求めたのだ。



 幼き少女は答えられなかった。今の彼女にできることは、涙を流し、死に逝く最後の命を看取ることだけ。そして少女自身も、『なぜこうなってしまったのか』と、過去に思いを馳せる。



 彼女は最後まで、この戦争を回避しようと努力に努力を重ねた。



 しかし、それは叶わなかった。






 人種――外見の違い。



 

 宗教の違い。解釈の乖離。




 理念。




 思想。



 

 国益。




 魔族の持つ、高度な魔導学。

 



 エルフを越える魔族の長寿――そしてその先にあるであろう、永遠の命。




 それらを可能とすると噂の、賢者の秘宝。




 数多の欲望が絡み合い、それが一つの怪物になった。




 その獣欲に突き動かされ、各国の思惑が適合し、世界が『魔王討つべし』と団結してしまう。さらに時代という熱狂が追い風となれば、もはや戦争回避は不可能。なにせ時代そのものが、魔王の敵となったのだ。




 そして悪いことは重なるものだ。



 魔王が敵軍の猛攻を抑制させるため、魔素を分解する『黄昏の風』を解き放つ。



 魔法が使えなければ、戦争が成り立たなくなり、和平交渉の新たな道筋が見えると判断したのだ。




 しかしその決断は、魔王たちの予想を大きく裏切る、最悪の結果を招く事となる。




 魔王討伐部隊の皇帝魔導師が、黄昏の風を無力化させようとしたのだ。しかも彼等は、ただ無力化するのではない。反転と機能増幅の魔法を持って、逆に高濃度の魔力を得ようと画策。――その欲深さが、世界終焉の引き金となるとも知らずに……。




 互いの魔法が反発し、臨界点を越え、思わぬ副産物を創生してしまう。それは高濃度の魔力ではない。人や動物、あらゆる存在の生命いのちを吸い上げ、死を齎す災厄の風。 瘴気だ。




 その風に抵抗できたのは、高度な――それも神域へと達した上位種の存在。叡智の域者たる、魔王だけだった。






 この世界で生きる、唯一の生者となった魔王たち。






 勇者を抱きしめ、涙を流す魔王。誰よりも心 優しかった彼女

が、嘆きの果てに、ある想いが募っていく。






「優しい世界を……創りたい」





 あらゆる種族の垣根を超え、誰もが笑い、平和を享受できる夢のような世界を。



 だが、死者を蘇らせ、元の世界に戻すことは不可能である。



 しかし彼等には、一から世界を創造する、その神の御業みわざは可能だった。




 その禁断の領域に踏み込むのは、勇者にナイフを突き刺された、あの少女まおうだ。




 金色の髪を靡かせ、この悲劇を繰り返さないと誓う彼女こそ、魔王を束ねる創世の魔王。





  後に世界の創造主となった 彼女の名は―――――





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