第11話
「米国の欧州に対する関心の度合いと、日本やアジアに対するそれとの間に大きな差が生まれた原因には、米国と欧州、米国と日本の地理的な差の違いもあるわね。私もそのひとりだけど」
「それは日本人でも同じなんだ。常に日本から世界を眺めているために、どうしても日本を中心にものごとを見てしまう」
「多くの米国人は日本はアジアの一国だとは知っていても、アジアのどこに位置するのかを正確に指摘できる者はごく少数だわね。職員が百人近い介護施設でも正しく答えられる者は数人かしら」
「日本で世界地図を広げれば、日本列島の右側には太平洋が広がり、その先に南北米大陸が、左側にはユーラシア大陸とアフリカ、欧州が連なる。日米両国は太平洋をはさんで向き合っている。ところが、米国の地理の教科書では、中央に大西洋があり、南北米大陸が左に、大西洋をはさんだ右側には欧州、中東、アジア全域が描かれている。極東なる語が示すように日本は地図では最東端で、米国からは最も遠い位置に見える」
「アフリカ大陸西海岸沖で発生した熱帯低気圧が西に進み、カリブ海でハリケーンになる。太平洋と比べると大西洋はずいぶんと狭いことになるわ」
「フィリピン近海で発生した低気圧が北上して発達し、その台風が日本列島を襲うコースをイメージすればその距離感がつかめる。欧州は米国人にとっては池を挟んだ隣家のような存在に映っている。その隣家にヒトラーが軍を進め、フランスに続いて英国も屈服するような危機が出現した。英国が陥落すると次には米大陸にナチスが上陸することになる」
「欧州は米国にとっては大西洋という池をはさんで接する隣家だわね。その隣家での戦争は、米国にとっては命にかかわる重傷に例えることができるわね。地図上で確かめてみたの。東海岸のニューヨークと西海岸のロスアンゼルスとの間の距離は東京・バンコック間に匹敵するのね。アジアはその広大な米本土から更に太平洋を隔てた先にある」
「そうだ。当時の米国にとっては日本が地球上からスッポリ抜け落ちてしまっても、国の屋台骨を揺さぶられることはなかった。だから、ルーズベルト大統領も含めて米国の指導者たちは、アジアでの紛争は少々の塗り薬ですむかすり傷に過ぎないと考ていた」
「米国にとってはヒトラーの脅威を欧州の淵で食い止め独伊を粉砕することが第二次大戦の最大の目的だったわけね。太平洋での戦争は欧州への軍備を割くことになるわ」
「実際、真珠湾攻撃の半年前には米海軍は太平洋艦隊からの一部艦艇を大西洋に振り向けている」
調査書に一九四一年の五月に、三隻の戦艦、一隻の空母、巡洋艦四隻、駆逐艦九隻を大西洋に移動したことが記載されている。
「図書館で紹介された書に米作家のイアン・トールが二〇一二年に著した太平洋での日米海戦を記した書があるわ。そこに真珠湾攻撃直後に米英両軍の指導層による会議がワシントンで持たれた際のルーズベルトに宛てた秘密メモが引用されているの。そのメモによれば、日本による真珠湾襲来を契機に米軍が軸足を太平洋に移すことを危惧した英軍からの照会に対して、米軍は、米英の主たる対戦相手はドイツであり、日本はその次としているわ」
「真珠湾奇襲によって日本への報復機運が一挙に高騰した開戦直後に開かれたその会議でも、米国がそれまでの既定路線を変更することはなかったことになるね」
塚堀は以前に一九六九年に出版された“第二次大戦中の米国海兵隊”を手に入れていた。従軍した元海兵隊員や軍幹部が寄稿した体験記録を収録したもので、政府発表の公文書には見られない生の声を知る格好の書である。
「真珠湾攻撃と同時に始まったフィリピンでの戦役で大敗した米軍は指揮官のマッカーサーが豪州に退却し、半年後の翌年五月には七万六千人の米軍兵士が降伏した。捕虜の数が日本軍の想定を遥かに超えたことから捕虜収容の過程で多数の死者を生んだ」
「歴史の授業に出てきた、バターン半島での死の行軍事件ね」
「兵士の一部には第一次大戦時のヘルメットが支給されていたとある。当時の写真に皿を逆さまにしたような平らな鉄かぶとを着用した米兵士が映っている。あれは第一次大戦で米軍が使用したものだった。兵士には身の回りの備品や替着を収納する背嚢も支給されず、ガスマスク用の収納袋で代用し、不足していた毛布は現地で調達したとある」
「米政府の報告書によれば、開戦時の日本陸軍の軍用機保有数が千四百機、海軍が二千六百機に対し、太平洋に投入された連合軍の軍用機数は、米国に英、豪、蘭の空軍を合わせても千三百機に満たなかった、とあるわ」
「一九六六年に出された第二次大戦中の米海軍の記録集によると、開戦時には潜水艦搭載の魚雷が不足していたために、速度が早く艦長が短い日本の駆逐艦は潜水艦の攻撃対象から除かれ、速度が遅く図体の大きい輸送船の攻撃に重点が置かれていたとある」
魚雷の供給が増えて駆逐艦が攻撃対象に加えられたのは戦争も末期に近い一九四四年六月のことで、六日に水無月、七日に早波、九日に谷風と三隻の駆逐艦をボルネオ北方で撃沈した記録がこの記録集に収録されている。このアジア軽視による準備不足が、開戦当初には日本の軍事力の絶対的優位を印象付けることとなったのだ。
「インターネット上に米国が投入した戦費のデータが掲載されているわ。それによると、第二次大戦に投入した戦費は三千億ドルを超えていた。他の国の推定される戦費は、フランスが千百億ドル、ソ連が九百億ドル、英国が五百億ドルだったとある。敗戦国のドイツが費やした軍事費が二千百億ドル、それに対して日本は四百億ないし五百億ドルだったとあるわ。これを見ても欧州大陸と太平洋では戦争の規模が比較にならないほど差があったことになるわね」
「日米の軍事予算の比較データがある。戦前の円・ドル為替レートは一九四一年には一ドルが四・二円、終戦直後の一九四五年九月に採用された軍用交換相場は一ドルが十五円だった。一九三五年から一九三九年の間は三円台が妥当と考えられ、米議会が承認した軍事費予算にこれらを適用すると、一九三五年は約二十六億円、一九三七年は二十八億円、一九三九年は五十億円前後に、一九四一年には千四百億円に達していた。一方の日本の年間軍事予算は、防衛白書によれば、一九一〇年代から一九三〇年代前半にかけては十億円未満で、一九三六年に初めて十一億円の二桁台になり、日中戦争が起きた一九三七年には緊急補正予算によって三十三億円弱に増額された。日米戦争に突入した一九四一年には史上最大の百二十五億円に上った。しかし、それでも米国の軍事費の一割にも満たなかったことになる」
「欧州に関心が集中し米国が日本との戦争を軽視したのは、その規模の差にあったことは明らかだわ。でもそれだけではなかったと考えるべきね。背景に日本の軍事力に対する過小評価があった。真珠湾攻撃の直前にノックス海軍長官が知人に、日本の海軍を三ヶ月で地球上から抹殺すると書き送ったことが知られているわ」
「その日本海軍と連合軍が開戦直後に会戦したんだ。一九四二年一月から二月の間に、ボルネオ、スマトラ、ジャワ島に囲まれたジャワ海で起きた海戦がそれで、米英蘭連合艦隊は巡洋艦など十隻を失い、二千二百人近い戦死者を出している。一方の日本軍の損失は、狭い海域のために味方の魚雷によって誤まって撃沈された数隻の輸送船だけで艦艇の損失は零だった。また、欧州で渡洋爆撃に投入された四発の新型爆撃機の効果が期待以上だったことから、マッカーサーはフィリピンからの日本本土への爆撃で日本を撃破できると楽観的な観測をルーズベルトに伝えている。開戦直後の豪州への撤退など頭の片隅にもなかったんだ。米国は日本の戦闘能力を仔細に分析していなかった。開戦後にはじめてその実力を知ったことになる」
「それは軍関係者だけでなく、国務省にも当てはまることだわ。スティムソン国務長官時代からアジア事情の専門家として知られたスタンレー・ホーンベック国務省極東顧問が、日本には米国相手に戦争を仕かけるような強固な意思はないというメモ書きを残しているのよ。真珠湾攻撃直前の十一月十七日のことだったわ。国務省では最もアジア通としてハル国務長官やルーズベルト大統領が耳を傾けたホーンベックの言は、米国政府の対日観を端的に語っていたといえるわね」
「有色人種が白人を凌駕することはあり得ないという思い込みがその背後にあると見るべきだね。白人至上主義が対日戦を安易に考える要因を生み出し、それが和平交渉中断がもたらすであろう重大な帰結への考慮を妨げてしまったのだ」
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