第9話
「これらの十三通は六日午後九時半頃にはホワイトハウスや政府内の関係者に配付された、とあるわ」
「海軍のクレイマー大尉がホワイトハウスに届けたことが報告書に記載されている」
「それを受取ったホワイトハウス詰めのシュルツ海軍大佐による証言が残されているわ。大佐が手渡した十三通の電文に目を通したルーズベルト大統領が、その夜のホワイトハウスの晩餐に招かれてその場に居合わせた側近のハリー・ホプキンスに“これは戦争ということだね”と語ったと証言している」
「そして大統領がホプキンスと数分間日本相手の開戦に付いて語り合ったが、その際に口にされた地理上の場所はインドシナで、真珠湾への言及はなかったと証言している」
「だから、大統領がこの十三通で翌日の真珠湾奇襲を知ったが、日本が開戦すれば、世論が否定的なために実現していなかった欧州での対ドイツ戦に参戦し懸案の英国支援ができる、とそのまま放置した、というルーズベルト陰謀説は誤りだわね」
「大統領が目にしたものには結論部の十四分割目は含まれず、これだけで大統領が日本の開戦、しかもそれが真珠湾への奇襲だと察知したとするには根拠が薄弱といわざるを得ないだろうね」
昼食からエリザベスが戻ってきた。
「十三通は、日本政府はそれまでの日米和平交渉で東アジアに於ける新たな秩序の実現のための提案を繰り返してきたが、米国は英国や他の諸国と陰謀して従来の植民地政策に固執するばかりで、これでは交渉を続けることができない、と和平交渉の終結を示唆しているわ。しかし交渉の終結が戦争行為の開始だとはいっていないわね」
「ホプキンスとの会話後に大統領はスターク海軍提督に電話をしようと試みたことも記録にある。ところが、ホワイトハウスの交換手が提督は首都の国立劇場で観劇中だと伝えたために、観劇中の提督が席を立つようなことがあると劇場内に波紋をもたすだろうと止めたとある」
「海軍のトップが観劇中であること自体が翌日の日本軍の攻撃を予期していなかったことを明瞭に語っているわね」
「大統領が切迫した事態と理解していたなら周囲への配慮で電話を諦めることもないはずで、ホワイトハウスも緊迫した空気にはなかったことが判る」
「ワシントン時間の十二月二日で、日本時間では三日にマジックが傍受した、最後の一瞬まで暗号を保持せよ、と暗に、国交断絶による暗号簿の破棄を示唆した外務省の機密電が、米国政府の関係者に配布されたのは六日のことだったことも証言にある」
「六日夕刻には完成していた十三通の解読文は制服組のトップであるマーシャル陸軍大将とスターク海軍提督には配布されていなかったことも証言に含まれるわ。スターク提督がその夜に観劇に出かけたのも、翌日の七日朝にマーシャル大将が毎週日曜日朝の習慣だった騎馬による散歩を楽しんでいたと証言しているのも、参謀たちが十三通には重要な軍事上の判断を要する事項は含まれていないと判断して上官に報告しなかったからだ、とある」
「米国政府内で十三通の外交通信を目にした者で、日本が開戦直前にあると認識した者は皆無だったことになるわね」
「そうなると、結論部である十四分割が開戦を通告したものだったのか?という疑問に行き着く。七日朝に傍受した十四分割目を目にした米国の指導層の反応を確かめる必要があるね」
十三通に半日遅れで発電され、ホワイトハウスや国務省が七日の午前十時前後に手にした十四分割目は短いもので、全文は次のようだった。
米国の意図が、英国や他国と共謀して東アジアに新秩序の出現を目指す日本に対立し、日中両国を戦争状態に置くことによって英米の権益を守ろうとすることにあるのは歴然としている。これまでの交渉を通じてその意図が明らかになった。日米間の関係調整と、米国との協力によって太平洋に於ける和平の実現を目指す日本の真摯な願望は失われた。このような米国政府の姿勢では、今後の交渉継続によって合意に達するとは考えられないことを米国政府に通告せねばならないことはまことに遺憾である。
米国が傍受した原文は次の通りであった。
Obviously it is the intention of the American Government to conspire with Great Britain and other countries to obstruct Japan’s efforts toward the establishment of peace through the creation of a New Order in East Asia, and especially to preserve Anglo-American rights and interests by keeping Japan and China at war. This intention has been revealed clearly during the course of the present negotiations. Thus, the earnest hope of the Japanese Government to adjust Japanese-American relations and to preserve and promote the peace of the Pacific through cooperation with the American Government has finally been lost.
The Japanese Government regrets to have to notify hereby the American Government that in view of the attitude of the American Government it cannot but consider that it is impossible to reach an agreement through further negotiations.
「当初の予定だったワシントン時刻午後一時から小一時間遅れで国務省を訪れた野村大使が携行したタイプ打ちした文書が、図書館から薦められたもう一冊の刊行物である、米国務省が戦時中の一九四三年(昭和十八年)に公表した日米外交記録集に収録されているわ。傍受した電文と比べても差異がなく、傍受の結果は正しかったことが判るわ」
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