狂気が来る

 白色の、見たことが無い制服を着ている。サスペンダーで止められた短パンに、ソックスガーターでロングソックスが止められている。元々中性的な刹那だが、幼い姿のせいか女児にも見える。


「なんだか、いつの間にかスパルトイの攻撃を受けたみたいで……酷い幻覚に襲われてたんです」

「だろうね。いきなり教室から叫ぶように走り去ったって慶からメッセージが届いて探してたんだ。僕が見つけた時は、体育館裏の倉庫に駆け込んで、一人で泣き叫びながらのたうち回ってたよ。酷くうなされてるみたいだった」

「そんなに? ……でも、神薙さんが若いってことは、まだ幻覚を見てるみたい……」


 莉雄は自分の手が血にまみれていることを確認する。それどころか、自分の手が黒くて細い、骨のような物に見えている。まるで、スパルトイのような……

 更に、ここが体育館倉庫だと刹那から言われても信じることができない。

 ここは、莉雄の目には肉屋の冷凍室に見える。フックに釣られた肉がそこら中にある。ただ、吊るされているのは人間の死体で、その目はまた、莉雄を見下ろしている。


「ああ、まだ、幻覚の中に居るみたい……」


 莉雄は自分の手を強く抱きしめる。今、幻覚で見せられた痛みは、気のせいなどでは済ませられなかった。なにより、どうしようもなく恐ろしかった。まるで、過去にそういう出来事があったかのように、幻覚が脳裏にこびりついて離れない。

 刹那は、莉雄のその様子に、彼の背中をさすりながら、彼が落ち着くまで待った。


「その幻覚を見せてくるスパルトイを倒さないと、幻覚は完全に解けないかもしれないね」

「それ……すごく困る。怖くて、正直、動きたくなくなるぐらい……」


 刹那は莉雄の頬を掴む。触られている感覚は幼い子供に触られているように感じる。

 この部屋もとても寒い。夏とはとても思えない。やはり、触感や痛覚も幻覚の世界の法則にしたがっているように思えた。


「莉雄、僕の声を聴いて。僕を見て。僕も怖い存在に変わってる? 幼いだけ?」

「お、幼いだけ……」

「そう、じゃあ、少し怖いかもしれないけれど、僕が傍に居る。ここにいるわけにいかない。君を置いて行けない。だから、一緒に敵を探さないといけない。ゆっくりでいい。でも、座ったままじゃダメなんだ」


 唐突に、肉屋の冷凍室の壁を激しく叩く音がする。そして誰かが壁の向こうから叫ぶように言う。ひたすら自分の名前を呼ぶ声がする。


「莉雄……莉雄……莉雄……莉雄……莉雄……莉雄……莉雄……莉ぃ雄ぉ……」

「ねぇ、こっちを見て。僕の目を見るんだ、莉雄」


 壁の向こうの声が悲痛な声で叫び、命乞いのような物を始める。

 刹那が必死に莉雄の顔を覗き込み、虚ろに焦点が定まらない目を覗き込む。


「連れていかないで。殺さないで助けて助けて助けて助けていや、いやだ、いやだあああ!!」

「駄目だ、幻覚の世界に行かないで、僕の目を見て!」


 壁の向こうの声は絶叫に変わり、刹那の声を押しのける。

 視界にノイズが走り、ノイズの向こうに出刃包丁を持った、痩せぎすの髪の長い女性が、虚ろな目で自分を見下ろしているのが見える。耳にラジオのノイズのような音が響き、自分の名前を呼ぶ。


「莉雄……莉雄……莉雄……どうして殺したの? 殺さないでって言ったのに。殺さないでって言ったのに。助けてって言ったのに殺した。あなたが殺した。あなたが殺した殺した殺した殺した殺した子ろ死た子ろした。お前が死んだせいだ」


 その女性が近づいてくる。刹那をすり抜け、莉雄の眼前に迫る。その顔は青白く、生気は感じられず、その眼窩は黒い影に覆われ、湿った吐息が莉雄の顔にかかる。錆びた鉄のような臭いがする。その眼窩の中にゴキブリが走り回るのが見える。その首がメリメリと音を立てて目の前で捩じれながらも動き、怖気を感じるような声で叫ぶ。

 その女性が叫び、手に持っていた凶刃が振り上げられる。


 が、直後、頭が何か、刃物とは違う物にぶつかる。

 鈍い音と共に、目の前まで迫っていた女性は消え、自分の知っている刹那が自分の顔をかなり近くで覗き込んでいる。自分の額を莉雄の額に押し当てている。莉雄の両耳を塞いでいるようで、彼の手の脈の、血の流れる音が聞こえる。周りも薄暗くも日の光が窓から差し込む体育館倉庫に変わっている。

 その音がどこか心を落ち着かせるような、莉雄はそんな気がした。

 そっと、刹那が手を放して言う。


「落ち着いた? また、幻覚の中に戻されてただろ、今」

「う、うん……ありがとう……どうしよう。どうしたらいい?」


 莉雄は既に泣き出していた。なぜなら、既に刹那の姿が幼い状態に戻り、体育館倉庫はまた肉屋の冷凍室に変わってきている。

 刹那はため息交じりに言う。


「敵スパルトイを倒すしかない。立って。大丈夫。また君がおかしくなったら、僕が連れ戻せばいい」


 そういって、刹那は手を伸ばす。莉雄はその手を取ろうとするが、うまくつかめない。


「あ、そうか。幻覚だと僕、幼いんだっけ? 僕の手はもう少し……こっちかな」


 何かに腕を掴まれる感覚がし、なにも無い空間と手を握る感覚がある。そのまま、刹那に手を引かれるように、莉雄は立ち上がる。


「うん、ごめん……早く、何とかしよう」

「あー……莉雄、僕の顔、そこにあることになってるのか……うん。早く幻覚を解こう」

「?」


 莉雄は幼い刹那を見下ろしているつもりだったが、どうやら別の場所を見ているらしい。刹那は苦笑いしながら莉雄の手を引いて、体育館倉庫を出た。


 外の様子は、莉雄の目には奇怪でグロテスクに写った。

 そこら中に血みどろの人の手や足、あるいは首が捩じれるように混ざりながら、草花のように咲き乱れている。それらがうめき声を上げながら、風に揺れるようにうごめいている。空は薄赤く色づき、鉄の臭いに交じり饐えた臭いもする。地面は所々鮮血の水たまりができており、小さな蜘蛛や蛆が這いまわっている。


「こ、これ、酷い有様だけど、現実ではこうなってないんだよね?」


 莉雄の言葉に刹那は答える。


「うん。どうやら、今幻覚の攻撃を受けているのは君だけだ。僕には変わらぬ日常に見える」


 刹那は、莉雄の様子を確認しながらゆっくりと手を放した。そして両手を合わせ、ゆっくりとその手を開いた。

 そこには、青色の小さな小鳥が現れる。小鳥は刹那の手から飛び立ち、天に向かって吸い込まれるように飛んでいき、煌々と一点の光となって輝いた。


「よし、あの子を追っていけば、目的のスパルトイの場所が解るはずさ」

「それが、神薙さんの能力、ですか?」


 刹那は少し考えた後に言う。


「んー、そうだね。ロワゾブル青い鳥って名前が、彼にはあるのさ。人や物を探すことに特化してるみたい」


 そういえば、刹那が莉雄の前で能力を使うのは初めて見る。

 とはいえ、確かに探し物に特化した能力なら、戦いでは出られないものかもしれない。もし戦うなら、自分がなんとかしなくては。


 二人は空に輝く蒼い星を頼りに、学校と思しき敷地から出る。

 莉雄には、どこからが学校の敷地なのかよく解らない。ただ、視界の端に毎回写り込む焼死体や腐乱死体が、自分の元へ歩いてこないかだけが心配だった。刹那にもその不安は伝わっているようで、定期的に莉雄の手をさすったり強く握り返したりしていた。


 刹那に手を引かれながら、幻覚の中かなりの距離を歩いたように莉雄は思った。刹那は定期的に振り返り、莉雄の様子を確認しながら歩いている。

 そして、蒼い星は、郊外のとあるビルの屋上に降りて行った。莉雄にもビルには見えていたが、ビルは血にまみれ、定期的に屋上から誰かが半狂乱に笑い声をあげながら落ちてきては地面に赤い染みを作る幻覚が見えており、一人ではここに近づかなかっただろうと彼は思った。


「大丈夫かい? 顔色が酷い」

「さっきから、投身自殺の幻覚が見えてて……」

「うん。きっと、ここにスパルトイが居るんだ。だから、ここが一番幻覚も酷いんじゃないかな。耐えれるかい?」


 莉雄は吐きそうになるのを堪えながら頷く。二人はビルを上がる。

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