第二章【運命の女神さまと死霊の地下道!】

その1

 ピン!

 張り詰めた弦が奏でる小気味よい高音が鳴り響くと、一陣の風が駆け抜ける。

 標的を見失った平原ゴブリンたちはきょろきょろと周囲を見回す。

「グルル!」

 突如、平原ゴブリンの一匹が空中へと投げ飛ばされる。驚いて振り返った平原ゴブリンたちが見たものは、一瞬にして背後に回り込んだ吟遊詩人であった。


「グルル!」「グルルル!」

 近くにいた二匹の平原ゴブリンが吟遊詩人に襲い掛かる。頭目掛けて振るわれる鋭いゴブリン爪を、吟遊詩人は銀色の竪琴で受けた。

「グルッ!?」

 キンと響いた金属音。人間の肉など簡単に引き裂いてしまう切れ味のゴブリン爪は、しかし詩人の竪琴に一つの傷をつけることすらかなわない。


 ポーン。

 詩人はゴブリン爪を竪琴で受け止めたまま一番低い弦を鳴らす。次の瞬間、細腕の青年から繰り出されたとは思えない衝撃が平原ゴブリンを襲う。

「グルル!」

 二体の平原ゴブリンは先ほどの哀れなゴブリンと同様に宙を舞う。

 吟遊詩人は油断なく残された最後の平原ゴブリンを見つめる。


「グ……グシャーッ!」

 破れかぶれに平原ゴブリンが吟遊詩人目掛け突っ込んでくる。もはや彼は弦に手をかけることもなく、向かってくる平原ゴブリンの側頭部を竪琴で殴りぬいた。

「グッ……パァ」

 最後の平原ゴブリンが地面にどさりと倒れ、起き上がってくることが無いことを確認した吟遊詩人は背後の大きな岩へ目掛け呼びかけた。


「女神さまー!もう出てきてもいいですよー!」

 人一人が満足に身を隠せそうな大きな岩陰からおずおずと出てきたのは、亜麻色の髪をした乙女であった。

「も、もう大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫です、安全ですよ女神さま」


 女神さま、と呼ばれた彼女は何も大仰に呼ばれたわけではない。彼女はかつて天界に在り、そして今はただの人として転生した元女神、フォルトゥナである。

「ふぅ……ありがとうございます、ソウタさん」

 フォルトゥナの言葉を受けぱあっと笑みをこぼす吟遊詩人――ソウタは、かつてフォルトゥナが女神であった時、彼女自身が異世界へと転生させた青年である。

 二人は偶然にして運命的な出会いの末、今はこうして旅を共にしている。


「ささ、平原ゴブリンはやっつけちゃいましたし、そろそろ行きましょう」

「は、はい!」

 フォルトゥナは勢いよく返事をするが、何かを後ろ手に持ったまま動こうとしない。

「女神さま?」

「き、気にしないで下さい。さ、行きましょう」


 が、結局言うだけでフォルトゥナは動かない。

「女神さま……ひょっとして」

「あっだめ!」

 ソウタがひょいとフォルトゥナの背後に回ると、彼女の手に握られていたものが見えた。

「あ、女神さま!また勝手にお野菜食べてますね?」


「ご、ごめんなさい……ソウタさんが頑張ってるときに悪いかなって思ったけど……おなかがすいちゃって」

 フォルトゥナが手にしていたものは三日前に出発したメルクの村の老婆からもらったキュウリであった。

「もう……一応旅の道のりを計算して食料を用意してるんですからね?」

「ごめんなさい」


「本当に反省してますか?僕の目をちゃんと見てください」

 そういうソウタではあるが、細めを通り越してもはや糸目の彼の目の様子をうかがうことはフォルトゥナには少し難しかった。

「ごめんなさい」

 しゅんとうつむくフォルトゥナ。結局ソウタは彼女をそれ以上責めることはなかった。


「それを食べたら出発しますからね?」

「はい!」

 ぽりぽりとキュウリをかじるフォルトゥナは、もぐもぐと口を動かしながら笑みをこぼす。

「おいしい~!」


「もう、親切なおばあさんが多めに野菜をくれたからよかったけど、女神さまがこんなに食いしん坊だったとは……うん、教義にお供え物はごちそういっぱい、って書かなくちゃ」

「そ、ソウタさん、本気で考えてる……」

「む、僕は本気ですよ女神さま。今に女神さまのすばらしさを全世界に広めて見せますからね!」

 えへんと胸を張るソウタ。彼はフォルトゥナを女神として崇める宗教を作ろうと考えているのだ。


「さ、行きましょう女神さま、もうすぐ見えてきますよ」

 ソウタが指さす向こう、道のはるか先にうずたかく積まれた石塀。

 二人の最初の旅の目的地、郡都ナルファンはもうすぐであった。




 ――――――――――――――――――――




「すっごい……人がこんなに沢山……」

 大きな門をくぐり、人込みを抜けた先の光景にフォルトゥナは息を飲んだ。

「ここがこのあたりで一番大きな都市、郡都ナルファンですよ」

 ソウタの言葉も半分は耳に入ってこない。フォルトゥナは間近で感じる人々の活気に圧倒されていた。

「すごい……水鏡で遠くから見てるだけのあれとは全然違う……」


「さあ、女神さま。街に着いたならまず今日の宿を……」

「ソウタさん!あれ、何でしょう?」

 目をキラキラさせながら指をさすフォルトゥナ。彼女の視線の先にはいくつもの屋台が立ち並ぶ広場があった。

「あれは……そうですね、屋台ですね」


「見てみましょう!」

 もはや言い終えるよりも早くフォルトゥナは駆けだしていた。

「あ、待ってください女神さま!」

 慌ててソウタも彼女の後を追う。

 フォルトゥナはまず一番端の屋台で立ち止まった。色とりどりの新鮮な野菜が籠に並べられている。


「わあ、お野菜がこんなに沢山!」

「やあいらっしゃい。うちの野菜はメルクやオーテリスから直接仕入れてる新鮮なもんだよ」

「メルク!私メルクの村から来たんです!」

「へえ、そいつは長旅だったな。よし、お近づきのしるしに、一つどうだい?」


 そういうと店主は籠の中から真っ赤な果実を手に取ると一つフォルトゥナに寄越した。

「これは……?」

「おう、コイツはオーテリス名物のリンゴさ!かじってみな」

 店主に勧められリンゴを齧るフォルトゥナに、ようやくソウタが追いついた。

「もう、女神さま、いきなり走ったら危ないんですよ……女神さま?」

 返事がない。見ればなぜかフォルトゥナはうつむき、小刻みに肩を震わせているではないか。


「お、おいおい嬢ちゃん、どうしたんだい?歯でも悪かったか?」

「め、女神さま?大丈夫ですか」

 恐る恐る声をかけるソウタだったが、フォルトゥナは突然がばりと顔を上げた。

「これ……おいしい!おいしいですソウタさん!」

 フォルトゥナは口にしたリンゴの味を大層気に入ったようで、笑顔を浮かべながら小さくぴょんぴょんと飛び跳ねる始末である。


「はっはっは!そうか、そんなに気に入ったか!」

 あまりの喜びように、店主は少し呆れながらもうれしそうである。

「女神さま、あんまりはしゃぐと危ないですよ!」

 おろおろと止めようとするソウタだが、フォルトゥナは夢中でリンゴを齧っていて聞こえていなかった。


「あんたたち、お熱いねえ。俺も若いころはカミさんに『お前の瞳は女神のようだ……!』なぁんて熱いセリフを言ったものだ……」

 腕を組みうんうんと一人合点する屋台の店主。

「あ、いえ。女神さまは本物の女神さまでして」

「ソウタさん!あれは何でしょう!行ってみましょう!」


 フォルトゥナは再びソウタを置いて駆けて行ってしまう。

「ああ、女神さまー!あ、これお代です。あと三つほどリンゴください」

「あいよ!毎度あり!しっかり嬢ちゃんから目を離すなよ!」

「ありがとうございます」

 リンゴを袋に詰め、ソウタは再びフォルトゥナの後を追うのだった。




 ―――――――――――――――――――




「すごいです!都会って、人がたくさんで、活気にあふれていて、そして料理がおいしいんですね!」

「あはは……ずっと食べてましたね」

 フォルトゥナとソウタは広場の片隅のベンチで一休みしていた。木漏れ日の差し込む木陰の一角は広場の喧騒から少し離れ、涼し気な風が吹いている。

「はい!私、はっきり言って感動しています!天界って食事しないんですよ、こんなに楽しい行いなのに」


 そう力説するフォルトゥナの両手には露店で買った飴が握られている。

「女神さま、昔から食いしん坊じゃなかったんですか?」

「な、く、食いしん坊って……」

 フォルトゥナの目は反論したがっているが、残念ながら両手の飴が説得力を無くさせていた。

「でもよかった。女神さまが元気そうで」


「えっ?」

「はい、最初にあった時は女神さま、とってもさみしそうで。でも今はとっても楽しそうです」

 ソウタは鼻の頭をかきながらはにかんだ。

「そう……ですね。最初は人間に転生して、これからどうしようって思いでいっぱいでしたけど、今は……うん、ソウタさんがいてくれてとっても心強いんです」


「女神さま……」

 フォルトゥナは素直な気持ちを口にする。ソウタは驚いたような嬉しいような、そんなよくわからない気持ちになり、知らずフォルトゥナを見つめていた。

「ソウタさん……」

 その視線に気づき、フォルトゥナもソウタを見つめ返した。


 そよ風が二人の間をすり抜けていく。果たして何分か、あるいはほんの何秒の間か、時間の感覚が溶け出してしまったように二人は見つめあった。

 そしてソウタが何か言葉を繋ごうと口を開いた、その時であった。

「ん?」

 ソウタが突然眉をへの字に大きく歪めると、竪琴を手に取りながら突如ベンチから立ち上がったのだ。


「やべっ!」

 こそこそと逃げ出そうとしていた少年は、そう声を上げて急に走り出した。

「ソウタさん?」

 フォルトゥナは何が起きたのか理解できずきょとんとしている。

「しまった、スリだ!」


 そういうとソウタは竪琴を片手に少年を追って走り出す。

「こらー!待ちなさーい!」

「うるせー!待てと言われて待つ奴があるかー!」

 当然少年は速度を緩めるはずもなく、屋台と屋台の間を器用にすり抜けながらソウタを突き放していく。


「へへっ、オレの足に、大人が付いてこれるかよ」

 勝ち誇ったように振り返った少年が目にしたのは、なぜか竪琴を構えながら走るソウタであった。

「は?なんだアイツ」

 いぶかしむ少年は、次にピンとなる甲高い竪琴の音を聞き、そしてそれにほんの少し遅れて突如目の前に急接近してきたソウタを目撃した。


「はあっ?」

「っつかまえた!」

 高速移動のスピードそのままに少年に組み付いたソウタは、少年ごと地面をごろごろと転がり勢いを殺す。

「いっててて……」

 少年が苦悶の声を上げるころには、ソウタは少年の腕を地面に押さえつけて拘束していた。


「こら!お前兄ちゃんの財布とっただろ、返しなさい」

「ちっくしょー!なんなんだよオッサン!」

「兄ちゃん!」

 大人げなく訂正するソウタ。少年は十歳前後くらいであろうか、着ている服はあちこちがほつれている。


「あの、通してください!ふにゅ~!」

 何事かと集まってきた人込みをねじ入るようにしてフォルトゥナが顔を出す。

「ソウタさん?どうしたんですかいきなり」

「さあ、返しなさい。そして女神さまに誓ってもう悪いことはしませんと言いなさい!」

「何が女神だ!はなしやがれー!」


 じたばたと暴れる少年だが、どのような心得があったのかソウタの拘束は完璧に少年を取り押さえていた。

「あ、あの、ソウタさん。あんまり乱暴は」

 すると同じように野次馬の中に居た野菜屋台の店主がフォルトゥナを制した。

「おいおいお嬢ちゃん、やめときな、あいつはこの辺で有名なスリの小僧だ」


「スリ?」

「家も親もねえ、ああやって観光客や屋台の金を盗んで暮らしてやがる。すばっしこくてとても捕まらんヤツだったが、嬢ちゃんの連れはすごいな!何が起きたかはさっぱりわからんかったが」

 店主は清々したという表情で語る。見れば野次馬の中の他の店主たちも皆一様に少年に向ける目が厳しい。


「ちきしょー!こうなったら煮るなり焼くなり好きにしやがれ!オレはお前らみたいな腰抜けなんか怖かねえぞ!」

 暴れながら悪態を止めない少年。すると野次馬の包囲の一角が水を浴びせられたかのように静まり、そして広がっていく。

「こんどは何ですか?」

 背伸びしながら何事が起きたか見ようとするフォルトゥナ。


「ああ……誰か警吏の連中を呼んできたらしいな。やれやれ、これであの小僧も年貢の納め時だ」

 屋台の店主は首をすくめ大げさにため息をついた。

 暴れていた少年も、やってくる一団を目にして顔色を変える。

「やばい……アイツはマジでやばいって」


 少年のあまりの怯えように、ソウタはいぶかしげに甲冑の集団を見た。

 彼らは一つの生き物であるかのように整然とした歩みで近づいてくる。カシャンカシャンと鎧同士がぶつかる音が静まり返った広場に響いた。

 彼らはソウタたちの前で止まると、威圧的に言い放った。

「その者は我々が拘束する。民間人は下がりなさい」


「貴方たち、誰です?」

 ソウタは少年を押さえたまま甲冑の集団に問う。

「我々はナルファンの警吏だ、そしてその者は薄汚い犯罪者である。即刻引き渡すのだ」

「お断りします。彼から財布を返してもらえれば、僕はそれで充分ですから」

 ソウタの拒絶に、甲冑の集団は威圧をもって答えた。


「おいおい嬢ちゃん、連れは本気か?」

 店主はやや青ざめてフォルトゥナを見る。

「よりによって、あの兄ちゃんジョージの野郎に面と向かって逆らいやがったぞ」

 ぼそぼそと野次馬の間から困惑の声が上がる。

「ソウタさん……」


 緊迫した空気にフォルトゥナは息を飲む。

 すると甲冑の集団の中の一人がソウタと少年の眼前へ進み出る。彼の甲冑は他の者たちとは意匠が異なり装飾品が多く、おそらくは集団の統率者であろうことが見て取れた。

 甲冑の奥から刺すような視線がソウタに向けられる。その眼にはまるで人間らしい温かみなど感じられず、氷のような印象をソウタは抱いた。


「もう一度問おう。その者を我々に引き渡すのだ」

「同じです、お断りします」

 野次馬も、組み伏せられた少年すらも信じられないものを見るようにソウタを見た。

「……では、貴公にも同行してもらおう」


 甲冑の集団からより一層膨れ上がった威圧感が放たれた時、フォルトゥナは後先考えずに飛び出していた。

「あ、あの!」

「女神さま!危ないですから下がっててください!」

「で、でもこのままじゃソウタさんが」


 甲冑の男の凍り付くような視線がフォルトゥナを捕らえる。

「ひぅっ……あの」

 怯えて及び腰になりながらもフォルトゥナは甲冑の男に話しかけようとする。

 だがしかし、男の手は腰に帯びた剣に伸びようとしていた。

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