その6

 大関・剛竜山、久しく日本人横綱がおらぬ角界において、次に横綱になる日本人がいるとすればこの男しかいないと噂されていた期待の若手力士は瞬く間に番付を大関まで上り詰めた。

 歯に衣着せぬ言動はいささか物議をかもすことも多かったが、彼の取り組みはそう言った声もねじ伏せるほどに力強く、根強いファンも獲得していた。


 彼の武器は2メートルに届こうという巨体と、強烈なぶちかまし、そして横綱以上とも言われる“張り手”の強力さだった。

 一度剛竜山の張り手に捕まってしまえば、瞬く間に態勢を崩され、体力を奪われ、そのまま土俵を割ってしまうのだ。

 剛竜山、本名秋山剛太は29歳にして、人生の絶頂を迎えようとしていた。


 そんな彼を、ある悲劇が襲った。原因不明の奇病により、腕がほとんど動かなくなってしまったのだ。

 角界、親方、部屋関係者、ファン、そして何よりも剛竜山本人がこの理不尽を呪った。

 悪質な週刊誌の報道追跡などのトラブルもあったが、彼は復帰への道を諦めていなかった。


 場所を休場しての治療とリハビリ生活は続いた。剛竜山の休場は一場所続き、二場所となり、三場所と続いたころには誰もが彼の復帰を絶望的だと思うようになっていた。

 剛竜山は焦った。自分はまだ戦える。まだ力士として登り詰めるべき頂に至っていない。

 彼は必死に治療とリハビリを繰り返した。怪しげな民間治療や霊感商法にも手を出した。


 だが、彼の腕は快方に向かうことはなかった。

 そして腕の変調から一年が経とうとしたころ、事件は起きた。

 剛竜山が病院に向かう途中、大型トラックに轢かれてしまう事故が発生した。


 直ぐに彼は病院に運ばれたが、すでに手遅れであった。

 剛竜山――秋山剛太は、即死であった。全身打撲によりぐちゃぐちゃになった彼の体は、しかし皮肉なことに両腕だけがきれいなままで残っていた。

 将来有望な力士の挫折と死。センセーショナルな報道は一週間ほど続き、そしてやがて世間に忘れられ、秋山剛太の人生は幕を下ろした。


 はずだった――




 ――――――――――――――――――――




「あなたはこんな卑劣な行いをする人とは思えない、どうしてこんなことをするんです?大関・剛竜山さん!」

「黙れえええええ!」

 ゴウタはフォルトゥナを突き飛ばし、ソウタに襲い掛かった。

 彼の丸太のような4本の腕が取り囲むようにソウタに迫る。


 フォルトゥナは竪琴を構えたソウタが吹き飛ばされるのを、ただ見ているしかなかった。

「俺様を、二度とその名前で呼ぶんじゃねえ!」

 空気が震えるほどの強烈なゴウタの張り手はソウタを洞窟の壁へと叩きつける。

「か……はっ」

 肺の中の空気をすべて絞り出され煩悶するソウタ。


「見たか!俺様の張り手を!全盛期の……いいやそれ以上のキレさ!それがなんだ!!俺様は二度とあの土俵にゃ戻れねえ!!意味がねえんだよこんなものにゃあよ!」

 びりびりと洞窟内の空気を揺らし、ゴウタは咆哮する。その怒りの叫びの奥には、枯れ果てた悲しみの感情があった。


「意味は……意味はある……」

「ああん?」

 竪琴を支えに膝をつくソウタの言葉に、ゴウタは眉をひそめる。

「意味はあるじゃないですか……だって、僕たちはまだ……生きているんだから!」

「なにいってんだてめえ」


「生きているなら……まだなんだってできるんです。僕たちは……女神さまにそのチャンスをもらった仲間なんですから……」

「おめでたい野郎だな!そもそもこの女がヘマしたせいで俺たちゃ死んだかもしれねえんだぞ!」

 ゴウタの言葉にびくりと肩を震わせるフォルトゥナ、だがしかしソウタの目は穏やかに彼女を見つめていた。


「いいえ……僕はそれでも、女神さまが僕に生きていることの素晴らしさを教えてくれたことに感謝しています」

 ソウタの言葉はあくまでまっすぐであり、嘘偽りなどなく、だからこそフォルトゥナの心を強く動かした。

「ソウタさん……私は……」


 フォルトゥナのもらしたつぶやきに、ソウタは笑顔を見せた。

「本当にありがとうございます、女神さま」

 ゴウタの容赦ない蹴りがソウタを吹き飛ばした。

「いい加減うぜえよ、てめえ」

 ゴロゴロと洞窟を転がるソウタ。吹き飛ばされた竪琴がからからと音を立ててフォルトゥナの目の前へと滑り込んだ。


「まだ生きてるかぁ?これでもまだ何かてめえにできるってのか!?ああん!?」

 青筋を立ててまくし立てるゴウタ。ソウタの全身にはゴウタに痛めつけられた擦過傷に加え、腰のナイフによる傷もパックリと開き血がどくどくと流れ出ていた。

「ちっ、気分が悪い……死にかけのくせに説教垂れてんじゃねえ」

 ソウタは息も絶え絶えで、顔面は明らかに血の気を失っている。


「ソウタさん……」

 フォルトゥナはソウタの竪琴を手に取り彼の元へ歩き出した。

「ソウタさん……!」

「女神さま……」

「ごめんなさいソウタさん……私を助けに来てくれたのに……私は何もしてあげられない……」

「いいんです、僕は貴女に助けられてから……貴女のお役に立つことができれば……それだけで……」


 ソウタの口から一筋の血が流れ落ちる。彼の命は今、失われようとしている。

「だめ……だめです、ソウタさん……!」

「ごめんなさい……最後まで貴女のお役に立てずに……」

「いやだっ!やだ……待って!私……私こそ……」

 今、フォルトゥナの目の前でまた命が失われようとしている。だが彼女にはもう、それをどうにかできる力など無いのだ。


「どうして……私には何もないの……!どうしてっ!」

 涙が落ちる。フォルトゥナの頬を、差し伸べられたソウタの指が優しくなでた。

「泣かないでください……女神さま」

「ソウタさん……」

 ソウタの手を、震えながらフォルトナが握る。


「女神さまは……僕の太陽……だから、笑っていてください……」

 ソウタは弱々しく微笑んだ。

「はぁー、茶番はそこまでだ」

 ゴウタは頭を掻きながら洞窟の奥に向かうと、ガラクタの山の中から大きな棍棒を取り出した。

「もう殺してやるよ」


 フォルトゥナが振り返ると、棍棒を肩に抱え迫るゴウタが見えた。

 フォルトゥナは咄嗟にソウタに覆いかぶさった。

「おい、邪魔だ駄女神」

 ゴウタの脅すような声にフォルトゥナはいやいやをするように首を振る。

「ダメです!ソウタさんは、私が守ります!」


「何を……だめです女神さま……」

「ダメじゃありません!私には何もないけど……命を見捨てるなんて、できません!」

「女神さま……」

「そいつは放っておいても死ぬんだ、その位分かるだろ。余計な手間増やさせんじゃ……?」


 ソウタの胸に覆いかぶさり、必死に祈るフォルトゥナ。

(((お願い……どうかこの人を……死なせないで……!)))

「め……がみ……さま……」

「てめえ、何をした!?」

(((お願い……えっ?)))


 違和感に顔を上げるフォルトゥナは、ソウタの傷の周りからあたたかな光が漏れ出ていることに気が付いた。

「これは……?」

「おいてめえ!そりゃなんだ!」

 ゴウタもフォルトゥナも、突然の出来事に戸惑っている。ただ一人、ソウタだけが、何が起きているかを理解することができた。


「ああ……感じます。女神さまの力を……これは貴女の……奇跡……」 

「ソウタさん?しゃべっちゃだめです……もしかして、これ……」

 フォルトゥナは光を見つめ、そして手でそっと触れた。

 フォルトゥナの震える指先が光に触れると、あたたかな光はより輝きを強める。

「この光は、私が……?」


「はい、これは……女神さまの、優しさのかたちです」

 ソウタは微笑みながらそう答える。肌には徐々に血色が戻りつつある。フォルトゥナは光に両手を突っ込んだ。

「私に何かできるなら……私がこの光を使えるのなら……お願い!ソウタさんを助けて!」

 フォルトゥナの祈りが光にこもると、七色に溢れ出しソウタの体を包んだ。


「ぐっ何だこの光は!」

 ゴウタがまぶしさに眼を背ける。やがて光が収束すると、果たしてそこには両の足で立ち上がるソウタの姿があった。

「な……バカな!てめえは死にかけだったじゃねえか!」

「ええ、でも、女神さまが癒してくれました。僕を救ってくれたのはこれで二度目ですね!」


 自身の成したことに呆然としていたフォルトゥナに、ソウタは手を差し伸べる。

「は、はいっ!」

 その手を取り、フォルトゥナはようやく立ち上がる。さっきまでは何もなかった自分に、今は何かができる。

 フォルトゥナは、ようやく自分の足で立ち上がることができた気がした。

「なんなんだてめえらはよ……ああん!?」


 二人の前にゴウタが立ちふさがる。四本の腕にはそれぞれ棍棒が握られ、怒りの形相とともに阿修羅像を思わせる威容である。

「剛竜山さん……」

「その名前で呼ぶんじゃねえ!俺様はもう相撲にゃ戻れねえ!俺様はゴウタ、山狩りゴウタの名で通った山賊よ!舐めた奴らはただじゃあ置かねえ!」

 ゴウタは棍棒の一本をソウタへ向ける。ビュンと切った風を真正面で受けながら、ソウタはキッとゴウタを睨んだ。


「いいでしょう、ゴウタさん。僕は貴方を許せない。女神さまを侮辱しようとした貴方を!」

 一歩前へ、フォルトゥナをかばうように進み出たソウタは、フォルトゥナから竪琴を受け取ると胸の前で構えた。

「優男が、ケガが治ったくらいでもう勝ったつもりか?俺様を舐めるのもこれまでだ!!」

 ゴウタの棍棒が次々と地面を打ち鳴らす。ソウタの指が竪琴の弦をなぞる。


「ど、どうして。ソウタさんやめてください!」

「女神さま、少しだけ待っていてください。貴女を必ずお守りします」

 フォルトゥナの制止も虚しく、彼女によって二度目の生を受けた男たちは再び火花を散らそうとしている。

 ピン。ソウタの竪琴が甲高い音を立てる。瞬間、ゴウタの巨体が風を切りソウタの周囲に四本の棍棒が押しつぶすように迫る。


「くたばれーーッ!!」

 四本同時に振るい抜かれた棍棒がソウタの頭を、腕を、腰を、膝を!粉砕する!

 少なくともゴウタはソウタの肌に棍棒が触れる瞬間までそう確信していた。だが!

「げぶっ!」

 四本の棍棒は空中で互いを撃ち合い、中で押しつぶされるはずのソウタはゴウタの右側面に既に移動し、竪琴でゴウタのこめかみを殴りぬいていた!


「ば、バカな……!」

 ゴウタは突然のソウタの加速に驚愕する。

 ピン。先ほどと同じ音が鳴り、右側面にいたはずのソウタは一瞬にしてゴウタの左側面へと回り脇腹を――肝臓めがけ竪琴を振るう!

「おげええっ!」


 ゴウタは腹部を襲う鈍い痛みに嘔吐!だが闘志は未だ尽きずソウタを睨みつけると二本の左腕で棍棒を振るう。

「なんだその竪琴はァーーッ!!」

 ゴァン!ゴァン!振るわれた強烈な棍棒の連撃を竪琴で受けるソウタ。だがぎりぎりと棍棒を押し込まれていく。


「このまま押しつぶしてやる!」

 左の棍棒で押し込みながら、ダメ押しの右棍棒を振りかぶる!

「ソウタさん!」

 フォルトゥナの声にソウタは、竪琴で答えた。

 ポロロロロン。


「な……あああ!?」

 棍棒で押し合うゴウタの左腕に奇妙な振動が走る。竪琴の奏でた音が棍棒の内部で異常反響している!

「あああ!これは!」

 バァーン!恐るべきことに、反響し続ける竪琴の調はついに棍棒自体を破壊してしまった!


「ぐあっ!」

 衝撃に態勢を崩すゴウタの耳に、新たな調が飛び込んでくる。

 ポーン。

 次の瞬間、ゴウタの足にかつてどの力士からも受けたことが無いほどのすさまじい衝撃が走る。

 一瞬丸太のように膨れ上がったかに思えたソウタの腕が竪琴を振るい、ゴウタの巨体を地面へと倒した!


 ゴシャアン!ガラクタの山を勢いよく粉砕しゴウタの巨体が崩れ落ちる。

(((異常だ!さっきからおかしすぎる!あの細っこい野郎にこんな力があるわけがねえ!)))

 なかば昏倒しつつゴウタは思考する。あの竪琴だ。あの竪琴の音色が原因だ。

(((もしかして……!?)))


 どさり。倒れこんだゴウタの胸の上に何かがまたがる。

「て、てめえ……」

 それは当然ソウタであった。ゴウタに馬乗りになったソウタはコトリと竪琴をゴウタの胸の上に置き、そして弦に指をかけた。

(((ま、まずい……!さっき棍棒にやったあの衝撃を……俺の心臓にかまされたら……俺はどうなっちまうんだ……!?)))


「あ、アニキ!」

「アニキ!」

 洞窟の入り口から声。意識を取り戻したギミーとリダッヒの二人がふらつく足取りで駆け付けたのだ。

 しかし彼らの助けはとても望めない。距離が遠すぎる。


 初めて眼前の優男に恐怖を覚えたゴウタは、反撃を迫られる!

(((どうすりゃいい!こいつを引きはがさなきゃ……こ、殺される!)))

 ゴウタは逡巡する。左手には何もない。右手には、まだ棍棒が握られている。

「う、うおおおおおおおおーーーッ!!!」

 ゴウタは決断!右手に残る棍棒でソウタを撃ち据えんと振るう!だが!


 ポロン。

「がっ――があああ!!」

 ソウタの爪弾きが速い!しかし遅れて棍棒をまともに受ける!

「がはっ!」

 胸の上から叩き落され地面を転がるソウタ!


「ソウタさん!」

 フォルトゥナが駆け寄る。ソウタは頭から血を流しているが、意識ははっきりとしている。

「が、がが、がああああ!」

 一方気力を振り絞り立ち上がるゴウタだが、胸の中で反響する竪琴の調べに踊りを踊るように体が跳ね続け、そして。


「がっ」

 白目をむいたままゆっくりと大の字になり倒れてしまった。

「「アニキーーッ!」」

 ギミーとリダッヒが意識を失ったゴウタに縋りつく。だが昏倒は深く、目を覚ます気配はなかった。


 ソウタはよろよろと立ち上がり、竪琴を胸の前で構えた。

「ゴウタさん……貴方が最後少しでも貴方自身に、剛竜山の張り手に誇りをもっていたなら……もしもあの時棍棒ではなく、……!」

 竪琴を構えながらソウタは歩き出す。


「もし貴方が張り手で僕を攻撃していたなら、きっと勝者は貴方でした」

 ソウタは竪琴の弦に指を添える。

 ゴウタを見下ろす位置で、彼は――


「ソウタさん、ダメっ――!」

 フォルトゥナの叫びが洞窟内にこだました。

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