その4

この空には月は二つある。一つは兄月、もう一つの一回り小さな月は弟月と呼ばれている。その二つは今分厚い雲に覆われ、森を行く三人組の姿を闇に隠してしまっていた。

「……あ、あの」

フォルトゥナはおびえ切った声で前を行くギミーに話しかける。

「静かにしていろ、何回言えばわかるんだ」


ギミーに冷たく切り捨てられ小さく悲鳴を上げたフォルトゥナは、助けを求めるように後ろを歩いているリダッヒをちらりと見た。

リダッヒは振り返ったフォルトゥナに気づくと、わざとらしくナイフを取り出し、下卑た笑いを浮かべながらべろりと舌で刃をなぞる。


「ひぅっ!」

フォルトゥナは慌てて正面に向きなおろうとし、足をもつれさせた。

「わ、っとと」

「おい、何をしている、きりきり歩くんだ」

イラついた様子のギミーが倒れかけたフォルトゥナを乱暴に掴み上げ立たせる。


「だ、だって……暗いし道はでこぼこだし、どこへ向かってるかもわかんないし……」

「口答えをするな。黙ってついてくれば危害は加えないと言っているだろう」

ぎろりと睨まれ何も言えなくなるフォルトゥナ。彼女の胸のあたりまでしかない背丈の二人組ではあるが、今の彼女には抵抗のしようもなかった。

風に髪が巻き上げられる。いつの間にか彼女は髪留めを無くしていた。


(((この感じ……)))

フォルトゥナはふと、天界での出来事を思い出していた。すなわち、彼女が天界の大法廷にて有罪判決を下され、嘆きの淵へと連行された時の事である。

(((うう……あの時も、こんな風に何を言っても聞いてもらえなくて、そして私はあの恐ろしい所へ連れて行かれて……)))

フォルトゥナの胸は今や恐怖ではち切れんばかりであった。心臓は一度も経験したことがないほどに速く脈打ち、首筋を汗が伝う。


(((私……こ、これからどうされるの?まさか……こ、殺されてしまうの?)))

混乱するフォルトゥナの耳元で声が響く。

「いっひっひ、これから向かってるところは、おいら達のアジトっスよ」

「うひゃあっ!」

驚いたフォルトゥナは再び足をもつれさせ今度こそ転んでしまう。


「リダッヒ!」

「いっひっひ、わるかったっスね、め・が・み・さ・ま」

「ったく……いつもならもうとっくにアジトに着いてるってのに、女がいるだけでこれか」

「アニキ、きっと首となが~くして待ってるっスね」

リダッヒに腕を引き上げられながら、フォルトゥナは一つの言葉が耳について離れなかった。


(((今この人……私の事を女神さまって……もしかして、この人たち)))

フォルトゥナは恐怖に押しつぶされそうになりながら、道なきを歩く。

その先に待つものを、彼女はだんだんと理解し始めていた。




―――――――――――――――――――




「たのしかったぜ兄ちゃん、明日も頼めるかい?」

「ええ、よろこんで」

農村の小さな宴は終わりをつげ、村の男たちはめいめいに家路につき始める。

ソウタは水袋から水を口に含むと、歌い続けて疲れた喉をようやく人心地つけさせた。


ぱちぱちと爆ぜる焚火の火で暖を取りながら、ソウタはきょろきょろとあたりを見渡した。

「う~ん、女神さま、覗きに来てくれなかったなあ」

フォルトゥナが見に来てくれるかもしれないと、ソウタはいつもよりも多く、そして大きな声で詩を紡いだ。

結果として宴は大盛り上がりとなったがフォルトゥナの姿はついに見えず、ソウタは少ししょんぼりとしていた。


「よし、帰って明日からのことについて話し合わなきゃ」

ソウタは竪琴を手に取ると足早に広場を立ち去る。

「えへへ……女神さま、本当に女神さまなんだ」

ソウタの頬は気を引き締めていなければ、たちまち緩んでしまう。

「女神さまの力にならなくっちゃ」


竪琴を握る手に力が入る。彼が決意を新たに老婆の家の玄関をくぐると、果たしてそこには椅子に座り船をこぐ老婆の姿があった。

「おばあさんおばあさん、こんなところで寝ていては風邪をひいてしまいますよ」

「んあ?おお詩人さんかね」

老婆はしわくちゃの目をこすると、ソウタの後ろを覗き込んだ。


「あんた、娘っこはいっしょでねえか」

「えっ?女神さまですか、いいえ?」

「あんの娘っこ、夜風にあたるいうて出てってしもうて、まだ帰ってこんのよ。あんたの所にいっとったんと違うけ?」

ソウタは寝室を覗く、フォルトゥナの姿はない。


「おばあさんは寝ててくださいね」

そういうとソウタは矢のように飛び出していった。

「あんた、気をつけんね!ここら最近山賊がでるち!」

老婆の声を遥か遠くに置き去りにし、ソウタは村を駆けた。

「はぁ、はぁ……女神さま!」



呼びかけるが返事はない。闇へと吸い込まれていく。

「女神さま……女神さま!」

あてどもなく走り続けるソウタだったが、やがて息が切れてきたのか立ち止まり大きく肩を上下させる。

「はぁ……はぁ……いやだ、どこに行ったんですか女神さま……やっと、やっと出会えたのに」


再び顔を上げ捜索を再開しようとしたソウタは、腰に下げた彼の竪琴がかすかに震えていることに気が付いた。

「これは……」

彼は竪琴を手に取る。その震えは、ある一定の方角を指し示している。

ソウタは慎重にその感覚を探り歩き出した。


「僕を呼んでいるんですか……?」

震えは徐々に強くなる。風が吹き、分厚い雲に隠れていた二つの月が、ソウタの道先を照らし出した。

「あれは……!」

月明かりを反射した何かが道の上で光っている。ソウタは駆けだす。彼は竪琴を放ると道に落ちていたものを拾い上げた。


「これは……女神さまの髪留めだ」

それは彼女の亜麻色の髪を留めていた小さな鳥の姿を模した装飾品。彼女は今叔母にいた。そして何かの理由で髪留めだけを残し、姿を消したのだ。

「そんな……女神さまーーッ!」

ソウタの叫びはしかし、むなしく闇に吸い込まれた。


「女神さまの身に何かあったら、僕は……!」

煩悶するソウタの耳に、澄んだ音色が届いた。

「これは……」

それは彼の竪琴から聞こえてくる。ひとりでにソウタの竪琴が音を奏でているのだ。

「……て」


「この声は!」

竪琴から聞こえてきたのは、聞き間違えようのない声。

「……すけて」

ソウタは竪琴を掴んだ。

「……助けて!」

それはソウタの脳に直接響いたかの様だった。それは紛れもなくフォルトゥナの助けを求める声であった。


「っ!今行きます、女神さま!」

ソウタの目は、暗く闇に沈んだ山を見据える。

フォルトゥナは、この先にいる。

ソウタは確信を抱き山を駆けのぼり始めた。




――――――――――――――――――




道なき道をゆくフォルトゥナはすでに疲労困憊し、倒れずに歩くだけでやっとであった。

「ったく、女の足じゃ山道はきつかったか」

「おいらたちで簀巻きにして抱えて運べば早かったっスよ」

「そんな扱いしてみろ、アニキに殺されるぞ。」


ギミーとリダッヒの二人の軽口も、行軍の遅さによるいら立ちを隠すためのものだ。

フォルトゥナは、あの時嘆きの淵へ連れて行かれた時の事と今の状況がだんだんと入り混じって感じられるようになってきていた。

今歩いているのは山道か、それとも無機質な石造りの回廊なのか。

皮肉にも彼女を連れたてる二人の軽口が、フォルトゥナの意識を現実につなぎとめていた。


「はぁやれやれ、やっとっス」


リダッヒの声にフォルトゥナが顔を上げると、そこには洞窟の入り口があった。入り口に立てられた松明の火に照らされたそれは、巨大な魔物の口がガバリと開かれているようにも見える。


「入れ」

ギミーの声が冷たく響く。

「えっ?」

「ここから先は、お前ひとりだ」

ギミーはそれきり無言でフォルトゥナを睨む。リダッヒはにやにやと薄ら笑いを浮かべるだけである。


フォルトゥナは恐怖に震えながら、おずおずと洞窟の中へと足を踏み入れていった。

壁に掛けられた松明はが洞窟内を激しく照らしつけている。

そしてその奥、大きな空洞広場となった場所にはあちこちに松明や篝火が置かれ、乱雑に積まれたガラクタの山を煌々と照らしていた。


「あ、あの……」

洞窟内にフォルトゥナのか細い声が響き渡る。無人なのか?フォルトゥナがいぶかしんだその時であった。

「ほっほう……こいつは驚いた」

洞窟の中央、ガラクタの山だと誤認していたそれが、むくりと立ち上がった。

「マジじゃねえか、女神さま、ハッハッハ!」


それは髪を短く刈り込んだ、2メートル近い体躯の大男であった。

「うひゃあっ!な、なん……誰ですか?」

大男は腕を組んだままフォルトゥナをしげしげと見つめる。

「ほお、女神さまはいちいちお恵みを与えてくださった人間の顔なんて覚えちゃあいねえってことか、悲しいねえ」

わざとらしく首を横に振る大男。


「じゃ、じゃあやっぱり貴方は……」

「そうよ、俺様は、あんたのおかげでこんな世界に転生させられちまった、哀れでかわいそうな、ゴウタ様よ!」

大男――ゴウタは腕を組んだままフォルトゥナに向けて指を突き付ける。――腕を組んだままで?


「えっ、その腕、ええっ?」

「おいおい、そんなバケモノを見たような顔しねえでくれよ女神さまよお、てめえのおかげで俺様はこんな体にされちまったってのによお!!」

ゴウタは叫び、威嚇する熊のように大きく腕を広げた。彼の、



「てめえだぜ!?てめえが俺様をこんな風にしたんだぜ!それとも、俺たち人間風情に何が起ころうと女神さまには関係ないってのか!?」

洞窟中に響くゴウタの怒声。

びりびりと全身にその怒りを感じながら、フォルトゥナはショックを受け止められずにいた。

「私が……私が転生させたから……?」



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