第10話 森の忘れ物

 オルフェナからの着信は、そもそもあり得ない。

 そもそもオルフェナは自動車メーカーが付けた車の名前で、いわゆる大衆車に当たる車だ。

 八人乗りのミニバンで、ガソリンと電気のハイブリッド自動車なのだけど、車の機能として最新鋭の人工知能が搭載されてはいる。

 ただ最新鋭と言っても、インターネット経由で情報を照合して簡易的なサポートすることくらいしかできない。


 それに、昨日の時点で鍵を持ってきているので、車が勝手に通信をしてくる……もとい、自律走行機能は技術的に、まだ公に提供されていない。いや、そもそも不可能か。インターネットすら接続されていないのだから。



「……お、おかあさん……」

 夏梛が怯えた様子でスマートフォンを手渡してきた。機械にあまり強くない桃華は、そのまま篤紫に手渡した。


 篤紫は、画面に表示されている番号を確認した。

 ……確かに、オルフェナのナビに挿してあるシムカードの番号からの着信だな。……まじか。



『ピロリロリン…ピロリロリン…』

 未だに呼び出しのベルが鳴っている。

 とりあえず、電話に出てみるか……。

「あー、もしもし……?」



『オルフェナだが、夏梛の携帯でよかったかな?』

「……ま、マジですか」

「もしかして篤紫さん、車と話をしているのかしら?」

 篤紫はその場で固まった。横で聞き耳を立てていた桃華も、目を見開いた。声は中性的な声で、機械の音声ではない、まるで生きているような声音だ。


『ふむ。我は、気がついたら森の中にいるのだが、オーナーらは今どちらにいるのだ?』

「うわあああ、やっぱり車が喋ったぁぁぁあああ!」

 篤紫は動転して夏梛のスマートフォンを手から滑らせてしまう。テラスの石の床に落ちて、カランカランと小気味よい音を立てて転がった。

「お、おとうさん……あたしの電話……」

「うわああ、ご、ごめん」

 篤紫は動転して目を回している。


 篤紫が動かないので、桃華が代わりにスマートフォンを拾い上げる。石の床に落としたにもかかわらず、画面にも側面にも傷一つ付いていなかった。

「えっと……まさか車と会話できるとは思わなかったわ……。

 電話の向こうはオルフェナでいいのかしら?」

『我ならば、オルフェナに間違いないな。

 今度はオーナーの奥方様か、オーナーはなかなか洗車してくれないから、そろそろ洗ってほしいと伝えてはくれないだろうか?』

 いいえ、我が家の愛車は決して喋ったりしません。

 思わず桃華は電話を切った。



『ロンロンロロン、ロンロロン』

 今度は桃華の携帯に電話がかかってくる。

「はい」

『電波が悪いのだろうか? この番号は奥方様の番号で間違いないか?』

 桃華はいつもの習慣で、流れるように電話に出ていた。


『我の状況はいま確認できた。

 どうも我は、木に挟まれてて身動きがとれないから、放置されたようだな。さすがに森の中で独りは寂しいぞ。

 そういえば、今日の目的地は遊園地ではなかったのか?』

 この車、よく……喋るわね。桃華は苦笑いを浮かべた。


『とりあえず、位置情報を送ってもらえないだろうか? こちらから向かうようにする。抜け出すだけなら容易だ』

 えっ? 今、なんですって?

「いや、さすがに自動運転は付いていないはずよ? こっちに来るなんて無理よ、オルフェナさん……」

 ……なんで私車と会話しているのかしら?


『我を侮るでない、目的地さえ分かれば、ちゃんと走って行けるぞ。

 奥方様ができないなら、オーナーに変わってもらえないか?』

 桃華は、あきらめた。篤紫にスマートフォンを渡して、オルフェナに位置情報を送信してもった。

 


 なんともいえない空気になった。

 そもそも、車が勝手に走ってきて、スワーレイド湖国の門をくぐれるのかだろうか?

 慌てて篤紫は自分のスマートフォンから、オルフェナに電話を掛けた。


『こちら、オルフェナ。どうも雪が多くて走りづらい。

 変なオオカミが襲ってきたのだが、あれは何だ? 適当に倒して、倉庫にしまっておいたが。ここは日本ではないのか?

 ところでオーナー、どうかしたのか? さすがにまだ着かんぞ』

 いったいこの車は何を言っているのだろうか?


 オオカミと言えば、昨日車ごと襲ってきたヘルウルフのことだろう。それを適当に倒して、どこかにしまったと? 何の話だ?

 当たり前のように会話してくるんだが、こいつ車だよな?


 常識が羽を生やして飛んでいく……。

 

「いや、今いる場所はスワーレイド湖国という場所なのだけれど、車が勝手に走ってきても入国できないと思うぞ。

 今のところだが、この国には馬車はあっても自動車はないんだ。さらに魔法が存在しているから、下手すると敵襲扱いで攻撃されるかもしれん」

『ふむ、そうなのか。その程度の問題であれば大丈夫だな。

 魔法ならば、大丈夫だ。理解している。

 入国の件は、我がなんとかするから、安心して待っておるがいい』

 通話が切断された。


 あいつ、勝手に電話を切りやがった。あの車、こんな性格だったのか?

 三人は顔を見合わせてため息をついた。





「お待たせしました。

 ……みなさんお疲れの様ですが、何かありましたか?」

 用事を終えたタカヒロさんが、喫茶店まで来た。

 ことのあらましを話すと、目を見開いて驚いた。


「ど、どうしよう、騒ぎになってしまう」

「北門まで、急いで向かった方がいいんじゃないかしら?」

「いえ、ここから北門まで徒歩ですと一時間ほどかかりますよ」

 北門はかなり遠いらしい。

「オルフェナが勝手にとはいえ、全力で自走してくるとなると、とても間に合わない」

「そもそも、本当に走ってくるのかな?」

「無理……じゃないかしら……」

 全員で頭を抱えた。





『お待たせしたなオーナー』

 突然、さっきスマートフォンから聞こえていた声が、足下から聞こえてきた。四人は驚いて立ち上がった。

 全員の視線が篤紫の足下に注がれる。


 そこには、メロン程の大きさの羊が、篤紫を見上げていた。

 雪のように白く、モコモコの毛皮。つぶらな瞳に、頭頂に生えている二本の巻き角がかわいい、羊だ。


 そう、羊なのだ。


『ん? どうしたよ、オーナー。何を固まっている』

 ひ、羊が喋ったああぁー!

 篤紫は思わず後ずさった。


「え……と、人違いです?」

『何を言っておる。我とオーナーは、新車でナンバーを登録して以来の仲ではないか。名義もちゃんと白崎篤紫となっておるぞ』

「……マジですか」

『うむ。我はオイルを自分で浄化できないから、オイルをこまめに替えてくれていたのは、とてもありがたかったのだ。

 今までずっと、声を掛けていたのだが、聞こえていないようだったがな。

 他の人間に比べて、いいオーナーであるぞ。

 スーパーの駐車場で他の車と話をしても、オイルをなかなか換えてもらえない車が、ほとんどだったぞ』

「えぇ……」

 相変わらずよく喋る羊? だ。篤紫はあきらめて、納得することにした。

 間違いなく、この羊は自分の車であるようだ。


「オルフェナさん……でいいのかしら?」

 桃華も羊に声を掛ける。

『奥方様、どうされたのだ?』

「どうして羊の姿なのかしら?」

『ふむ、そんなことか。我は車であり羊でもあるのだが、なぜかと問われてもわからぬ。いまは羊である。

 どちらかの姿しか選べぬが、どちらの姿にもなれる。さすがに、ここでは車にはなれぬがな』

「変身できるということかしら?」

『そういうことだな。ただ、この姿なら会話ができるが、車のだとまた電話をして会話することになるぞ』

「そ、そう……なんだ」

「あたしは、羊さんの姿がいい」

 夏梛がオルフェナを持ち上げて、ギュッと抱きしめた。


『我も普段はこちらの方が楽だから、問題ないぞ』

「うん! オルフェナよろしくね」

『お嬢、これからもよろしく頼むよ』

 話がまとまったようだ。


 一連の話を、タカヒロさんが温かい目で見守っていた。

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