4-2-2 天命の書板



「四藏匡人と艶島九蟠の両名がMCGから消えた」


 こつ、こつ、と緩やかな間隔で靴音を響かせながら、黒のローブに身を包む天海祈あまみ いのりは尋問する。


艶島九蟠つやしま くばんは……お前の管轄であったな、十二林じゅうにばやし杣入そまり

「……はい」


 何もない殺風景な部屋の中央に、ポツンと椅子が置かれている。そこに座らされている十二林杣入は、息の詰まるような威圧感を全身で感じ取っていた。それもその筈、目の前の天海祈は普段伝令や斥候として使われるような『分体』ではなく、その大元たる『本体』なのだ。

 一言でも対応を誤れば……その時点であっさりと死にかねない。

 どうにか、間者の疑いをはらさなければ。


「で、ですが、研修以上の接触はありません! 確かに、人工島では彼等と共に行動しましたが、その間、艶島九蟠は完全に私の監視下にあり、不審な接触はありませんでした! アナタだって、それは監視カメラで確認された筈です。恐らく、彼女と四藏匡人の接点は普段の業務内で構築されたのでしょう。私に責を問われても……こ、困ります!」

「ふんッ――まだるっこしい。書類上は誤魔化せても私の目は誤魔化せんぞ」

「え、なっ――!? ぐ、がぁ、あ……!」


 突然、どこからともなく現れた大量の靈瑞みずが十二林杣入の頭部を覆った。靈瑞みずは、耳、目、鼻、口、毛穴――ありとあらゆる穴から体内へ侵犯し、その内部を尽く支配する。どこかで対応を誤ってしまったのか? そんな刹那の思考すらも、靈瑞みずは余さず塗り潰してゆく。

 やがて、十二林杣入が小さく痙攣を繰り返すだけの肉塊と化すと、天海祈は靈瑞みずを引き上げさせた。


「ふむ……これまでは他の連中の相手にかかりきりだったが……そうか、四藏匡人はそんな事を考えていたか! やはり――見込んだ通りに『いい素材』だった。遂に巡ってきたようだな、私にも天運というやつが……!」


 四藏匡人の離叛を知り、天海祈は心から喜ばしく思った。長年の苦労が報われるかもしれないと思うと、湧き上がる歓喜の笑みを抑えきれなかった。

 一頻り笑声を部屋内に響かせた後、まだ残った余韻を楽しみながら、天海祈は十二林杣入の肩をポンと叩いた。すると、十二林杣入の意識はハッと再起動する。


「暫くは四藏匡人の相手を集中的にしてやるか。十二林杣入、これ以上は読まん。無粋だからな。是非とも当人の口から聞きたい。。興味が湧いた。楽しみだ」

「は、はい……仰せのままに、いのり……様……」


 十二林杣入には、新たな『首輪』が付けられた。植え付けた忠誠心に従う十二林杣入の様子を確認し、満足気に頷いた天海は、分体のように床へと溶けた。



    *



「――まさか、にいちゃんがそないな強行的な手段に出るとはなぁ」


 画面の向こうで[やまなみ・treow]が困ったように笑う。そうか、これは予想外か。そうだろう、そうだろう! お前と会った時はまだ構想段階にも至っていなかったのだから。全てが即興、故に読める筈もない。

 ここは、とある蕃神信仰の所有する廃墟だ。拡張領域内には、外部からの通信も届かない。その為、連絡を取るには一々出なくてはならない。実に不便だ。

 俺は、その廃墟内に積まれていた壊れかけの椅子を引っ張り出してきて座った。


「現代魔術聯盟に俺の身を全て任せる訳にはいかないからな。存外に容易い事だったよ。『首輪』を解いたお陰でね。しかし、これでもそっちの要求は満たしている。MCG機関には内偵を残してきているし、蕃神信仰との繋がりもこうしてしている。文句はないだろう?」

「まあ……なあ」


 思う所がない訳ではないようだが、それでも俺の行動を受け入れてくれるようだ。俺が忌術師の何人かを取り逃がした事を気にしているのか? しかし、それは要求になかったからな、こちらの責任ではない。ぎゃはは。

 ともかく、これは嬉しい。向こうがゴネたなら、幾らか譲歩する事も視野に入っていた。

 しかし、そんな浮かれ気分も、次のクソガキの言葉によって瞬時に冷え切ってしまう。


「せやけど、なんや企んどるみたいやん?」

「……知っていたか」

「くく、こっちの放った内偵は日本支部の分がなくなっただけで他は大体いきとる。情報が全くないっちゅう訳やないからな。あれだけ派手に宣言すればウチの耳にだって入ってくる」


 成程ね、やはり俺は穴埋めか。予想していた内の一つだ。

 しかし、ここで無用の警戒心を抱かせてしまうのは本意じゃない。もし、MCG機関のみならず現代魔術聯盟とまで事を構えるなんて事になれば、今の弱りきった蕃神信仰では一ヶ月と保たない。当然、俺の計画達成は困難を極める。

 今すぐに目的の全てを伝える訳にはいかないが、敵対の意思がない事だけは示さなければならない。


「蕃神信仰は、現代魔術聯盟の〝Ascensionアセンション〟達成の為に尽力する。だが、同時にこっちはこっちでやりたい事がある。そっちを全面的に信用している訳じゃないから詳しくは話せないが、俺を含むクローンに取ってはとても重要な事なんだ。それは、必ずしも現代魔術聯盟の方針と反目し合う性質のものではないと思っている。重なり合う部分も多い。まあ、口で言っても信じないタチだろう、お前は。協力の意思は、精々働きぶりで示すとするさ」

「ほ~ん……そりゃ結構、結構」


 クソガキは、遠慮もなく懐疑の目をぶつけてくる。こっちの主張を唯々諾々と受け入れるつもりはないのだろう。しかし、俺にこれ以上の説明の意思がない事も分かっている筈。ならば、今度はこの流れで適当な探りを入れてくる筈だ。


「なあ、聞く所によると、日本の何処かの支部を襲うんやろ? どや、協力の礼としてウチらも参戦したろか?」

「断る」


 そら来た。見え透いてんだよ、クソガキが。お前に何の情報を渡し、何処まで介入させるか、裁量は俺が決める。好き勝手はさせない。お前の出番はの予定なんだよ。俺の頑なさが伝わったか、クソガキは画面の向こうで不満そうに呆れ顔を浮かべた。ふん、この辺りでいいか。話題を変えよう。


「それより、はやく本題に入ってくれよ。現代魔術聯盟の『目的』や、それを達成する『手段』、そして達成したに描く『展望』について。俺はそれを聞くのが楽しみで三日前から寝れなかったんだぜ」


 蕃神信仰は『鈍色の鍵』なる現象を引き起こし、第四次元宇宙に至る事を最上の目的と定め、その為に三つの解を導き出した。

 一番目の解――『神楽舞により上位者の認可を受ける』

 二番目の解――『自身を上位者とする』

 三番目の解――『高位存在の神楽舞により上位者の介入を招く』

 何れも仮説・実験段階の解であり、未完成だ。

 しかし、そんな手探り状態の蕃神信仰と違い、現代魔術聯盟は上位次元、上位者の役割というものをより正確に認識し、そこへ到達する確固たる道筋ばかりか、成し遂げたをすら見据えているという。

 本質的には似て非なるもの……クソガキは確か、蕃神信仰の目指す『次元上昇アセンション』と現代魔術聯盟の『それ』を比べてそう言った筈だ。

 いやはや、是非とも詳しく聞きたいぜ。他ならぬ俺の為に。


「……ええで。ほな行こか」


 クソガキは頭の中の情報を整理するかのように暫しあてどなく視線を彷徨わせた後に、ゆっくりと語りだした。


「蕃神信仰の思い違いについて話そか。奴等は第四次元宇宙への到達を目指して『鈍色の鍵』なる現象を引き起こそうと奔走しとるけども、そこにはの重大な思い違いがある。一つ、『鈍色の鍵』は現象のイメージとちゃう。二つ、第四次元宇宙だけを見てしまっている。三つ、そもそも人間は上位次元に到達できひん」

「……なに? 到達できない……だと?」


 何を意味の分からない事を……まさか、煙に巻こうとしているのか? お前ら現代魔術聯盟も上位次元への到達を目的としているのだろうが。「本質的には似て非なるもの」というのが此処でかかってくるのか? さっぱりわからない……。

 いまいち釈然としないでいる俺に対し、クソガキは「まあ、聞きいや」と続けた。


「まず一つ目、『鈍色の鍵』は現象じゃなく実在する。『アカシック・レコード』、『セファー・ラジエール』……名称は色々とあるけども、現代魔術聯盟では『天命の書板トゥプシマティ𒁾𒉆𒋻𒊏ṭup šīmāti)』と呼んでいる。そして二つ目、その『天命の書板トゥプシマティ』とは即ち第四次元宇宙じゃなく第十二次元宇宙そのものなんや。存在座標は十二に連なる零であり無限……」


 つまりは、(0, 0, 0, 0, 0, 0, 0, 0, 0, 0, 0, 0)であり、(∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞, ∞)でもあるという事か、正直に言って想像は全く出来ないが理解はできる。

 すると、画面がパッと切り替わり、何らかの物体を映し出された。代わりに見えなくなったクソガキは、「第三次元に投影した場合のイメージ」と声だけで説明した。それは、平たい板状の物体が幾つも連なった作りで全部で十二枚あった。その板状の物体は、どこそこから出土した古式ゆかしい粘土板のようにも、最新的を通り越してSFチックな合金のようにも見える質感で、非常に細かい彫金が何処までも緻密に施されていた。

 これが『天命の書板トゥプシマティ』とやらか……。

 映像はある所でふっと消え、またクソガキが映った。


「この『天命の書板トゥプシマティ』を得る事が現代魔術聯盟の当座の目的や。三つ目は、実験と研究を繰り返して『不可能』と結論づけた。資料データが欲しけりゃ上げるで。どや、質問はあるか?」

「あるさ。とりあえず資料データとやらは貰っておくとして、お前の説明には分からない事だらけだ。三つ目、『人間は上位次元に到達できない』というのに、第十二次元宇宙そのものである『天命の書板トゥプシマティ』を得ようとしている? そこの所の齟齬には《異能》が関わっているであろう事は想像がつく」

「せや」

「で、それとMCG機関を襲う事になんの因果関係がある? 確か、俺を選んだ理由にも《異能》が絡んでるんだろ?」


 クソガキは『《異能》には次元を超越し得る可能性が秘められている』と言っていたが、《異能》が必要なだけならば普通に協力を求めれば事足りるのでは? MCG機関の協力を得られずとも、個人ならば幾らかの金銀をチラつかせれば食いつく奴がたくさんいるだろう。何も、襲撃までする必要は何処にも見出だせない。

 バラ撒いた紙で言っていたように、忌術師が入り込んでいる別地球αの勢力と手を切らなかったから? それは些か短絡的過ぎる。

 蕃神信仰のように《異能》を素材として扱ったりする、人道にもとるような実験をしたいから? しかし、先の人工島襲撃に於いて変異者ジェネレイターが捕らえられるというような動きは皆無だった。殺されはしたが。

 それに、蕃神信仰には《異能》の因子を埋め込む事で変異者ジェネレイターを作り出す技術があった。その内情について幾らか詳しそうな現代魔術聯盟も、その技術の存在を知っていても不思議ではない。とすると、そちらを頼れば身内で事足りる訳で、殊更にMCG機関を襲う理由が見当たらない。


「せやなー。現代魔術聯盟も、蕃神信仰と同じように《異能》を付与できる所までは来てるしなー」


 クソガキはあっさりと俺の言葉と脳内の考察を肯定した。


「せやけど、それで作った……いわゆる養殖変異者ジェネレイターと、にいちゃんら天然変異者ジェネレイターでは、性質が異なる可能性もまだ排除しきれてへん。せやから、まだにいちゃんらは必要や」

「……《異能》を欲しがる理由は分かった。が、それは因果関係の説明にはなってないだろう。そればかりか新たな疑問も生まれた。俺はてっきり蕃神信仰の『因子を埋め込む技術』を欲しがっているのかとも考えていたんだが、そうじゃないなら何故、蕃神信仰を――というより忌術師を狙っている?」

「まあまあ、落ち着いてや。ゆっくり話したるから」


 少し前のめりに早口気味になっていた俺を宥めつつ、クソガキは宣言通りにイラつきさえ覚える程にゆっくりと話し始めた。


「忌術師に関してはなあ、別件なんやな、これが」

「別件?」

「そ! でもって、その辺りのごたごたがMCG機関を襲う理由とも一部被るんや。確かに天然変異者ジェネレイターも必要や、必要やけども! また忌術師のように無軌道に荒らされても困るっちゅう事で、一旦、全ての変異者ジェネレイターを管理下に置いてしまおうっちゅう強硬的な意見もあってな。これが困ったことに、他の世界線を軽んじる風潮と相まって多数派なんや」

「……ふ~ん。内偵というのも、その管理下に置く動きを有利に進める為で良いのか?」

「せやせや! どっかの所でを仕掛ける予定や! けど、にいちゃんらは厚遇したるからな! 安心してええで!」


 クソガキは満足気に肯定した。ぶっちゃけていうと、クソガキの答えには何やら引っかかる所がいくつかあるのだが、今はこの説明で納得しておくとする。それよりも、気になる事がある。


「だいぶ、そっちの動きが見えてきた。けれども、一番分からないのはその根っこの所だ」

「ん……? 根っこ? いまいち要領が掴めへんけど……どゆこと?」

「俺が言いたいのは、《異能》が次元を越え得るという話もそうだが、何故そんな事が分かったんだという根本的な事だ。『天命の書板トゥプシマティ』が『鈍色の鍵』の現代魔術聯盟に於ける呼び名と言うのなら、それを得る事で『次元上昇アセンション』ができる、或いは近づけるのだろう? どうして、そういう考えに至った? 何故分かる? 蕃神信仰は纏骸伝説なる口碑いいつたえを典拠にしていたぞ」

「あ~、なんや、そないな事かあ。《異能》に関しては、にいちゃんも知っとる筈やで。対象體に触れなければ発現できひん【武装励起】や、魔力素マナを触媒とする奇跡の抄訳ローカライズでしかあらへん[魔術]とちごて、《異能》は使い手のイメージを媒介して世界そのものへ干渉できる。にいちゃんの《転移》かてΒベルカンでありながら宇宙全体を動かせるやろ? そないな、ある意味ではとも取れる所に可能性を感じてるんや。ま、それが管理下に置きたがる理由でもあるんやけど」

「……『天命の書板トゥプシマティ』に関しては?」


 改めて俺がそう聞くと、クソガキはにんまりと笑みを深めた。歪な笑みだ。内面同様、外面も歪みきっていやがる。


「それは知ってて当然の事なんや!」

「だから、どうしてそう言えるのかを聞いている」

「むふふ! 何を隠そう、現代魔術聯盟の長である『真なるアーシプ』は、まだ上位者がこの第三次元宇宙を見捨ててへんかった神代の頃から、約5000年以上にわたって現在も生き続けとるからや! だから、かつて最高神Mardukマルドゥク𒀭𒀫𒌓d-AMAR.UD)が持っとった『天命の書板トゥプシマティ』もしかとその双眸で見とる! 宇宙の全てを統べる力をなあ!」



    *



 T-1地区。すっかり再建され、移転も済んだ宮城支部ビルの七階に、交渉部レッドチーム部屋オフィスはあった。

 知っての通り、宮城支部は蕃神信仰による襲撃を受けて壊滅した為、この支部に配属されている者は間に合わせの人材が多い。それは交渉部レッドチームも例外ではなく、新制されたこの部署チーム内訳うちわけは、

 変異者ジェネレイター二名――金營蕗かなえ ふき須藤史香すどう ふみか

 纏骸者てんがいしゃ二名――茱萸グミ、自称・風来坊(名無し)、

 そして元・蕃神信仰の信者一名――山川穂高やまかわ ほだか(ゲㇳシュ・若田部わかたべ後胤こういん)の総勢五名となっており、その何れもが最近MCGに所属したばかりである。

 当然、そんな者たちだけで業務が円滑に回るはずもない。その為、つい一昨日までは他支部から教育を兼ねた応援が来ていた。「つい一昨日まで」というのは、その応援が粗方もう引き上げていったからだ。

 そのような経緯で、ようやく独立運用され始めた部屋オフィス内に、一筋の紫煙が揺らぐ。と、これに青筋を立てたのが書類作成に勤しむ須藤史香だ。切れ長の目を仕事用眼鏡の奥で殊更に尖らせ、僅かに開かれた窓辺に立つ風来坊を睨みつける。


「……風来坊さん?」

「ん?」

「何度も言ってるんですけれども、いい加減に部屋の外で吸ってもらえます? 窓開いてても煙たいので! 冷房の空気も逃げるので!」


 強めの語気に激しい怒りが滲んでいた。それを分かっているから、風来坊の方も緑髪の頭を掻いて申し訳無さそうな雰囲気を出すのだが、なおも吸う手は止めない。因みに、言い分としては須藤史香に分がある。このタバコは、風来坊が自身の【瑞】を用いて作ったオリジナルで、混ぜものが多分に含まれている所為か妙に煙たかった。


「そうしたいのは山々なんだけどねぇ……こっちだって何度も言ってんだが、この宮城支部ビルには『喫煙室』とやらがないだろ? 全面禁煙。部屋の外で吸おうと思ったら窓のない廊下を行って行って行って……かなりの遠出になっちまうじゃないか。通報があった時に即応できないでは困るんだろ?」

「――それは、お前が文盲だから現場仕事を優先してやらせてんだろうがッ!」


 お決まりの返しにお決まりの癇癪。もはや周りも慣れたもので、他の者は視線を手元に固定したまま少し眉を顰めるだけだった。


「いい? 現代社会に於いて向上心の欠けた人材に価値はねぇんだよ、田舎モン! お前は現状お荷物なの……まずはそこを自覚しろッ! そっちの茱萸とかいう女みてえに勉強するか、喫煙を控えるかしろ! 結果が伴わなくともいいから、せめて全体に貢献する姿だけでも見せろ、それで溜飲が下がるから無能も大目に見てやる!」


 これはだいぶ譲歩した要求だったが、しかし「風と共に現れ、風と共に去りぬ、乱世無頼の風来坊」――と、伊達や酔狂でなく、本当にそのように生きてきた彼女に、現代日本人の説く組織人の心構えなど伝わる筈もなかった。


「うーん。だから、普段は一日十本は吸う所を七、八本に留めておるだろうに」

「ざけんな」

「おお、こわいこわい」


 風来坊は、窓辺にもたれながら最後にもう一吸いだけして、まだ長いタバコの火を携帯灰皿――これもマナーなんかに煩い須藤史香に押し付けられた物――で揉み消して自席に戻ると、今度はすやすやと穏やかな寝息を立て始めた。あまりの舐めた態度に再びトサカにきた須藤史香が声を荒げようとするが、ここで見かねた山川が諌めにかかった。


「まあまあ、別地球αの俺たちがいた日本はこっちよか殺伐としてんだよ。それこそ、こっちでいう『戦国時代』さながら。福祉という概念も薄く、無為に強権的で息苦しい所さ」

「知らない。不遇は努力を怠る理由にならない。自己憐憫は、懸命に生きて生きて生きて辿り着いた最期――『死』の瞬間にのみ許される」

「キツイねぇ……あまり根を詰めすぎても生きづらいだけじゃないか?」

「黙れ」


 つっけんどんな返事と共に、見るだけで人を殺せそうな程に鋭い視線を向けられては、口下手な山川は肩を竦めるしかなかった。

 すると、その隣でことの成り行きを見ていた金營蕗がうっかり口を滑らせる。


「何で最近あんな怒ってんの、更年期?」


 案の定、山川の代わりに鋭い視線を向けられる事になった金營蕗は、一切メゲずにこれをダシにして茱萸に泣きついた。


「グミたん……おこりんぼさんが睨んでくるよ」

「ああ、可愛い私のふき……今のはアナタが悪いわ、謝っておきなさい」

「うん……須藤さん、ごめんなさい」

「よく謝れたわね。えらいわ、ふき。良い子、良い子よ」


 茱萸は、抱きついてきた金營蕗の頭部を胸に埋めさせて髪を撫でた。もう、完全に二人の世界だ。そこに須藤史香の存在は欠片もない。いちゃつきのダシにされた上に謝罪の返事も聞いてもらえない須藤史香は、一人「きっしょいわ……」と呟いて仕事に戻るしかなかった。怒る気力も失せていた。

 今日はこの程度で終わったが、普段からこういった諍いが絶えず、彼等の仲は良好とは言い難かった。

 金營蕗と茱萸は二人だけの世界を構築しているし、風来坊はこの生活に馴染む気が全くなく隙あらば逃げ出そうとしているし、山川はどうにか執り成そうと度々試みているが大事な所で口下手で、須藤史香は舐めた真似をしてくれた四藏匡人への仕返しをする為に真面目を装っていたが、蕃神信仰に寝返ったという報告を受けて行き場のない怨嗟の念を誰彼構わず所構わずぶつけていた。

 その時、不意にコンコンと叩扉の音が響く。山川が「どうぞ」と言うと、扉はすぐに開かれた。


「お初にお目にかかる。近衛旅団 第六歩兵小隊 隊長の草部仍倫くさかべ なおみちだ。先の人工島襲撃により前任の厨川くりやがわ半心軒はんしんけんが戦死した為、新たに任命された。引き続き、元から担当していた福岡支部でなく、人手不足のこの宮城支部に駐留する。何卒よしなに」


 その挨拶に代表して「はあ」と生返事を返したのが山川だった。この中でリーダーシップを発揮できるのは彼だけだったので、元・蕃神信仰の信者ながら纏め役を担っていた。


「ご丁寧にどうも。ご存知でしょうが、こっちは新参者ばかりですんで不手際も多々ありますでしょうが……ま、宜しく」


 山川が草部仍倫と握手すると、それに続くようにして、他の者たちも椅子に座ったまま軽く会釈するなどして適当に挨拶した。

 皆、今日は顔見せ程度の用事だろうと思っていたので、これで終わりという気でいたが、握手を終えても中々草部仍倫が何も切り出さないのを見て、どうやら違うらしいと気付いた。

 草部仍倫は、きょろきょろと落ち着き無く部屋を見渡している。そこに居る人物を見ているというよりも、部屋の様子を探るかのように。


「あ~……草部さん、何か他にもご用向が?」

「……四藏匡人の件は知っているだろう?」


 沈黙に耐えかねた山川が切り出すと、草部仍倫は唐突に「四藏匡人」の名を出した。ガタッ、と須藤史香が反応するも、それを無視して山川が続ける。


「ええ、知っています。『日本の支部を襲撃する――』とかなんとかでしょう。前から知ってる俺としちゃあ、『あいつがまさか!』って感じですけどねえ。で、まあ、こっちにも警戒するように連絡が来ましたけども、そんな事を言われてもねぇ……出来ることなんて……」


 四藏匡人が東京支部で大々的に垂れ流した訣別表明に伴い、即日ちょっとした注意喚起がなされており、すっかり他支部の職員たちも知る所だった。

 とはいえ、だからといって一職員に何かできるという訳でもない。それも宮城支部の交渉部レッドチームなら尚更だ。普段の業務だって忙しいのだから、支部ビルを再び移転させたり、警察や自衛隊との連携を取って警備を強化したり、海外支部に応援を要請などして迎え撃つ態勢を整えておく程度しかできない。


「危機感が、まるで足りていない。対応も後手後手……MCGも一杯一杯か?」


 草部仍倫は、彼等含むMCGの消極的な対応を嘲笑し、ドカッと空いていた席に腰を落とした。その嘲笑の対象に含まれている交渉部レッドチームの面々は少しムッとしたが、別にMCG機関に大層な帰属意識がある訳でもなく、それ以上に草部仍倫が何を言いたいのかが気になったので口を挟まなかった。山川が代表して話を促す。


「……つっても、やっこさんが知ってんのは移転前の位置でしょう? ここが分かるんですかねい」

「はっ! 間者がいるのさ、MCG内に蕃神信仰のな。おっと、お前の事を言ってる訳じゃないぞ、別にいる」


 部屋内の注目を一身に浴びながら、草部仍倫はハッキリと宣言する。


「奴等は十中八九、この宮城支部に攻めてくるぜ。そして、その目的は恐らく――『揺動』だ」

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