旦那さまは天狗さん
折上莢
第1話 天狗の嫁
「永遠に、新郎を、新婦を、愛することを誓いますか?」
☆ ★ ☆
結婚式を挙げてから、一ヶ月が経ったある朝のこと。
「旦那さま、朝ですよ」
「…」
「旦那さま。朝ご飯が冷めてしまいます」
「…」
「旦那さま、旦那さま?」
「…ああ」
四回呼び掛けて、ようやくうっすらと黒曜の瞳が現れる。
「おはようございます」
「………はよ」
寝ぼけ眼のままゆっくりと起き上がり、布団の横で跪く
まだ頭が眠っている様子の
先月、二人は籍を入れた。結婚式は、斎の家のやり方で。小さな神社、そこに祀られる神の前で、永遠を誓った。
「今日はお仕事ですか?」
「あー…午前中は…仕事…。…午後から…
「わかりました。狛さんと笙花さんの分のご飯も用意しておきますね」
「…頼んだ…」
覚醒しきってない斎を席に座らせ、幸岐は味噌汁をお椀によそる。
ご飯と焼き鮭、漬物と卵焼きを彼の前に並べ、自分も向かいに座った。
「…いただきます」
「いただきます」
手を合わせ、二人で朝食を食べ始める。
「今日のお仕事は、視察ですか?」
「いや、今日は隣の山の鬼との会談」
「おに…」
「会ったことあるだろ? あの、怖い顔して根は真面目なやつ」
「ああ、彼の方ですね」
食事を続けながら、幸岐は頷いた。
結婚式に来てくれた彼だろう。最初はその角に怯えたものだが、性格は真面目で、優しい鬼だった。
「あいつ長話は好まないし、すぐ帰ってくる」
「わかりました」
斎が箸を置いた。目の前に出された朝食は、どれも綺麗に完食されている。
「ご馳走様、美味かった」
「…あ、ありがとうございます…!」
幸岐は褒められて、きらきらと目を輝かせる。そして自分も残りのご飯を飲み込んで、丁寧に手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「幸岐、黒い羽織出してくれるか。あと、面も頼む」
「はい。準備します」
食器を重ね、台所に置く。洗い物は後回しにして、箪笥から黒い羽織を出した。その上に、斎が外出時には必ず付ける嘴の尖ったこれまた黒の面を乗せ、彼の所へ持っていく。
「ありがとう」
羽織に袖を通し、面を付ける。
幸岐は静かに後ろに回り、紐を結んだ。
斎は面を頭の側面に回し、玄関で靴を履く。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。お気をつけて」
「…」
「…旦那さま?」
自分より上にある黒い瞳に無言で見下ろされ、幸岐は首を傾げた。
「…行ってらっしゃいの、口付けは?」
「…えっ?」
瞬時に言葉を理解できず、きょとんとした顔で聞き返す。
頭に疑問符を浮かべる幸岐を見て、斎は小さく笑った。そして、大きな手で彼女の黒髪を梳く。
「何てな。じゃあ、行ってくる」
「あ、はい。行ってらっしゃい…」
かたん、と扉が閉まった。
扉を挟んで室内側、幸岐はずるずるとその場にしゃがみ込む。
「っ…びっくり…したぁ…」
口元を隠し、頬から耳までを真っ赤に染め、外に聞こえないよう小さな声で零す。
さて、扉を挟んで外側。斎もその場にしゃがみ込んだ。
「何を…言っているんだ俺は…っ!」
片手で赤い顔を覆い、噛み潰すように呟く。
彼は赤い顔のまま、黒い翼を顕現させた。そして地を蹴り、空へ羽ばたく。
この赤い顔を、隣の山に着くまでにどうにかしなければ。笑われてしまう。
これは、天狗に嫁入りした女の子と、彼らを取り巻く者たちの話。
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