死神と運命の女17
黒い外套を纏う、燃えるような赤い髪の紳士に、アリシアは駆け寄っていく。
「こんばんは、いつかの雛鳥」
その言葉に、アリシアは少女のようにぱっと顔を綻ばせた。
「覚えていてくださったのね! 嬉しい、嬉しいわ」
「私も嬉しいよ。君はよく役目を果たしてくれた」
その言葉で、アリシアから一切の喜色が失せる。
「役目?」
「ああ。君のお陰で最後の一手を詰めることができた。君の役割はここで終わりだ」
そう言うと、死神はアリシアから視線を外す。彼の瞳にもう彼女は映っていない。
絶望的なまでに、アリシアはそれを理解できてしまった。他人をそう扱ってきた彼女だからこそ、それを最も理解できてしまったのだ。
糸が切れたように、アリシアはその場にへたりこむ。
一方。
「……会いたかったぞ」
声音だけで言えば、それは恋焦がれた相手を想うそれにも似ていた。
死神は胸に手を当てレティシアに一礼する。
「――ええ、私も。貴女と再びこうして言葉を交わすことができるなんて光栄ですよ、ママン」
刹那、嵐が吹き荒れる。
レティシアの憎悪の咆哮と拳が男に向かって放たれた。
「よくもぬけぬけとッ! 私をまだ『母』と呼ぶか!」
「ええ、ええ」
マリアはその異様さに息をするのも忘れていた。渾身の憎悪を向けるレティシアに対し、それを真っ向から受け入れる男はむしろ喜ばしげに微笑んでいる。
あの二人は致命的に噛み合っていない。噛み合わないのだ。
レティシアの激しい攻撃はまるで彼には通らない。何をしても受け流されている。
レティシアの顔には焦燥が滲んでいた。
ずっと『表に出てこられなかった』彼女にとっても、これは、それこそ奇跡に近いチャンスなのだ。
けれど。
『あれを殺すのは絶対に不可能です。死神とはそういう存在です』
ガトーの言葉がマリアの脳裏にはっきりと蘇る。
「っ、」
猛攻一手で息が上がっていたレティシアの腕を、男が容易く掴む。
「呪いそのものとなり永い時間を経てもなお、貴女は私を覚えていてくれた。その激情を、憎悪を私に向けてくれる。私はそれが嬉しいのです」
その言葉を聞いて、レティシアは愕然と目を見開く。
「……そんなものが、貴様の望みだったというのか」
「それ以外に何があると?」
少年のような笑みで、彼はそう返した。レティシアは彼を突き飛ばす。
「ふざけるなッ! そんなもののために私はっ、」
レティシアの膝が地に崩れる。
「アドルフは優しい子だった。その娘のノエは病弱だが清廉だった、ソフィアは不愛想だが頭の良い子だった、その息子のヴィクトルはとても勇敢な子だった、ジェイドはアドルフによく似ていた、ベアトリスはお転婆だったが良い領主になった。アランもクレールもロジェもロサリアも皆! 私は全ての子らが愛おしかった!」
これまで押しとどめていたもの、すべてが堰を切ったかのように彼女は叫ぶ。
「私が皆殺したのだ! お前のそんな望みのせいで!」
それは彼女の心の底からの慟哭だった。
「……苦しいですか?」
そんな彼女を見下ろして、彼は彼女に問う。
「その苦しみを終わらせたいですか?」
終始穏やかだった男の声と視線に一抹の陰りを覚えたマリアは反射的に飛び出した。
「駄目!」
男の振るったナイフをマリアがクナイで弾き飛ばす。
その刹那、男はマリアを見て微笑んだが、マリアは構わず背後のレティシアに叫んだ。
「立ってくださいマダム・クロワ! ここで貴女が折れてはいけない! 貴女の憎悪は、貴女の執念は! 貴女がただ楽になるためのものだったのですか!?」
「……、」
レティシアははっとし、そして声を絞り出す。
「……違う。断じて違うとも。私は、私のためではなく、我が子らのためにここまで来たのだ」
レティシアが立ち上がると、男はすっと後ろに引いた。
「……貴女の意向はよく分かりました。ですがママン、残念ながら私は誰にも殺すことが出来ないのです。貴女がそうであったように、私も私自身を殺すことができない」
男は悲しそうな声で言い、マリアに向き直った。
それは既視感を覚える顔つきで。
そう、いつも仄暗く寂しげだったかつてのロアに似た顔で、彼はマリアに言った。
「けれど君なら。私を死の世界に導いてくれる。運命の人、冥界の母」
死神はマリアの手をとろうと腕を伸ばした。
「――させぬッ!」
レティシアが死神の手を払う。しかし死神は彼女に言った。
「ママン。死神たる私が死ぬにはその人が必要なのです。貴女が望む私の死は、その人が冥界の扉を開くことでようやく成就する」
「……なんだと」
再び彼はマリアに向かって告げる。
「そして君。君がその扉を開かなければ、この世界は亡者の怨念で汚染され続けてどのみち崩壊してしまう。君はこの事実を既に知っているはずだよ」
「……何を、」
馬鹿なことを、と言いかけて、マリアは言い淀む。
『泣かないで』
あの曇天の夜。
優しい声色のあの人は。
「力と共に記憶も封じられていたようだけど、もうじきに思い出すだろう。また逢おう、運命の人。今度は扉の前で」
「待て、ジュ」
レティシアの制止をよそに、彼は姿を消した。
「……くそ、」
舌打ちをしたレティシアは、このときようやく、マリアの顔が随分と青ざめていることに気が付いた。
「おい、大丈夫か」
それに大丈夫と答えようとしたマリアは、その場に倒れ意識を失った。
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